「…ッ…ハァ…ハァ…」 走ったせいで息が苦しい。 もうこれ以上は走れないという所まで来て立ち止まり、何度も大きく息を吸いこんで足りない酸素を補給する。 数分してから、やっと周囲を見渡す余裕が出てきて顔を上げると、薄暗くなりはじめた景色の中で見覚えのあるものが目に入った。 …池…。 ってことは、ここは月宮の森か。 何も考えず、とにかく誰もいない場所を目指して走っていたら、この学校に来た初日に宮原と会った場所――月宮の森に辿りついていた。 風に揺れる木々の音。池から流れ出る小川のせせらぎ。 見上げると、太陽の消えた空に蒼白い半月が現れていた。 ………何やってるんだろう…。 ここまできて、やっと頭が冷めたみたいだ。 秋にやつ当たりして、部屋を飛び出して。 ……でも…。 「またアンタか」 「……は？」 自分の行動を思い返して奥歯をギシリと噛みしめた時、背後から、ボソッと呟くようなハスキーな声が聞こえてきた。 驚いて振り向くと、太い木の幹に寄りかかって立っている誰かの姿がある。 暗くなってきたせいで姿は見え辛いけど、この独特な声は、…宮原だ…。 なんかもう、この神出鬼没さに慣れてきた自分がいる。 「また池に向かって叫びに来たのか？『王様の耳はロバの耳―』って？」 鼻先で笑いながらの馬鹿にした口調。 いつもだったら何か言い返したんだろうけど、今は宮原に腹を立てる余裕さえない。 お前なんて知るかとばかりに思いっきり視線を逸らしてやった。 そんな態度をとられて大人しくしている奴じゃないのはわかってる。 案の定、「チッ」という短い舌打ちの後、地面の雑草を踏みしめて近づいてくる足音が聞こえてきた。 「いい態度じゃねぇか」 目の前に来た宮原の手が顎にかかったかと思えばグイッと掴まれ、逸らしていた顔を無理やり引き戻される。 顎を掴まれる小さな痛みに眉を寄せつつも仕方なく目線を向けると、視界に映ったのは穏やかな表情を浮かべている宮原の顔だった。 意外な事に思わず目を瞬かせる。 不機嫌そうに半眼で見下ろしてるんだろうな…なんて思っていたのに。 「…んで？今日は何があったんだよ。こんな時間に逃げるように来るなんて、普通じゃねぇだろ。どうした」 ……まさか…、心配してくれてるのか？ 宮原の口から零れ出た言葉に息を飲むほど驚いた。 だって、…ありえない…。…いや、でもこの前、北原から変な事を言われた時も…。 先日の、屋上からの帰り道での事を思い出した。確かあの時も俺を気遣うような事を言っていた気がする。 ……なんだろう…、態度は悪いくせに、肝心な時に…優しい…？ 思い当たったその言葉に自分でも驚いて、目の前の相手を穴が開きそうな程に凝視してしまった。 「……宮原…」 戸惑いがちに名を呼ぶと、その綺麗な顔が俺の目を覗き込むように近づいてきて、穏やかな眼差しと視線が絡み合い、唇に微かな吐息が触れ……。 そして、ふわりと柔らかな熱が押し当てられた。 …もう本当に意味がわからない。わからないけど、優しい触れ方と穏やかな雰囲気に飲み込まれて抵抗もしないまま、大人しく宮原の唇を受け入れてしまった。 最初はそんな俺を不思議がるように様子を見ていた宮原だけど、その戸惑いが消え失せたあとはいつもの彼らしく、自分のしたいように大胆に攻めこみ始める。 「…っ…ん…」 気付けば背中に腕が回されていて、食らいつくように唇を貪られる。差し込まれた舌が慣れた様子で口腔内を舐り、遊ぶように俺の舌先を絡めとっていく。 翻弄されながらも、一切の抵抗はしない。息が苦しくなってきても、離れようとは思わない。 心の中が乾いてしまっている今、宮原のキスが、抱きしめてくる腕の強さが、甘露のような濃密さをもって心に染み渡る。 けれど、抵抗しないどころか逃げもせずに甘んじて受けている俺に煽られたのか、気がつけば本気モードになっている宮原に足元を蹴り払われて地面に押し倒された。 「…ッ…ぅ…！」 背中に当たった衝撃に一瞬だけ息が詰まった。そして、ようやく自分の行動のヤバさに気がつく。 「…っ…、もう、やめ…」 慌てて宮原の身体を押しのけようと、胸元に手を置いて押し離そうと力をこめた。 でも、その腕さえも掴まれて地面に押しつけられる。 手の甲と腕に感じる湿った土の感触が、危機感を呼び起こす。