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学園生活34
「……俺はそういう意味で馬鹿って言ったんじゃねぇよ。そんな事でウジウジ悩んでんのが馬鹿じゃねぇ?って言ったんだ」
「…そんな事って…、友達だと思っていた相手が実は上辺だけの付き合いだったなんて、俺にはショックだったんだからしょうがないだろ。おまけに嫌われてるかもしれないっていうのに…。っていうか先輩に向かってバカとかいうな!」
「バカにバカって言わなくて誰にバカって言うんだよ、ぁあ?先輩だろうがなんだろうがバカはバカだ」
宮原が、今だけは本気で苛立っているのがわかる。今まで向けられた事のない種類の、苛立ちの混ざった厳しい眼差し。
何故ここまで責められるような事を言われるのかもわからない。
さっきの意味不明な行為の事もあって、余計にグッタリ疲れてきた。
「…お前な…。いや、もういいよ。今はお前と話す気力はない」
今はとにかく、何も考えずに眠りたい。
宮原を突き放すように言ってから、何気なく周囲を見渡した。
暗い夜の中、もう木立は黒い影と化し、風もさわやかな微風から湿った夜風に変わっている。
去り時だ。
重くて痛む体を意識しないようにゆっくりと四肢を動かしてなんとか立ち上がったけれど、途端に下半身を鈍い痛みが覆う。
それでもここにいるよりはマシだと、いまだ座ったままの宮原を見ることもせず歩き出そうとした。
その瞬間。
突然腕を掴まれて、グッと下に引っ張られた。
不安定な足取りで歩き出そうとした途中だった俺はものの見事にバランスを崩し、引っ張られた先の宮原の上に思いっきり倒れこんでしまう。
宮原の呻き声が聞こえた気がしたけれど、元はといえば引っ張ったコイツのせいなんだから自業自得だ。
ネガティブモードになっているせいで、謝りもしないで身を起こす。もう本当に帰りたい。
それなのに、倒れ込んだ俺の上半身を抱え込むようにガッチリと腕を回され、起き上がれないように力を込められる。
宮原が何をしたいのか全くわからなくてその腕の中から逃れようともがいていると、淡々とした抑揚のない声が耳に入ってきた。
「黒崎さんが、アンタの事を友達だと思ってないどころか迷惑だと言ってるって周りの奴に言われたからって、アンタも黒崎さんを友達と思わなくなるのかよ。今までは友達だと思ってたのに?…そんなの、アンタだって本当に黒崎さんの事を友達だと思ってなかったんじゃねぇの?黒崎さん本人に関わるなと言われようが、周りから勘違いするなと言われようが、アンタが黒崎さんの事を友達だと思ったのは、今までの中でそう思える要素がどこかにあったからなんだろ?そこを見て黒崎さんの事を友達だと思えたんだろ?」
何かとても大切な事を言われていると気がついた時点で、身を起こそうともがいていた動きを止める。
「それなら、べつにアンタが黒崎さんの事を友達だと思ってても構わねぇだろ。なんで自分自身が体験した事実を受け入れないんだよ。黒崎さんがアンタに関わるなって言った事、周りの奴らがアンタに言った事、それも確かに事実なんだろうけど、アンタが今まで黒崎さんから受けた優しさとか楽しさとかも事実なんじゃねぇの?アンタが黒崎さんのことを友達だと思った感情はアンタだけの物だ。それでいいだろ。実際、突き放す言葉を言われたとしても、黒崎さん自体の態度は前と変わってねぇんだろ?それなら、今までと同じでいいじゃねぇか。それともアンタは、自分が今まで作り上げた理想通りに黒崎さんが動いてくれなきゃ裏切られたと思うのかよ。それは俺に言わせれば『自分勝手』だ。…それに、ショックを受けたって事は、アンタが黒崎さんの事を気に入ってたからだろ。それなら余計な事考えずに今の黒崎さんを受け入れてみればいいじゃねぇか、違うか?」
言い終わると同時に、髪をグシャっと撫でられた。
そのまま身動きも取れずに茫然と固まる。
殴られるよりも、痛い言葉…。自分の傲慢さと愚かさが恥ずかしい。
今、ようやく「馬鹿」と言われた意味が理解できた。
抉られた心の傷がズキズキと痛む。でもそれと共に、不純物の混じらない純粋な言葉が心に染み込み、そこから溢れた温かい何かが全身に染み渡ったような不思議な感覚に覆われた。
心のどこかで、秋は心を許してくれている…とか、一緒に生活しているぶん他の人よりも親しいはずだ…とか、勝手に思ってたんだ。
それが違うとわかって、秋と親しい他の人に嫉妬した。
秋から突き放すような言葉を言われて、勝手に裏切られた気になっていた。
俺は友達ですらないんだ…って…、そんな鬱陶しい事考えて。
でも宮原の言う通り、周りから何を言われたって、今までの俺に対する秋の態度は実際のもの。
会った初日から、俺は秋と友達になれて嬉しいと思ったんだ。それは事実であって変わらない。
「なに泣いてんだよ」
「………泣いてない…」
「じゃあそれはなんだ」
自分でも気付かないうちに涙が出ていたのか、少しだけ困った顔をした宮原に指摘された。
指で頬を触ると濡れた感触がある。これにはさすがに驚いた。なんで泣いているんだ俺は。
それに、先輩だと豪語した後のこの失態…。
…情けなさすぎだろ…。
「これは単なる体液だからっ。汗とおなじ!」
「へぇ…体液ねぇ…。さっきあれだけ出したのに、まだ出し足りねぇの?」
「はぁ?!お前何言って!!っていうか、さっきのはお前が!」
マジで殴りたい!
途端に思い出したさっきの出来事に、一気に顔に血が上る。
俺が泣いたのを見て一瞬だけ困った表情は浮かべた宮原はすでにいなくなっていて、もういつものニヤリと小馬鹿にした笑いを浮かべて人をからかう宮原に戻っている。
思いっきり首を絞めてやりたい!
ググっと拳を握りしめて睨むと、目の前のニヤニヤ笑いが突然フッと柔らかなものに変わった。
………え…?
いきなりの変化に戸惑っている内に、伸ばされた手が優しく頬を撫でてくる。
さっき池に手を浸していたせいかひんやりとした温度の指先に、微かな震えを呼び起された。
さっきまでは耳に入らなかった、風に揺れる葉のサラサラした音と水の流れる音がやけに大きく感じる。
間近で見つめてくる宮原の視線と“らしくない”雰囲気が居心地が悪くて、顔を背けようとした瞬間、
「…止まったな」
ハスキーな声がそう呟いた。
…なに…が…?
そう聞こうとしたとき、頬を辿った宮原の指が静かに撫でるように動き、そこにあった涙の名残を拭われた。
まさか…俺の涙を止める為に、からかったのか…?
宮原の指の動きが物語ったその事実に驚いて、目の前にある顔を穴があくくらいに見つめてしまった。
そのまま視線を逸らせないでいると、穏やかな表情を浮かべた宮原の顔が徐々に近づいてきて、
――――――――――――唇が重なった……。
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