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学園生活36

side:真藤  …またボケてる…。 授業が始まって暫くしてから、隣の席に座っている人物をチラリと横目で窺った。 さっきまで一生懸命動かしていた手を止めてボーっとノートを見つめているその姿に、僅かながらの不安を感じる。 昨日までは普通だったはずなのに、気付けば今朝からずっとこんな状態だ。 昨夜、何かあったのか…。 明らかに、今日の天原は何かが違って見える。 それは、昨日までは纏っていなかった空気…、色気にも似た何か…。 フとした瞬間に見せる気だるげな表情…。やるせない溜息。 何かに悩んでいるらしいその姿に、妙な胸騒ぎを感じる。 煮詰まって考えた時ほど、まともな答えは出ない。 それに、この授業はボケていても大丈夫な授業ではない。集中しないと後で痛い目を見るのは本人だ。 黒板に新しい公式が書き込まれても、それにも気付かずにまだボーっとしている相手を見て、そろそろ何とかしないとマズイ事に気がついた。 机の中から静かに定規を取り出し、それで天原の後頭部を軽く叩く。 ビシッ! ……あ…、やりすぎたか? 軽く叩いたつもりが思った以上の力になってしまったらしく、鋭い音と共に天原が思いっきり痛そうに顔を顰めた。 ようやく意識を戻して顔を上げた相手に文句を言われるかと身構えたけれど、本人は黒板に新しく追加された公式に気がついてシャープペンを動かし出す。 けれどその瞬間、黒板に書かれていた公式は見事に消されてしまった。 …ヤバイ…笑いそう…。 呆然としている様子に、堪え切れない笑いが込み上げてきた。 「…嘘だろ…」 聞こえた呟きに、とうとう笑いが抑えられなくなる。 なんとか声に出さないように堪えても、笑いの衝動に肩が揺れてしまう。 「定規で叩くの癖になってないか?!」 「いや、手だと届かないからしょうがない」 笑う俺の姿に気がついたのか不機嫌そうに言う天原にそう答えたら、一瞬だけ納得したような表情を浮かべた後、すぐに睨まれた。 …やっといつもの様子に戻ったな…。 なんとか笑いをおさめてその顔を見ていると、「なんだよ…」とこちらを怪しんでいる視線を向けられた。 でもまさか、『昨夜何かあっただろ?今日の天原、妙な色気が溢れ出てるんだけど?』なんて言えるわけがない。 誤魔化すように肩を竦めて視線を外したら、諦めたらしくノートを取り始めた姿が目の端に映る。 …まったく…。…心配でハラハラするこっちの身にもなってくれ…。 隣に気付かれないように、そっと溜息を吐いた。 side:真藤end …あれは絶対に避けられてる…。 HRが終わってから真藤を問い詰めようとしたら、「あー忙しい」なんてワザとらしく呟いて颯爽と教室を出ていってしまった。 いつもなら部活前に多少でも話している時間はあるのに、今日に限って忙しいなんてありえない。 真藤の様子を思い出して顔を顰めながら廊下を歩いている途中、何気なく視線を向けた窓越しにテニス部の練習風景が見えた。 その中に小さな人影を発見。薫だ。 最初は文化部だと思っていた薫は、何を隠そうテニス部期待のホープだった。 あの小柄な身体でかなり重い球を打つらしい。 一度だけ見に行った練習では、球を打ち返す時のインパクト音が他の奴とは全く違っていたのがわかった。 …凄いな…。 感心と共に足を止めてその練習風景に目を奪われていると、突然背後から腕を掴まれて思いっきり引っ張られた。そしてそのまま歩きだされる。 「…ちょっ…、何?!」 後ろ向きの体勢で引っ張られればよろけるのは当たり前。 それでもここで尻もちなんか着いてしまうのだけは絶対にイヤだと、なんとか転ばないように足を動かす。 転ばないようにするだけで精一杯で、いったい何が起きているのかわからないまま連れていかれたのは、すぐ近くにあった空き教室。 後ろ歩きのままヨロヨロと室内に足を踏み入れたところで引っ張る力がなくなり、背後から伸びてきた腕が顔の横を通って目の前の扉を静かに閉めた。 その時にフッと香った柑橘系のフレグランス。 …まさか…。 信じられない思いと共に後ろを振り向くとそこには、いま一番会いたくて、そして一番会い辛いと思っている人物がいた。 「…ゴメン。ちょっと強引だったかな…」 「………秋……なんで…」 背後に立ち、いまだに俺の腕を離さないまま苦笑いを浮べていたのは、昨夜から一度も顔を合わせていない同室者、秋だった。 あまりに突然の出来事に、ドクン…と心臓が大きく音を立てる。 普段は使われていない空き教室内は、カーテンが引かれたままで薄暗く、少しだけ埃っぽい。 そんな中で見る秋は、なんとなくいつもとは違っていて…、やけに緊迫した空気を持っている。

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