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夏休み4

side:黒崎  「まぁ、そうなんですの?うちの静香なんて、のんびりしていて私達の方がハラハラしてしまうくらいなんですのよ」 「いやいや。静香さんはとても素晴らしいお嬢さんだと思いますよ。なぁ、秋、お前もそう思うだろう?」 「はい。何度かお目に掛かった事がありますが、とても清楚で素敵な方だと…」 ここに来てから、こんなやりとりの繰り返し。 父は、政略結婚をさせる為の相手を品定め。 こうやって話しかけてくる顔見知りの相手は、自分の娘を黒崎家に売り込む事に必死。 社交界だなんて言うと聞き覚えはいいけれど、実際は狐と狸の化かし合い。そして強力なコネを手に入れるための策略の場。 裏に見え隠れする黒いものにうんざりする。 それでも、黒崎秋としてこの場にいるからには、しっかりとその責任を果たさなくてはならない。 まだ始まったばかりの長い夜を思い、自分の立ち位置が揺らがぬよう感情を押し込めた。 その時、 また新たに誰かが到着したのか、アナウンスマイクのスイッチが入る「プツッ」という接続音が聞こえた。 『西条咲哉様、天原深様が御到着されました』 そのアナウンスに、ホール内が微かにどよめく。 「………まさか…」 苗字だけが同じ、名前だけが同じ、という事はあるけれど、もともとよくある名前ではないのにフルネームで完全に同じだなんて事はまずありえないだろう。 耳に入った聞きなれた名前に内心で驚き、ホール入口へと視線を向けた。 その先、人波の隙間からは、予想通りに見慣れた姿が現れる。 …なんで深が…。 「あらあら、天原会長秘蔵の末息子さんがようやく姿を見せたのね。…ウフフ、可愛らしい方ですわね」 「ほぉ…、これはこれは…。天原家の次男は絶対に表に出てこないと噂になっていたようですが、…何か心境の変化でもあったんでしょうね」 「社交界デビューのエスコート役が西条様のご長男だなんて、縁続きとは言えさすがですわね。羨ましいわ」 …深が天原家の次男? 間近で交わされる父親と藤原夫人の会話に耳を疑った。 確かに、いちばん最初に会った時は「天原」という名前に、まさか…と疑った事はあった。 けれど、権力や家柄重視のあの学園内で、話題にも上らないばかりか一般生徒として入ってきたと聞いて、単なる同姓…もしくは遠い親戚なんだろうと思い込んでいた。 天原家直系には、社交界に出てこない為に名前も姿も知られていないがもう一人子供がいるという噂は聞いた事がある。 …それが深の事だとは、思ってもみなかったな…。 知ったばかりの事実に、さすがに動揺を隠しきれない。 「秋?どうしたんだ、ボーっとして」 「あ…はい、すみません。天原家の方に気をとられていました」 動揺を悟られないよう、何事もないようにそう答えて笑みを浮かべると、父と話をしていた藤原夫人が、 「ウフフ…、歳も同じくらいみたいですものね。気になるのも仕方がありませんわ。話しかけてみてはどうかしら?秋さんでしたら、天原家の方に話しかけても問題はないでしょう?」 そう言って上品に笑った。 藤原夫人の言うとおり、黒崎と天原は、日本の財閥の中でも均衡を保った同レベルの家名。 俺が天原の人間に話しかけても、なんら失礼には当たらないだろう。 すでに通りすぎていった深の後ろ姿を見ていると、それに気がついたらしい父が珍しい事を言い出した。 「お前が話をしてみたいと思うなら行けばいい。……この場を上手く利用するくらいの心構えで、な」 後半部分は藤原夫人には聞こえないように、小声で耳打ちをされた。 最初の部分を聞いた時は、この人がこういう事を言うのは珍しい…と思ったけれど、耳打ちされた言葉を聞いて、やっぱりな…と納得する。 天原家の末っ子を懐柔して情報を聞き出せ…という腹づもりなんだろう。 自分の親とはいえ、他人を全て手駒だとしか思えない利己的な考えには吐き気がする。 けれど、深に話しかけるチャンスをみすみす逃すつもりもなく、暫く会話をした後、2人に挨拶をしてからその場を歩き出した。 side:黒崎end

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