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夏休み12

†  †  †  † 8月下旬。 パーティーの余韻も消え失せ始めたこの時期。 日常に戻ってしまえば、あの時の緊張感が嘘のように思える。 社交界デビューをしてしまったら何かが変わってしまう気がしていたけど、実際は特に何も変わっていない。 それはそうだ。特に何もしていないし、上流階級の付き合いが必要になる場所になど出かけていないのだから。 それでも、なんとなく拍子抜けしてしまったのは事実だ。 リビングにあるソファに座ってのんびりコーヒーを飲んでいると、「夏休みか~」なんて実感が今更ながらに湧いてきた。 いちばん難題だったパーティーが終わり、心のゆとりが出来たからこそ、ようやく得る事が出来た夏休みの実感。 手に持っていたマグカップをテーブルの上に置いて、さっきよりも更に深く背もたれに寄りかかって全身の力を抜いた。 その時。 「あ、深。ここにいたのね」 軽やかな声と共に、リビングに香夏子姉が姿を現した。 今日は珍しく髪をシニヨンにまとめて、いつもよりも若干大人っぽい雰囲気。 「どうしたの?」 香夏子姉を振り向いて問いかけると、近づいてきたその手元に何かのチケットらしき紙が2枚あるのが見えた。 そして、チケットに気がついた俺を見て、香夏子姉がニッコリと微笑む。 「あのね、大学の友達からこのチケットをもらったの。一緒に行ってくれないかな?」 「チケットって、なんの?クラシックだったら宏樹兄の方がいいと思うけど」 香夏子姉が好んで行くのは、だいたいいつもクラシックかオペラだ。 悪いけど、さすがにそれは寝る自信がある。 だからこそ宏樹兄を推薦したけど、どうやら今回は違ったらしい。 香夏子姉がゆっくりとした動作で首を左右に振った。 「違うの?」 「うん。今回のチケットはローゼンヌ劇団なの」 「ローゼンヌ…って、まさか、あのローゼンヌ!?……香夏子姉、そんなチケット、よく譲ってもらえたな…」 香夏子姉の口から出てきた世界的に有名な劇団の名前に、思わずソファから身を浮かしそうになった。 ローゼンヌ劇団と言えば、世界での公演全てを大絶賛の渦に巻き込み、いまやそのチケットはコネがないと手に入らないと言われるほどのプレミアチケットになっている。 そういえば、今年の夏に日本公演が3回だけ予定されていると聞いた気がする。 一度は観てみたいと思っていたけど、まさか香夏子姉がそのチケットを持っているとは思わなかった。 驚愕に固まっていると、黙り込んだままの俺の態度を提案に難色を示している…とでも思ったのか、香夏子姉の目尻が悲しげに下がった。 「…やっぱり、気がすすまない?」 「すすまないの逆!!それどころかお願いしてでも行きたいくらいだって!」 焦って意気込みながら返事をすると、さっきまでの哀しそうな顔から一転、とても嬉しそうに微笑を浮べた香夏子姉の姿に、ホッと安堵の息がこぼれた。 「ありがとう。…それじゃあ急だけど、明後日空けておいてね」 「了解。香夏子姉のエスコートは俺に任せてよ」 更に嬉しそうに笑う香夏子姉。リビングを出て行く足取りが、心持ちいつもよりも軽く見える。 その姿がドアから出て見えなくなった途端、ぐでーっと脱力してソファに倒れこんだ。 この夏休み最後となるであろうイベントが、まさかこんなゴージャスなものになるとは思わなかった。 自然と顔が緩んでしまう。 一度は観てみたいと思っていた、憧れのローゼンヌの舞台。 香夏子姉に感謝だ。 そのまま数分、喜びを噛みしめてソファに横になっていたものの…、 そうだ、着ていく服を選ばないと! もしかしたら香夏子姉より気合が入っているかもしれない俺。 それまでのグダグダした態度から一転、勢いよくソファから立ち上がって部屋へ向かった。

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