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夏休み18

side:黒崎   「黒崎君!」 寮棟の廊下を歩いている途中、背後から聞き覚えのある声に呼び止められて振り向くと、小走りに近づいて来る北原の姿があった。 息を切らせて隣に並び、嬉しそうな顔で見上げてくる。 「北原も戻ってきてたんだ」 「うん。黒崎君に会えるかな~なんて思ってたら目の前を歩いてたから、ビックリしちゃった」 「何か用事でも?」 「そ、そういうわけじゃないけど。…あの、もし良かったら、お昼一緒に食べに行かない?」 「…そうだな…うん、いいよ。俺も昼はまだだから一緒に食べようか」 頷き返して歩き出すと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた北原もすぐに後をついてきた。 つい先ほど帰ってきた寮の自室で、もうすでに深が戻ってきている形跡を見てその行方を探すために部屋を出てきたけれど、結局探しだす前に北原に会ってしまった。 早く深に会いたい気持ちはある。 でも、焦らなくても夜には必ず会える。そう気持ちを切り替えた。 楽しそうに夏休みの出来事を話している北原に相槌を打ちながら共に食堂に入ると、いつものように他の生徒達の視線が纏わりついてくる。 おおむね好意的な視線なだけに、邪険にする事も出来ないところがなんとも難しい。 「黒崎君は何を食べるの?…僕は…グラタンにしようかなぁ」 カウンターの前でメニューを選ぶ北原を視界の端に入れながら、久し振りに来た食堂内を物珍しく見回した。 普段は委員会の部屋で昼をとることが多いせいか、あまり食堂に来る事はない。 たまにはここで食べるのもいいかもしれないな…。 そう思いながらメニューに意識を戻そうとした時、奥の方の席から立ち上がった数人の姿が目に映った。 特に気になる光景でもないのに何故か妙に気になってよくよく見ると、最後に椅子から立ち上がった人物がさっきまで自分が探していた相手だと気付いた。 …深…。 表情には出さないまま、内心は結構な驚きに支配される。 深よりも先に立ち上がった数人の人物。 そこには、学園内でも名の知られている人物が揃っていた。 真藤、宮本に…、前嶋か…。 深の事だから気付いていないかもしれないけれど、かなり知名度のある3人だ。 それも、権力や家柄に左右されない確固たる自分というものを持っている、公明正大の代名詞のような人物達。 深の周りにいる人間があの3人で安心すると同時に、僅かな黒い感情が湧き起こったのも事実。 そんな自分の狭量さを感じて、思わず溜息を吐き出した。 「黒崎君?早くしないと冷めるよ?」 「あ…あぁ、ゴメン」 適当に選んだ物をトレーに乗せたはいいものの、なかなか動かない俺を不思議に思ったのだろう北原に催促されて、ハッと我に返る。 コーヒーを受け取ってから振り向くと、もう深達の姿は食堂から消えていた。 少しだけ残念な気持ちと、後で会える事への楽しみという相反する気持ちを抱えながら席へ向かった。 side:黒崎end 真藤達と食堂を出た後、廊下の途中で「これからどうしようか…」と話し合っているところに見知らぬ生徒が近づいてきたかと思えば、いきなり薫が拉致されてしまった。 いきなりの出来事に驚いて呆然としている俺を見た真藤が笑いながら、「テニス部の後輩だ」と教えてくれたから良かったものの、何事かと本気で焦った。 喚きながら引きずられていった薫の姿が忘れられない。あの後輩、勇者だ。 しょうがないから、明日は始業式だし今日はもう大人しく部屋に戻ろうという事になった。 「また明日」 「おうっ!また明日教室でな!」 「休みボケで遅刻するなよ」 フッと鼻で笑いながら去って行く真藤に、何やらワーワー騒いでいる前嶋。 悪いとは思いながらも、そんな前嶋を放置して俺も自分の部屋に戻ることにした。 「…14時か…。中途半端な時間だな」 部屋へ戻ってソファーに座り込んだものの、考えてみると今日はもう何も予定が無い。 荷物の片付けも終わったし、どうしようかな…。 何をして暇を潰そうかとリビングを見回す。その途中、ベッドルームに繋がるドアが少しだけ開いている事に気がついた。 確か、さっき部屋を出る時には閉めたはず、…あれ…? 自分の行動を思い出しながら、上半身をパタンと横に倒してソファーに転がる。 その瞬間に思い出した。 …そっか…、秋が戻ってきてたんだ…。 目を閉じると、さっきの食堂での出来事が頭に浮かぶ。 夏のパーティー以来、久しぶりに見る秋の姿。 ここでも北原と一緒だった事を思うとまた複雑な感情が湧き起こってくるけど、今日からまたいつもの日常が始まる事を思えば、嬉しさの方が先立つ。 明日から、また皆と一緒の生活…。楽しみだな。 目を閉じたままボーっとそんな事を考えている内に、だんだん睡魔が襲ってきた。 今朝はいつにもまして早起きをしたし、普段はしない重い荷物の移動と片付けもした。 そして、適度な気温に保たれた室内の温度。昼ご飯を食べて満足しているお腹。 これで眠くならない方がおかしい。 睡魔に抵抗する気もなく大人しく体の力を抜くと、急速に意識が底へ沈んでいった…。 「ただいま。…深…?」 深く沈んだ感覚の向こう、遠いところで誰かが呼んでいる声が聞こえる。 返事をしようという思いはあるけれど、体はいまだに眠りの底を漂っていて動かすことができない。 そうこうしているうちに、その気配が横に立ったのがわかった。 …だれ…? どこか馴染みのある安心する気配。 その気配が衣擦れの音と共に更に近づき、相手の吐息が感じられるまでになった。 それと同時に、顔の横、ソファの重心が少しだけ傾く。 …な…に…? 目を開けて確認したいのに、体はまだまだ眠りを貪るように言うことをきかない。 「…深…」 囁くような声が聞こえ、唇にそっと羽のように優しく暖かなものが触れた。 …いまの…は…。 考えたいのに、そこで意識はまた微睡みの中に沈んでしまった

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