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学園生活Ⅱ-4
隣に立つ相手をチラリと横目で見てから、同じように給水棟の壁に寄りかかった。
「そういう宮原は何してたんだよ」
「盆の挨拶でうちに来る奴らの相手」
「へぇ…、お盆に挨拶回りに来るなんて宮原の家は本家か何か?」
挨拶回りに来るって事は親戚か会社関係なんだろうけど、その相手をするなんてなんとなく宮原らしくなくて、意外性にキョトンと目を瞬かせる。
綺麗に整った顔をジーッと凝視すると、それまで正面を見ていた目線が不意にこっちを向いた。
その顔は、何かを言い淀みながら考えているようにも見えて…。
「…なんだよ…。俺何か変な事言った?」
宮原に見つめられるとついつい構えてしまうのは、もう条件反射だ。
警戒しながら問う俺を何か言いた気に見ていた視線が、また正面に広がるフェンス越しの空に向けられる。
「挨拶回りに来るのは、組関係の奴らだ」
「…………は…?」
…組関係って…何?
ボソッと呟かれた言葉に思考回路がフリーズした。ついでに全身もフリーズした。
組って、地区の組合とかそんなんじゃないよな…。
横に立つ相手の顔を更に思いっきり凝視すると、チラリと視線だけが寄越される。
俺の驚く顔を見て面白がるんだろうな~…という想像とは裏腹に、その瞳は何の揶揄もなく、ただただ透き通っていた。
諦念とは違う、諦観…とでも言おうか…。全てを悟って受け入れているような静謐な
眼差し。
それを見た瞬間、冗談で返そうとか聞かなかった振りをしようとか…そういう考えが全て吹き飛んだ
宮原が本当の自分というものを見せてくれた気がして、その信頼に応えたいと思ったんだ。
たぶん、本当の自分を知ってほしがってる。俺の驕 りかもしれないけど、そう思った。
「……組って、もしかして宮原の家ってそっち系?」
真面目に聞いたその問いに、何も言わずただコクリと頷く。
時々見せる年下らしいこういう可愛い仕草に頭を撫でたくなる事があるけど、それをやったが最後、一気に不機嫌になるのは目に見えている。
伸ばしたくなる手を堪えて宮原の顔を見ていると、その表情がフッと緩んだ。
「…鷹宮会長とか、アンタと同室の黒崎秋は知ってる。だからたぶん、俺がアンタに近づくのを不本意に思ってるはずだ」
「…そっか…」
宮原から視線を外して空を見上げた。
夏特有の、高くて鮮やかな蒼い空。
俺はのんきに(平和だなー)なんて思う景色だけど、同じものを見ている宮原はどう感じているのだろうか。
その瞳には、本当に目の前の空が映っているのだろうか。
まだ高一なのに、俺には想像もつかないような重いものを背負っている気がする。
さっきの教室での、まるで凶悪犯に怯えるかのようなクラスメイト達の反応。
あれが、常に宮原に向けられる視線。
それをどう思っているかはわからないけど、決して楽しいものではないはずだ。
「おい。なんでアンタが暗くなってんだよ」
「…別に、なんでもない」
なんだかよくわからないけど、苛つく。
宮原は宮原なのに…。一人の人間として見るんじゃなくて、その背後を気にする周囲の目。
確かに、組関係とか聞けば驚くけれど、それと宮原の人格には何の関係もない。
そこまで考えて不意にわかった。この苛つきは、俺にはどうにもならないもどかしさと理不尽さ、…そして、弱味を見せない宮原に対する哀しさだと。
萎んでしまうくらいに思いっきり溜息を吐いて、足元を見た。
皆が皆、幸せに能天気に過ごせるなんて、そんな夢物語みたいな事は思わない。
でも、本人だけではどうにも出来ないような大きな枷を背負うような事は、やっぱりない方がいい。
苛つく気分のまま、右足の踵を背後の壁にトンっと叩きつけた。その時。
足元に映る影が揺らぎを見せ、離れていた二つの影が近づく。
……え……?
どういう事?と思った瞬間、視界の端に何かが入り、顔を上げると…。
「…ッ…」
唇に触れたものは、まぎれもなく宮原のそれで…、その突然の出来事に抵抗する事も忘れて固まってしまった。
上体を屈めた宮原に下から掬い上げられるようにされる口付けは、それまでされたものより物馴れた感じでいやらしさを増す。
…ってなに茫然と受け入れてるんだよ!
慌てて両手に力を込めて宮原の肩を押し離す。
元々これ以上するつもりはなかったのか、俺の抵抗にあっさりと唇は離れていった。
でも離れたのは唇だけで、依然として体は触れそうなほど目の前にある。
顔の横の壁に手を着かれたいわゆる“壁ドン”の状態に、思わず息を潜めて下を向いた。
宮原が何も言わないせいで密度の濃い沈黙が場を支配し、俯いていても、俺を見ている宮原の視線が痛いほど突き刺さっているのがわかる。
風が通り抜ける音だけが、やけに耳について仕方がない。
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