120 / 226
学園生活Ⅱ-30
結構な急ぎ足で来たせいか、門の前に着いてもまだ宏樹兄達の姿はなかった。
「…ん~…、水無瀬さんがライセンス持ちって…」
その事実がいまだに信じられずブツブツと呟いていると、横から秋が何気ない口調でとんでもない事を言い放ってくれた。
「水無瀬さんがライセンス持ってるのは、当たり前だと思うよ」
「えっ!」
なんでそんな事を秋が…、っていうかその前に、秋は水無瀬さんの事を知ってるのか!?
「そんな間抜けな顔してると笑われるよ?」
俺の顔を見て秋がクスッと笑う。
間抜けな顔と言われて怒りたいのは山々だけど、今はそれどころじゃない。
横から秋の顔をジーッと凝視する。視線には疑問の色をたっぷりと含ませて。
「…もしかして秋、水無瀬さんの事知ってる?」
「宏樹さんと一緒にいた黒髪の人だろ?そしてもう1人は高槻さん、だね」
「…なんで…」
もう体裁を取り繕う気もなく、先ほど間抜けだと言われた表情のまま秋の顔を穴が開くほど見つめる。
これは秋の知識が広いのか、水無瀬さん達が有名なのか…、
……どっちだ……?
それを聞こうと口を開いた瞬間、遠くの方から徐々に近づいてくる車のエンジン音と排気音が聞こえてきた。
結構太くて低い排気音。
その音が聞こえる方向に視線を向けると、真っ黒の大きな4WD車が道の向こうから姿を現し、目の前で滑らかに停車した。
「もしかして…」
黒いスモークのかかった助手席の窓が下がったかと思えば、俺の予想通り車内から顔を見せたのは宏樹兄だった。
「やっぱり…」
でもまさかランクルで来るとは思わなかったから、普通に驚く。
っていうか、水無瀬さんにこんなハードなイメージの車は似合わない気が…。
…いや、そのギャップが格好良いのか…?
ひとりでそんなどうでもいい事を考えていると、いつの間にか挨拶を交わし終わっていた秋と宏樹兄の視線が、揃ってこっちを向いている事に気がついた。
その表情には、僅かながらに呆れたものが含まれている。
「な…に…?」
「なに?はこっちのセリフだ、深。まだ寝ぼけてるのか?ボーっとしてないで早く来い」
苦笑いをしている宏樹兄と視線が合った瞬間、自分の考えに没頭し過ぎてまだ挨拶すらしていない事に気がついた。
何やってんだ俺…。
挙動不審に視線を彷徨わせている内に、今度は、俺達が乗り込めるように後部ドアを開けてくれていた高槻さんと目が合った。
その顔が楽しそうに満面の笑みを浮かべているのを見て、なおさら動揺。
「あ…、え…っと、スミマセン。おはようございます」
「おはよう。ほら、2人とも早く乗って」
高槻さんの言葉に促されて、秋と二人で後部座席に乗り込む。
俺がシートに座ったと同時に、運転席にいる水無瀬さんが、楽しそうに薄っすらと笑みを浮かべながらルームミラー越しに視線を合わせてきた。
「おはようございます」
「おはよう」
小さな笑いと共に返された優しい水無瀬さんの声に、ちょっとした恥ずかしさを覚える。
「よし、行くか」
最後に高槻さんが乗り込んだのを確認した宏樹兄の言葉で、真っ黒のランクルが走り出した。
運転席に水無瀬さん、助手席に宏樹兄。
後部座席は、水無瀬さんの後ろに俺、宏樹兄の後ろに秋。そして最後尾の席に高槻さんが座っている。
高槻さんは身を乗り出して俺と秋の背もたれに腕を掛け、俺達の間から顔を覗かせている感じだ。
…大型犬みたい…、なんて事は思ってても言わないけど、思わず「お手」とかやってしまわないように気をつけないと、本当にやりかねない自分がいる。
なんて冗談半分本気半分で注意事項として頭に叩き込んでいると、窓の外に見える景色が徐々に変わってきた事に気がついた。
いつもは街へ出る為に下るばかりで、学園から上がどうなっているかなんて気にした事がなかった。けれど、……そうか…、完全に山だな、これ…。
半ば感心しながら窓の外を見ている俺に、助手席の宏樹兄が肩越しにチラリと視線を向けてきた。
「2人とも、今日は思う存分癒される事が出来るぞ」
「癒し?」
宏樹兄のその言葉に、秋と顔を見合わせて首を傾げる。
癒されるって…、いったいどこに連れて行かれるんだ?
斜め後ろからは、高槻さんの楽しそうな笑い声。
…大丈夫なんだろうな…。
敢えて目的地を言わないその様子に訝しむ間にも、水無瀬さんの運転するランクルはすいすいと軽快に山道を進んでいく。
進んで進んで速度を増して、山道のコーナーを勢いよく曲がり…、
…って、
「ちょっと待って…、水無瀬さん危なっ…」
乗り心地が良過ぎて気付くのが遅れたけれど、これどういう運転だよ?!
タイヤのグリップ力限界ぎりぎりのGを感じるんですけど!
でも何故か、慌てているのは俺1人。
なんで?!
宏樹兄も高槻さんも更には秋まで、なんの問題もないように平然と乗っている。
「大丈夫だよ、深。水無瀬さんが事故るとかありえないから」
「なんで言いきれるんだよ、…って、別に水無瀬さんの運転を信じてないっていう訳じゃなくて…」
秋に言葉を返した瞬間自分の失言に気付いたけれど、そんな事を言っている間も水無瀬さんは楽しそうに凄い運転をしている。
訳がわからずに呆然としていると、後ろから頭をクシャリと撫でられた。
「高槻さん?」
「水無瀬はね、現役レーサーだから大丈夫だよ。車の扱いはお手のものだ」
「へ!?」
現役レーサー!?
運転席の水無瀬さんは…というと、俺達の会話を聞いて笑いを噛み殺したような表情をしている。
「レーサーって言ってもピンキリがいるから、そんなに驚かないように。俺は金があるからレースに出られるようなものだから」
笑いながら軽く言ってるけど、お金があったってレースに出られない人はたくさんいると思う。
「…凄いですね…」
感心して呟いたところで、ふと気がついた。
「あれ?…宏樹兄と高槻さんはともかく、…もしかして秋も水無瀬さんがレーサーだって知ってた?」
勢い良く横を振り向けば、秋に「もちろんだ」と大きく頷かれた。
そうか…、俺だけ知らなかったんだ…。
自分の物知らなさに軽くヘコむ。
その間にも、窓の外の景色は物凄い速さで通りすぎて行く。
これ…、カーブ曲がりきれなかったら落ちるよな…。
ガードレールはあるものの、その向こうは急な斜面で下が見えない。
水無瀬さんを信じてないわけじゃないけど、怖いものは怖い。
「深君、安心して。この車の限界は俺が一番よくわかってるから。タイヤのグリップ力を超えるような走りはしていないよ」
「あ…、はい、すみません。わかってるんですけど、つい…」
ルームミラー越しに俺の不安そうな様子を見たのだろう、それを払拭するような柔らかな口調で水無瀬さんに言われて、慌てて視線を前に向けた。
そんな俺を見て、他の3人が声を出さずに笑っている。
…感じ悪いぞ。
恥ずかしさも手伝って何気にムカついた俺は、今度はもう何も言わずに大人しく腰を落ち着けた。
ともだちにシェアしよう!