122 / 226

学園生活Ⅱ-32

…なんて冗談でも口走ってしまいたくなるくらい、そこは美術室とはガラリと雰囲気が変わった部屋だった。 美術室は全体的に白を基調とした静かで落ち着いた空間だったけれど、扉をくぐった先の部屋はそれとは全く違う雰囲気。 まず何が違うかと言うと、香り。 お香を焚いているのか、白檀と沈香が混ざったような…オリエンタルな落ち着く香りがする。 そして、大きくもなく小さくもない音量でゆったりとした弦楽器の民族音楽が流れている。 木の温かみが伝わってくるようなアジアン調の空間には、所々に座り心地の良さそうなソファーが置かれていて、天井から垂れ下がるいくつもの布が、まるで密林の奥深くにいるような錯覚を起こさせる。 「俺、ここに住んでもいいかも…」 思わず口走ると、隣で秋がおかしそうに笑った。 「なんだよ」 「いや…、深なら実家の部屋を簡単に自分好みに変えられるのに…って思ってね」 「そう言われれば、そうだけど…」 想像してみる。 自分の部屋がこんな感じだったら…。 「…似合わない」 「ん?」 「考えてみると、俺の部屋がこんな感じだったら色々と激しく似合わない」 そもそも俺に似合ってない。違和感ありまくりだ。 苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せて呟いた瞬間、隣で秋が突然噴き出して笑い始めた。 思いっきり笑うのは悪いと思っているのか、声を押し殺してなんとか堪えようとしているみたいだけど、その態度が余計に失礼だと気付いてほしい。 「笑うな」 「クククッ…、ごめん、なんでもない」 笑いながらなんでもないとか言われてもっ、全然説得力ないから! もう無視して一人さっさと進む事にする。 すると、秋も笑いながら後ろを着いてきた。 「…笑ってる奴は着いてくるな」 「笑ってない笑ってない」 嘘つくなーっ。 明らかに声が笑っている秋を横目で睨むと、ニッコリと微笑み返された。 どう考えても勝ち目のないやりとりに、早々に諦めの溜息が出る。 でも、そんな気分もすぐに吹き飛んでしまった。 フッと向けた視線の先に、インド調の民族衣装を着た性別不明の人が、見たこともない弦楽器を演奏している姿を見つけてしまったからだ。 この音楽は、機械を通して流されているものではなく、この人が奏でる生の音。 直接空気が震える事によって耳に届く音が、脳内に心地良い痺れを引き起こす。 横に立っていた秋が、小さく感嘆の溜息を零した。 「…凄いな…」 その呟きがこの人に向けられたものなのか、この全てを作り上げた高槻さんに向けてのものなのかはわからないけど、俺も同じ感想を抱いた。 近くにあった座り心地の良いローソファに座って、演奏とこの部屋の雰囲気を楽しむ。 このまま寝てしまいそうだ。 二人共にゆったりと目を閉じそうになったその時、ハッと現実に意識が戻った。 ここで寝るわけにはいかないだろ、まだ来たばかりなのに。 次は何処に行く? そんな問いかけをしようと隣に座る秋を見ると、まだ心地良さ気に音楽に身を浸しているようだった。 「俺、他の部屋に行こうと思うけど、秋はどうする?もう暫くここにいる?」 問いかけにゆっくりと瞼を開いた秋は、少し考えたあと、 「俺はまだここにいるよ」 そう言って少しだけ微笑んだ。 普段から多忙な秋には、この緩やかさがたまらなく心地良いのだろう。 「わかった」と頷き返して立ち上がり、優しく見送ってくれる視線を背に感じながら、新たな扉へと向かって足を進めた。 民族調の部屋を出た先にあったのは、Sの字に曲がった明るい廊下だった。 廊下の壁は全て厚みのあるガラス。 そのガラスが岩壁のようにゴツゴツしているせいで、外からの光がうまく乱反射されていてそんなに眩しくない。 こんな廊下っていいな~…なんて思いながら足を進めた先に、また現れた新たな扉。 大理石のような質感のその扉は、綺麗な浅葱色をしている。 次はどんな部屋なんだろう…。子供のようにワクワクしながら、ゆっくりと押し開いた。 「うわ…、スゴイ…」 そう呟いた後、続く言葉が出てこない。 きっとこの部屋は、高槻さんが一番力を入れた場所なんじゃないだろうか…、そう思える程に美しい部屋だった。 何が凄いって、天井以外の壁全面が水。水の壁。 「どうなってるんだろう…」 丸い形をしている部屋の中を見渡しながら、左手側の水壁に近づく。 水壁の間近に立つと、外からの光がキラキラと水を通して感じられた。 …って事は、やっぱりこの水の向こうは外?天井から水が流れ落ちて、それが壁の役割をしているって事なのか? でもそれだと、天井を支える物が何もない。いったいどういう状態になって…。 好奇心を刺激され、何気なく手を伸ばして水壁に触れようとしたその時、背後から肩越しに誰かの腕が現れて手首をグッと掴まれた。 誰もいないと思っていたから心臓が飛び出そうなくらい驚いて、声も出せずに勢いよく後ろを振り返る。 「…高槻さん…」 俺の背後、背中に触れるか触れないかのギリギリの位置に高槻さんが立って俺を見下ろしていた。 腕を掴まれるまで全く気配を感じられなかった事に、八つ当たりにも似た怒りが込み上げる。 本当にびっくりしたんだからな! ムスーっと睨み上げると、悪戯が成功した子供のように嬉しそうな笑みを浮かべる高槻さん。 「驚いた?」 「心臓が止まるかと思いました」 俺の恨み節に楽しそうに笑われてしまった。 「いるならいるって声かけて下さい」 「深君が驚く姿を見たかったんだよ」 悪趣味! 俺の周りって、なんでこうドSっぽい人が多いんだろう。 驚かされる身にもなってほしい。 そして驚きから立ち直ると、今度は掴まれたままの手首が気になってきた。 触れるほどの背後にピタリと立たれているものだから、余計に緊張してしまう。 掴まれている手首と高槻さんの顔を交互に見つめ、言外に“これ、離して下さい”と訴えてみる。 それなのに、 「なになに?そんなに見つめられると、お兄さんドキドキしちゃう」 って、もう…この人は本当に…。誰かどうにかしてくれ。 「そうじゃなくて、…手、離してくれませんか」 疲労感たっぷり溜息混じりに呟いてしまった俺は悪くないと思う。 次はどんな返事が返ってくるのか少しだけ構えてしまったけど、高槻さんは意外とすんなり手を離してくれた。 本当に軽く揶揄ってきただけらしい。

ともだちにシェアしよう!