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学園生活Ⅱ-33
「深君、この水壁がどうなってるのか気になって仕方がないって、顔に書いてあるよ」
楽しそうに言われて、そうだった…と思い出す。
高槻さんに気を取られていたせいで、この不思議な水壁の事を忘れていた。
「この仕組みを教えてくれますか?」
ワクワクしながらお願いしたのに、返ってきたのは満面の笑みと一言。
「い・や」
……宏樹兄…、この人殴っていい?
心中で問い掛けた想像の中の宏樹兄は、思いっきり頷いている。
よし。拳はさすがになんだから肘打ちでいこう。
肘を曲げ、半分だけ本気を込めた力で背後にいる相手の脇腹に打ち込んだ、
つもりだったけど…。
「はい、残念」
俺の右腕は、いともあっさりと高槻さんの大きな手に捕まってしまった。
完全に動きを読まれていたらしい。
…っていうか、さっきよりも密着度が上がってる!
気付けばいつの間にか、高槻さんの左手が俺の腰に回されている。
端から見ると“背後から抱きしめられている”としか思えない構図。
「なんで!?」
なんでこうなった!?
「な、何が?」
突然叫んだ俺に、さすがの高槻さんもちょっとだけ驚いたみたいだけど、そんな事気にしてられない。
このおかしな状況から早く脱却しなければっ。
腕から逃れようとジタバタ身を捩る俺。
それをものともせずに、難無く俺を抱き込む高槻さん。
「………」
「………ッフ!」
全くもって抜け出せないこの不本意な状況にムムッと顔を顰めた瞬間、思いっきり噴き出されてしまった。
後ろから顔を覗き込まれていたらしい。
「笑ってないで離して下さいっ」
「もう可愛いな~本当に。お兄さん参っちゃうな~」
至極嬉しそうに言われ、尚更ギュ~ッと抱きしめられる。
「黒崎君なんかやめて俺にしておきなよ。俺はお買い得だよ~」
「お買い得って何?!じゃなくて、なんでここに秋の名前が出てくるんですか!…っていうか意味わからないし!」
密着した高槻さんから微かに漂うシトラススパイシーの香りが妙に大人っぽくて、心臓がドキっと跳ねる。慌てて身を捩ったら、今度は簡単に腕の拘束から逃れる事ができた。
「そろそろやめておかないと、宏樹に殺されるぞ」
静かに響いた声。
驚いて、高槻さんの背後の方向――扉付近に視線を向けると、いつからいたのか…壁に寄りかかって腕を組み、呆れたように高槻さんを見ている水無瀬さんの姿があった。
「…水無瀬さん…」
「ゴメンね、深君。もう少し早く来れば良かった」
苦笑いしながらそう言った水無瀬さんは、寄りかかっていた壁から身を起こして、ゆったりとした足取りで歩み寄ってくる。
残念そうに嘆息する高槻さんと、ホッとする俺。
決して高槻さんの事が嫌いな訳じゃない。それどころか好きと言ってもいいくらいだ。
でも、過剰と思える程のスキンシップに戸惑いを隠せないのも事実。
「少しくらいいいだろ?宏樹の弟なら俺の弟でもあるんだから」
「お前の思考レベルはジャイ〇ンか…」
目の前まで来た水無瀬さんは、堂々と言い放った高槻さんの言葉に頭が痛そうに額を押さえた。
俺まで頭が痛くなってきた気がする
「…とにかく、宏樹がお前の事を探してたから行くぞ」
「えー!俺まだ深君と会ったばっかなんだけどー」
「えー、じゃない。…まったく…手間をかけさせるな」
困った奴だと言わんばかりに溜息を吐いた水無瀬さんは、高槻さんの襟首を後ろから遠慮なく掴んで引っぱりだした。
高槻さんの首が締まってるみたいに見えるけど…、
…きっと気のせいだな。
うん、気のせいだと思おう。
苦しそうな表情で引きずられて行く高槻さんには悪いけど、ここで引き止めたらまた俺に災難が降りかかりそうで…、にっこり笑顔で手を振りながら二人の後ろ姿を大人しく見守った。
…やっと静かになった。
扉が閉まり、室内に人影がなくなると途端に耳に入ってくる水の流れる音。
「…あ、仕組み聞くの忘れてた」
目の前の水壁に視線を向けて思い出したけれど、もう遅い。
「しょうがないな」
諦めに項垂れながら歩き出そうとしたところで、先程閉まった扉がまた静かに開いた。
まさか水無瀬さんの手をかいくぐって高槻さんが逃亡!?
冗談半分本気半分で咄嗟にそんな事を想像したけれど、開いた扉から姿を現したのは秋だった。
そうだよな…、あの水無瀬さんから高槻さんが逃れられるとは思えない。
「深、ここにいたのか。…って、なんでそんなに構えてるんだよ」
俺の姿を見た秋が、何かを感じ取ったらしく笑いながらそう言ってきたけど、まさか高槻さんだと思ったから咄嗟に身構えました…とは言えない。
「急に扉が開いたから、少し驚いただけ」
そう言って誤魔化したけど、「…へぇ…」って明らかに何かを疑っている返事には、もう笑って誤魔化すしかなかった。
その後は秋と一緒に施設内を回り、途中で合流した宏樹兄達3人と昼食をとると、また少し館内をブラブラしてから無事帰路に着いた。
「今日は有難うございました」
「また行こうねー」
「またな、深」
学園の正門前。
もう既に陽も落ちて暗くなっている中、三人に挨拶をして車から降りる。
高槻さんと宏樹兄からは笑顔で返答が、水無瀬さんは運転席から軽く片手を上げて応えてくれた。
それにもう一度会釈を返すと、黒のランクルは辺りの暗さに溶け込むようにテールランプだけを浮かび上がらせて、滑らかな動作で走り去って行った。
「楽しかった~」
「うん。宏樹さん達に感謝だな」
姿が見えなくなるまで車を見送った俺達は、自然と浮かぶ笑みのまま、今日の出来事を話しながら寮に向かって歩き出した。
side:水無瀬
深達を学園へ送り届けた大人組は、先程までの楽しかった気分に浸りながら、僅かに混み始めた主要道路へ合流した。
一瞬だけチラリと横に視線を流すと、宏樹は窓枠に片肘を乗せて、頬杖を着きながら外の景色を見ている。
普段からそんなに口を開く方ではないこの友人の、いつもの様子だ。
それはいい。
いつもと違う行動を取っているのは、後ろにいる馬鹿だ。
バックミラー越しに見た一哉の顔は、何が楽しいのかニヤニヤした締まりのない笑みを浮かべている。
「…ご愁傷様だな…」
ボソッと口の中で低く呟いた言葉に、隣にいる宏樹が反応して怪訝そうな視線を向けてきた。
けれど、よく聞こえなかったのかどうでもいいのか…、何も言わずにまた外に視線を戻して外を眺めだす。
呟いた言葉が誰に対するものなのかは心のうちに留め、少しだけ流れの速くなった周囲に合わせてギヤシフトを入れ替えた。
side:水無瀬end
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