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学園生活Ⅱ-35

†  †  †  † 「ホームルームを始める。みんな席に着いて」 朝、教室に入ってきた笹原先生が声をかけた途端に、皆大人しく素早く席に着く。 どう見ても恐怖政治。 全員が席に着いたのを確認して、笹原先生が今日の注意事項や特記事項を話し始める中、俺は何度も込み上げる欠伸と睡魔と戦っていた。 「深君。何かあった?」 前の席の薫がこっそり振り返って小声で聞いてきたけど、「単なる夜更かし」と適当に誤魔化して答える。 本当の事なんて言える訳がない。 一昨日、秋が告白されている現場を見てから何故か眠れなくて睡眠不足です…だなんて…、俺だって何が気になるのか自分でわからないのに…。 不満そうに頬を膨らませながらも笹原先生の目を気にして前に向き直った薫の様子にホッと息を吐きだし、また込み上げてくる欠伸を必死に噛み殺した。 …眠い。 ……… ………… ビシッ! 「痛っ!」 ありえない痛みを頭の側頭部に受けて思わず声を上げたものの、直後に前方から漂ってきたブリザードのようなオーラに慌てて口を噤む。 …しまった…。 「天原君。何が痛いんですか?」 「…すみません、なんでもないです」 笑顔の笹原先生ほど怖いものはない。 顔を引き攣らせながら大人しく謝る。「いえ別に」なんて言おうものなら殺されるだろう。 素直に謝った従順な態度がお気に召したのか、笹原先生はニッコリ微笑んだ後に話の続きを再開した。 ホッとしながらも全ての原因である隣の人物を見ると、その手に長い定規を持ってゆらゆらと揺らしている姿があった。 この野郎…。 横目で睨む俺を見て、フフンと鼻で笑う真藤。 更にムカついたのは言うまでもない。 「真藤~!お前って奴は!」 ホームルームが無事に終わり、笹原が教室を出ていった瞬間、席を立って真藤に詰め寄った。 いい加減に定規で人の頭を殴る癖を止めさせなければ、いつか俺の命に関わる気がする。 それなのに真藤ときたら…。 「毎回眠気を覚ましてやってる恩人に向かってお礼は?」 「定規で殴られて有難いと思った事なんて一度もない!」 「人非人(にんぴにん)」 「どっちがだよっ」 ボソッと呟くように言った真藤にくってかかるも、当の本人はそんな反論など痛くも痒くもないらしく、楽しそうにニヤリと笑うだけ。 「……僕を放っておいて二人でイチャイチャするのやめてくれるかな~」 突然聞こえてきた地の底から這うような声にビクッと振り向くと、薫が恨みがましい顔つきで真横に立ちはだかっていた。 イチャイチャなんて誰がした! と口から出かかったけれど、今の薫を見たらそんな言葉も喉の奥に引っ込んでしまう。 …怖すぎる…。 「悔しかったらお前も天原とイチャイチャすればいいだろ」 「し~ん~ど~う~」 お前は俺を殺す気かっ。 真藤の挑戦的な言葉に、薫の眼がキランと光ったのは気のせいじゃないはず。 背中をタラタラと冷や汗が流れ出す。 と同時に気がついた。 こんなフザケたやり取りに巻き込まれた瞬間から、それまでの鬱々とした気分が消えていた事に…。 二人を見ると、どうやら本格的な戦いが始まってしまったみたいで果てしない舌戦が繰り広げられている。 俺が暗い気分になっている時、決まって二人は怒らせるような事を言ったり脱力させるような事をする。 「………」 「…うわ…深君が壊れた…」 いつの間にか顔がニヤけていたらしい、薫に指を差されてしまった。 真藤までもが気持ち悪そうにこっちを見ている。 それなのに、俺は込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。 「それで?昨日からおかしい深君の行動の原因は?」 「…へ?」 午後の授業もHRも終わり、帰り支度をしながら今夜の夕食は何かなーなんて事を考えていたら、前の席の薫が突如として振り向いて話しかけてきた。 まさか薫が気にしていたとは思わなくて間の抜けた返事になってしまったけど、それにも構わず黙って俺の返事を待っている様子を見ると、本気で心配してくれている事がわかる。 「…俺の行動…そんなにおかしい?」 「うん」 ハッキリと頷かれてしまった。 これはもう、誤魔化す事はできないだろう。 見渡した教室には、すでに数人の生徒しか残っていない。 おまけにいつの間にか真藤の姿もない。 …これなら、周りに話を聞かれる事もないか。 一度だけ深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、改めて薫に向き直った。 「……――って感じの声だったから、イジメだったらマズイって思って覗いたけど、…実際は、秋が後輩っぽい子に告白されてて…。秋がモテるっていうのは知ってるけど……でも…」 「気になってしょうがないんだね」 沈黙した俺の後を引き継いで、薫が呟く。 気になるというよりモヤモヤするといった方が近い気がして「ん~…」と唸るような声を上げていると、何故か薫がクスリと笑いを零した。 その笑いの意味がわからず目を瞬かせている俺を見た薫は、何も言わず椅子から立ち上がる。 「…まぁ、追々わかると思うよ」 「わかるって…、何が?」 「今、深君がわからない事が全て、…いつかわかるから大丈夫だよ」 まるで全てがわかっているかのような言葉に、疑問だけが募っていく。 でも、薫の穏やかな笑みを見ていたら、無理に聞く必要はないか…という気持ちになった。 薫が大丈夫と言うなら、きっと本当に大丈夫なんだろう。 「わかった…。今は深く考えないでおくよ。ありがとう」 「どういたしまして。僕はいつでも深君の味方だからね~」 いつもの調子に戻った薫の様子に、小さく笑いがこぼれる。 通学バッグを持って立ち上がり、お互いに肘で小突きあいながら一緒に教室を後にした。

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