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学園生活Ⅱ-39

「離せ」 掴まれたままの手を無理やり引っ張る。 けれど、その腕は離れないばかりか、更に強い力でギリっと手首を握り込まれた。 「痛いだろ馬鹿力っ、離せよ!」 「離してもいいけど、交換条件がある」 「交換条件って…、なんで俺が」 「アンタの願いを叶えるんだから、俺の願いも聞いてくれたっていいだろ」 「…それは」 騙されている気がしないでもないけれど、言い返す言葉が見つからない。 黙ってしまった俺の態度を肯定と受け取ったのだろう、間を置かずに宮原がふざけた条件を出してきた。 「たまには、アンタから俺にキスしろよ」 「は!?なんだよそれ、意味わからないし。そんなの却下に決まってるだろっ」 「あ、そ。…それならこれは一生このままだな」 「一生って…、お前な…」 掴まれたままの腕をグイと持ち上げられて言われたセリフに、二の句が告げない。 なんで俺が宮原にキスする流れになってるんだ? 「ほら、どうすんだよ。別に俺は一生このままでも構わねぇけど」 「俺は構う!」 「それならする事は一つだろ」 「……っ…」 日も暮れてきた中庭は寒い。本気で寒い。 けれど、その感覚が吹き飛んでしまうほど追いつめられる。 宮原の事だ、離さないと言ったら本気で離さないだろう。だからといって、キスするのは無理だ。できるわけがない。 …どうすれば…。 進退窮まった状態に焦りを覚えながら、掴まれた腕を見つめる。 「見てる奴は誰もいない。これは俺とアンタしか知らない。そんな状況なのにそこまで悩む必要もねぇだろ」 不意に、そんな言葉が聞こえた。 …俺と、宮原しかいない…。誰にも…見られていない…? 心に魔が差した瞬間だった。 誰にも知られない行為なら、俺達さえ言わなければ誰にもバレず、なかったのと同じ…? 視線を上げた俺の目に映ったのは、思いのほか穏やかな表情をした、宮原の鋭く端正な顔。 あまりに穏やか過ぎて、まるで見守られているような気分にすらさせられる優しい表情。 その眼差しに吸い寄せられるように宮原に近づき、僅かに顔を傾けて目の前の唇に自分のそれを触れさせた。 触れ合った部分に暖かい温もりを感じた瞬間、ハッと我に返る。 …俺…、いま、何をした…? 自分で自分の行動が信じられない。 慌てて目の前の相手から離れようと体を後ろに引いた、…つもりだったのに、それよりも早く宮原の手が後頭部に回されて、引き戻され…。 「…っ…ん…!」 まるで食らいつかれるように言葉を奪われた。 「待っ…、や…め…っ…」 抵抗しようと伸ばした手は、宮原の片手に纏めて掴み取られ、その隙に口腔内に柔らかな舌が割り込まれる。 噛み付かれるような激しい口付けに、本能的に体は逃げの体勢に入るというのに、宮原はそれすらも許さないと…、口端から零れそうな唾液も、吐息も、全てを奪いつくしていく。 「…ん…っ…、ふ……」 最後に下唇を舐められてようやく開放された時、何よりもまず、足りなくなった酸素をめいいっぱい吸い込んだ。 「…ハァ…、ハァ…。…ふ…ざけるなよ…お前は…」 「ふざけてるのはそっちだろ。子供騙しのキスなんかで俺が満足すると思うなよ」 子供騙し…。 口元を手の甲でグイっと拭い、眇めた目で宮原を睨んだ。 毎回毎回いいように扱われて、それに翻弄されまくってる自分にも宮原にも腹が立ってしょうがない。 馬鹿な俺が一番悪いんだろうけど、それでも今日こそは言いたい事を言ってやる。 …と思ったのに、楽しそうに笑みを浮かべて俺を見つめる宮原の柔らかな眼差しに気づいた途端、口から出たのは文句じゃなく深い溜息だった…。 「……もう帰る。…なんか本気で疲れた」 「部屋まで送ってやろうか?」 「断る!…っていうか、お前当分の間俺の半径1メートル以上近寄るな!」 人差し指をビシッと突きつけてそれだけを言い捨てると、絶対に反論されるだろう事を予測してすぐさまその場から走り出した。 Side:宮原 怒りのせいか羞恥のせいか…、たぶんその両方だと思われる要因で顔を赤くして走り去った一つ年上の相手を見送った宮原は、またベンチの背もたれにドサッと寄りかかった。 …なんでこうも心をかき乱されるのか…。 一緒にいると、誰といるよりも穏やかな気分になれるし、誰といるよりも凶暴な気分にさせられる。 俺の家がどんなであっても全く態度を変えず、俺を俺としてまっすぐ正面から見てくれる相手。 「…天原…深…」 名前を口に出すと、さっき別れたばかりだというのにもう会いたくなる。 鷹宮京介、黒崎秋、真藤要に宮本薫…。 最近では、そこに前島芳明も加わっているらしい。 「まったく…、なんでそんなに大物ばっか釣り上げてんだよアンタは…」 思わず笑いが込み上げる。 けれど負ける気は全くしない。 勝負は、あと一年と少し。 あの人がこの学校を卒業するまでに、俺がいないと生きていけないと思うほどに惚れさせてやる。 そんな決意を胸に刻むとゆっくりベンチから立ち上がり、もうだいぶ暗くなった周囲にチラリと視線を流してから、両手をポケットに突っ込んでその場から歩き出した。 side:宮原end Side:鷹宮 一方、特別教室のある棟から渡り廊下へ出た鷹宮は、薄闇の空を仰いでいた。 陽は落ちて薄暗く、月明かりが辺りを照らしている。 時刻はまだそう遅くないにも関わらず、こんなにも暗い。 「冬だねー…」 そんな当たり前の感想が、口から零れ出る。 夜の景色を楽しみながら誰もいない渡り廊下を歩いていると、向かっている先の棟から誰かが出てきたのがわかった。 「探したぞ。こんなところにいたのか」 棟から出てすぐに足を止めた相手が、若干不満そうな声を上げてこっちを見ている。 「桐生…。こんなところで悪かったね、今までしっかり仕事してたのに労いの言葉はないわけ?」 「あ~悪かった。お疲れさん」 「うわ…、どうでもいいようなその言い方…」 いつもと変わらない不遜な態度に呆れつつも、笑いがこみ上げてくる。何をしてても桐生は桐生だ。まったくブレない。 目の前まで行けば、桐生が呆れた表情を浮かべていることがわかった。 「なに、その顔」 「中庭から天原が走って出てきたっていうのに、お前はのん気だなーと思ってね」 「え?…深君がなに?どうした?っていうか先にそれ言えよ桐生」 こっちが動揺するのを楽しんでいるんだろうけど、今はそれに文句を言っている場合じゃない。 「それで?どっちに向かったの」 「ん~…確かあれは月宮の…」 「森ね。了解。ありがとう」 悪いとは思いつつも、桐生の言葉を途中で遮る。横を通り際に軽く肩を叩いて礼を言い、月宮の森に向かって歩き出した。 side:鷹宮end

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