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学園生活Ⅱ-48
「…どうしたの?」
「鷹宮さんが、風邪で寝込んでるって聞いたんですけど」
真剣に問いかけると、鷹宮さんは微妙に嫌そうに眉を寄せて「…桐生か…」と呟いた。
そこでやっと気が付いた。掴んでいる鷹宮さんの腕が熱い事に…。
「鷹宮さん、ちょっとすみません」
先に謝りながら掴んでいた腕を放して、額に手の平を押し当てる。
「…熱…い…、…じゃないですか!もう何でそんな普通にしてるんだよ、信じられない。何でもいいから早く寝ろ!」
額の熱さに驚いて、思いっきり素で怒鳴ってしまった。
でも、今はそんな事気にしている場合じゃない。とにかく休ませないと。
腕を掴んでベッドルームまで強制的に連行する。そして、大人しくされるがままになっている鷹宮さんを無理やりベッドの中に押し込んだ。
「熱はしっかり測ったんですか?っていうかもう、なんでもっと辛そうな顔しないんですか!そんなんじゃ見てる方はわからないですよ!」
心配のあまりに八つ当たりともいえる言葉を吐きながらも、大人しくベッドに横たわった鷹宮さんを見て少しだけ安心する。
…薬、飲んだのかな…。この様子だと飲んでない可能性の方が高いよな?
ベッドの脇に立って次なる疑惑に頭を悩ませていると、それまで黙っていた鷹宮さんが突然フフッと笑った。
「なんですか」
「ん、いや…、深君がタメ口で怒ってくれたから嬉しくて」
「はぁ…そうですか…」
怒られて嬉しいって…。
なんかもう、妙な疲労感に反論する気も起きない。
そんな俺に気づいたのか、鷹宮さんが少しだけ真面目な口調でゆっくりと話し始めた。
「…どれほど体調が悪くても、それを周りに気取られるような真似はできないんだよ、僕は」
「…え?」
「ローゼンヌの役者として、そしてオーナーの息子として…、甘えた態度を見せたら足元をすくわれるし、僕も他人に弱みを見せたくない。舞台では、体調が悪いなんて迷惑以外のなにものでもないからね。だから日頃から、何があっても平静を装えるように自分で自分を律している。…それに何より、月城での立場的にも、僕が平然としていなければ周りの人間が不安になるだろ?」
そう言って微かに笑みを浮かべる鷹宮さんに、キリッと胸が痛くなった。
この人は、どれだけのものを内面に抱え込んでいるんだろう。
どれだけのものを、我慢しているんだろう…。
…でも…。
「…俺は…、鷹宮さんの弱みを見たからといって足元をすくう事なんてしないし、こんな単なる後輩に、そんなつまらない気を使う方がよっぽど無駄な事です。…たまには、他人の事ばかりじゃなくて自分を甘やかす事があってもいいんじゃないですか?」
どこまでも孤高であろうとする鷹宮さんに、悲しさが込み上げてきた。
この人には、いつでも自信を持って遠慮なく周りを振り回すような存在でいてほしい。
心の底から「人生を楽しんでます」って、偽りじゃなく本気で楽しんでいてほしい。
表向きはそう見えても内面はそうじゃないなんて、それを誰にも見せないでいるなんて…、そんなの絶対にイヤだ。
切なすぎるだろ。
「…深君」
「はい。…って…え?」
突然呼ばれた自分の名前に反応して顔を上げた瞬間、手首をグイッと掴まれた。
真剣な表情を浮かべた鷹宮さんの鋭い眼差しが突き刺さり、先程まで浮かべていた小さな笑みとは真逆の空気に、思わず息を飲む。
…な…に…?
意味がわからず固まっていると、更に強く腕を引かれて思いっきり体勢を崩してしまった。
そして、上半身を起こした鷹宮さんの腕に絡め取られ、そのまま腰を抱き寄せられてベッドに引きずり込まれてしまう。
抵抗する隙もない、あっという間の出来事。
細身に見える相手の意外な力強さに、仰向けになったままただ目を見張るのみ。
「…たか…み…や…さん?」
片肘をベッドに着いて上半身を支え、もう片方の腕で俺を抱きこんでいる鷹宮さんの体温が、沸騰しそうなくらい熱い。
「甘えてもいいんだよね?」
「え……あ…、そう…ですけど…、あの…」
覗き込んでくる甘さを含んだ眼差しから、目が離せない。
風邪のせいか、いつもより熱い吐息と僅かに潤んだ瞳が、凄まじい色気を放っている。
腰に回されていた手がするりと撫であがり、その指が優しく頬に触れる。
下唇の形を辿るように親指が動かされた瞬間、くすぐったさにビクッと首を竦めてしまった。
鷹宮さんの視線は俺から離れず、まるで何かの魔力をかけられているかのようにその瞳から目を逸らす事が出来ない。
「僕が安心して甘えられるのは、キミだけだ…。キミ以外の誰にも甘えたくないし、弱味を見せたくない。…僕に、安らぎを与えてほしい」
耳元で、低く艶やかに…囁かれるように言われて思考能力が麻痺した。
もう、どうしたらいいのかわからない。
俺は、そこまで言ってもらえるほど信用に値する人間ではないし、人に安らぎを与えられるような人間でもない。
………でも。
不意に気付いてしまった。
鷹宮さんの瞳の奥に、悲しい影が潜んでいる事を…。
それを間近で見てしまったら、どうしてもその影を取り除きたくなる。取り除きたいと思ってしまう。
あまりに切ないそれが、ギュッと胸を締め付ける。
だから俺は、頷いた。とても小さく。顎を引くだけの。
一瞬目を瞠った鷹宮さんは、次の瞬間、まるで花がほころぶように優しい微笑を浮かべ……。
…しっとりと甘く唇が重なった…。
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