145 / 226

第五章 冬休み1

†  †  †  † 「おかえりなさい!」 「ただいま。香夏子姉」 家のドアを開けた瞬間、いつから待っていたのか…玄関口に立っていた香夏子姉が満面の笑みで出迎えてくれた。 相変わらずのフワリとした優しい空気に、心が解けるような安らぎを覚える。 「寒かったでしょう?早く中に入って」 靴を脱いだ瞬間、「早く早く」とばかりに背中を優しく押してくる仕草に、自然と顔が緩んでしまう。 年上なのに、時折見せる無邪気な様子が本当に可愛い。 「とりあえず部屋に荷物を置いてくるよ」 そのままリビングに連れて行かれそうになって慌ててバッグを持ちあげて見せると、自分のはしゃいだ行動に気づいた香夏子姉が「急かしすぎちゃったわね…」と恥ずかしそうに頬を染めて呟いた。 俺の帰省を心から喜んでくれているのが伝わる様子に、ふっと笑いがこぼれ落ちる。 それに気がついたらしい香夏子姉は、恥ずかしさを通り越したのか八つ当たりを開始した。背中をビシビシと叩かれる。 けれど、香夏子姉の細腕で叩かれても痛さなど微塵も感じない。 華奢な二の腕を宥めるように軽く叩いてから、「30分で片付けるからちょっと待ってて」と告げ、二階へ向かう階段に足を向けた。 部屋に戻り、荷物をある程度片付けてからリビングへ行くと、テーブルの上には数々のお菓子とコーヒーが並べられていた。 一見買ってきた物のように見えるけど、俺にはわかる。これ、香夏子姉の手作りだ。 香夏子姉が高校生の頃は、よくこうやって作ってくれたのを思い出す。 「懐かしいー」 最近は忙しいらしく、趣味のお菓子作りが全然できないと嘆いていたのを思い出す。 だから俺も、香夏子姉のお菓子を食べるのは久し振り。 嬉しくなって早々にソファーへ座る俺に合わせて、キッチンにいた香夏子姉もすぐにリビングに戻ってきて向かい側に座った。 「今日帰ってくるって言ってたから、たくさん作ったの。新作もあるから、食べてみて」 「ありがとう。香夏子姉の作るお菓子は本当に美味しいから俺大好き」 そう言って遠慮なく次々にクッキーやフィナンシェを口に放り込む。 正面に座った香夏子姉は、手が止まらない俺を見てすっごく嬉しそうに微笑んでいる。 そんな笑顔を見ると、美味しさも更に倍増するから不思議だ。 「…そういえば」 けれど、不意に聞こえたそんな呟きに、お菓子を食べる手を止めた。 何か思い出した事があったらしく、香夏子姉は両手をポンっと叩き合わせてからその手を組み合わせ、ちょこんと首を傾げた。 そして、 「明日、咲哉君が来るって言ってたわよ」 そんなろくでもない事をサラッと告げる。 「へぇ…、そう…。……って、え!?は!?どこに!?」 「やだ、深。目が零れ落ちそう」 爆弾発言をしてくれた本人は、驚きに目を見開いた俺を見てクスクス笑ってるけど、それどころじゃない。 「まさか…、うちに来るわけじゃないよな?」 「なに言ってるのよ。そんな…」 そうだよな…、いくらなんでもうちに来るわけじゃないよな。 「うちに来るに決まってるでしょ?」 「………」 ……どうして決まっちゃってるんでしょうか…。 無邪気に笑う香夏子姉とは逆に、思いっきり両肩を落として溜息を吐いた俺だった。 翌日。 暗雲を背負っている俺とは違い、外は気持ちが良いくらいの晴天。 部屋のカーテンを引き開けて早朝の綺麗な空気を味わおうとしたけれど、数時間後に来るだろう相手を思い出すとそれどころではなくなる。 爽やかな朝が憂鬱な朝に早変わり。 「咲哉がうちに来るなんで珍しいどころか、まずないだろ。…絶対何か企んでる…」 従兄弟としてライバル意識でもあるのかなんなのか、咲哉はあまり宏樹兄の事を好きではないみたいで、うちに来ることはほとんどない。 それなのに突然来ると言いだした裏には、絶対何か良からぬ企みがあるに違いない。 …それも俺絡みで…。 そんな予測がつくだけに、もう既に今から疲労感でいっぱいになる。 起きぬけだというのに、魂が抜けてしまうほどの深い溜息を吐いた。 午後3時。 とうとうその時がきてしまった…。 リビングで一人、ボーっと紅茶を飲んでいるところに、家政婦の沢村さんが顔を出した。 「西条様がお見えになりました」 「……わかりました。俺が部屋に案内するから、沢村さんはいいですよ」 「はい、それじゃあお願いします。お飲み物はどうしますか?」 「どうせすぐ帰るからいらないです」 「わかりました」 すぐ帰るから…というか、すぐ帰らせるから…の方が本当は正しい。でも、沢村さんは律義に頭を下げてリビングから出て行った。 それと同時にソファから立ち上がって、玄関へ向かう。 重い足を引きずるように廊下を進むと、俺が声をかけるよりも先に咲哉がこっちに気がついた。 すでに沢村さんにコートを預けたらしく、カジュアルパンツにニットというラフな姿。 「今日は、お前に大事な話があってきた」 「そんな事だろうと思ったよ。俺の部屋でいいよな?」 「もちろん」 穏やかに微笑む顔からは、とても鬼畜な本性は垣間見えない。 いったい何匹の化け猫を背負ってるんだ…。 公の場でその猫を引き剥がしてやりたい!なんて事を思いながら、咲哉を伴って二階の自室へ向かった。 「それで?良くない話って何?」 部屋に入って早々、咲哉がドアを閉めた瞬間に即座に問い質す。 これには、さすがの咲哉も苦笑いを浮かべた。 「良くない話だなんて俺は一言も言ってないぞ」 「良くない話に決まってるだろ?いいから早く言えよ」 さっさと話を終わらせて、さっさと帰ってもらおう。そんな考えでいたけれど、咲哉はそういうつもりはないみたいだ。 俺の横を通って、勝手にベッドに腰をおろしている。 軽く足を開き気味に座り、その膝の上に軽く組んだ手を置いて前屈みに俺を見るその姿。悔しいけれど、惚れぼれするほど格好良い。 思わず魅入ってしまった視線の先で、その本人がフッと笑った。 まるで、俺が見惚れていたのがわかったかのような笑いに、自己嫌悪より何よりも腹立たしさが湧き起こる。 「…なんだよ」 「いや、なんでもない。…それより、お前も座れ。このままじゃ落ち着いて話ができない」 咲哉の横を顎先で示されたけど、座りたくない。でも、座らないと話が進まない。 内心で葛藤と戦った末に俺が取った行動は、咲哉よりも2人分ほど距離を開けて座る事…だった。 小さな抵抗だけど、大人しく真横に座るよりいい。 それを見た咲哉は、俺の考えなど全てお見通しなのか、何も言わずに笑っただけ。

ともだちにシェアしよう!