150 / 226
冬休み6
「………」
「………」
何も言わない秋との間に張りつめた沈黙が横たわる。
静寂が耳に痛い。
目を合わす事が怖いけど、ずっと逸らしている訳にもいかない。
一度小さく深呼吸をしてから隣に座る秋を見ると、鋭く刺さるように見つめてくる双眸とぶつかった。
「秋…、あの…」
「何があった?」
「……っ」
「何もないのに突然部屋が変わるなんて、そんな事はありえない。……理事長との間に何かあった?」
「そ…れは…」
厳しい顔で黙っていた秋は、冷静にいろいろな事を考えていたのだろう。
最初に咲哉の事を口にするあたりは、さすがだと思う。
なんの前触れもなく突然部屋を変える事が出来て、なおかつ俺に関連する人物…、そこから導き出されたのが理事長である咲哉。
鋭い秋に誤魔化しはきかない。…でも、どう言えば…?
一昨日の出来事が脳裏をよぎる。けれど、あんな事を言えるわけがない。
寮部屋を変わりたくないなら咲哉のものになれと言われた。答えられないでいたら、襲われそうになった。…なんて、絶対に言えない。
でも何か言わなければ…。
唇を開き、でも言葉が見つからずまた閉じる。
結局何も言えずに黙り込んでいると、隣から更なる強い視線と共に苛立ちのような気配を感じた。
本能的に体が逃げようとし、咄嗟にソファーから立ち上がる、…けれど。
「…ッ!」
見える景色が反転し、背中が柔らかい衝撃に包まれた。
一瞬ギュッと閉じてしまった瞼。混乱しながら恐る恐る開いた目に映ったのは、上から覆いかぶさるように俺を見下ろしている秋の姿だった。
掴まれた肩が、その力強さにギシッと悲鳴を上げる。
「秋ッ、痛い」
「…何か言えないような事でもあった?」
痛さを訴えても離してもらえず、眇められた双眸と硬質な響きをもつ冷たい声に、無意識に体が硬直する。
息が…苦しい。
「…別に何もな、」
「深!」
「……」
「…嘘はいらない…」
温度のない静かな声に、もう誤魔化すことはできない事を悟った。
秋の下から逃れようとしていた動きを止めて、全身の力を抜く。
…どこから話せばいいんだろう…。
咲哉に持ちかけられた選択の事を言うとなれば、なぜそんな話が出たのかを説明しなければならない。
そうすると、咲哉の耳に入っていたらしい俺と秋の仲違いの噂の事も言わなければならなくて…。
それに、鷹宮さんや宮原との噂も。
頭の中で、走馬灯のように色んな事が浮かびあがっては消えていく。
そして…、
覚悟を決めた。
一度深呼吸して、秋の瞳を見つめる。
「……一昨日、咲哉がうちに来たんだ。その時、俺と秋の関係が上手くいってないとか色々周囲に噂されてるって事を咲哉が指摘してきて…」
「あぁ…、確かに。俺たちの間が上手く噛み合ってなかったのは事実だ」
俺の言葉に秋もその時の事を思い出したらしく、苦々しい顔で肯定する。
「だから咲哉は、このまま俺と秋が同じ部屋にいても良い事は何もないって…」
「………」
何か思うところがあったのか、秋が一瞬だけ目を伏せた。その間に、深く息を吸い込む。
…ここからが一番言いたくない部分。でも、言わなければ秋は部屋を変わることを納得しないだろう。
緊張と焦りで息苦しくなる感情を押し殺して、震えそうになる唇を開く。
「俺は、イヤだって拒否した。もう秋とも仲直りしたし、これからはそんな事にならないから大丈夫だって。…そうしたら、咲哉が一つ提案してきたんだ」
「提案?」
そこで秋の顔が訝しげに変わった。少しだけ眉間に皺を寄せて、警戒するような表情。
「部屋を変わりたくなければ…………、咲哉のものになれって…。それが無理なら、大人しく部屋を変われって…」
「………」
秋の全身から一気に怒りのオーラが放たれた。奥歯をグッと噛みしめ、何か言い出したい言葉をこらえているようにも見える。
とうとう言ってしまった…という諦めにも似た感情と、背負っていたものを下ろせた安堵感。
そして、秋の本気の怒りに竦む体。
殺気にも似た凍てつく気配に、これ以上言葉を紡ぐことができなくなる。
あとは秋がなんて言うか…、待つのみ。
まるで、断罪される罪人の気分で、ひたすら沈黙に耐えた。
数分後。ようやく秋の口から零れたのは、凄く悔しそうな…、それとも泣き出しそうな…、そんな判断のつかない重く沈んだ複雑な声だった。
「…深は…、部屋が別になっても、……俺と離れても、なんとも思わない?」
「なっ…に言ってんだよ!そんなわけないだろ!?………俺は…、部屋にしがみつくよりも、咲哉のものになる方がイヤだったんだ。もしそうしたら、そうなったら秋に…っ…」
思わず片手で秋の襟元を掴み引き寄せて言い募ったものの、途中でクッと唇を噛みしめて声を押し殺す。
激情に任せて、思わぬ事まで言ってしまうところだった。
『咲哉のものになってしまったら、もう秋に想いを告げる事すら出来ない』
秋に「俺と離れても何とも思わない?」なんて言われたせいで、そこまで言ってしまいそうになった。
好きな相手に誤解される事ほど辛い事はない。
おまけに、いま目の前には秋の悔しそうで悲しそうな表情があって、その原因は俺で、そして、もうどうにも出来なくて…。
掴んでいた秋のシャツをそっと離す。
咲哉に対する怒りと、何もできない自分に対する怒り、秋に対する申し訳なさ。
行き場のない感情が体中をグルグル回って眩暈がする。
それとは別にもう1つ。…不謹慎な感情が湧いたのも事実で…。
秋が、俺と離れる事を悲しんでくれている事に、ほんの僅かな嬉しさを感じた。
そんなグチャグチャな感情のまま秋を見ると、さっきまで苦しそうな表情を浮かべていた秋の顔に、何かを思い悩むような色が加わっていた。
「……深…」
躊躇いがちに名前を呼ばれて、ふっと頭にとある考えがよぎる。
もうこれで部屋が変わって離れ離れになるなら…、もしかしたらもう話す事もなくなるかもしれないなら…、ここで自分の想いを全て告げてしまおう…と…。
絶対に叶わない想いを告白するのは、かなりの勇気がいる。本当は何も言わずに逃げ出したい、けど、それをしたら俺は一生この時の事を後悔する。
なんで秋に自分の気持ちを言わなかったんだって………、絶対に後悔する。
気持ち悪がられるかもしれない、迷惑だと思われるかもしれない…。
そう考えるだけで苦しくて、目尻にたまった涙がほろりと零れ落ちる。
でも、後悔しないように。…伝えるなら、今しかない。
ともだちにシェアしよう!