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冬休み12

真正面にいる水無瀬さんも、俺から妙な強張りが抜けたのを感じ取ったのか、さっきよりも幾分か話しやすそうに続きを話し始めた。 「この前、咲哉さんがここに来たんだって?彼が帰る時に、どうやら香夏子ちゃんと玄関で会ったみたいなんだ。その時の咲哉さんの様子がいつもと違っていたから、心配してどうしたのか聞いてみたら…」 「…俺との事を言ったわけですか…」 あんな事を身内に知られるなんて、本当にもう死にたくなる。 けれど、唇を噛みしめて俯こうとした俺に、すかさず水無瀬さんから否定の言葉が飛んできた。 「それはちょっと違う」 「…え?」 「あの咲哉さんが、例え従妹とは言え、そう簡単にプライベートな事を話すわけがない」 「…あぁ…確かに、そうですね」 言われてみればそうだ。咲哉が素直に答えるはずがない。少し考えればわかるのに、なんかもう動揺しすぎて、いつもなら気付くそんな事にすら頭が回らない。 でも、それならどうして香夏子姉は…。 目線だけで尋ねると、水無瀬さんは一瞬だけ隣の高槻さんと視線を合わせた。その眼差しが僅かに緩んだように見える。そして、またこっちを向いて話しだした内容は、驚くべきものだった。 「香夏子ちゃんも宏樹も、咲哉さんが深君の事を特別気に入っている事には気が付いていたんだ。その咲哉さんが君の部屋から出てきて深刻な顔をしていれば、香夏子ちゃんも二人の間に何かあったと気がつく。…だから彼女はハッキリ言ったらしいんだ、咲哉さんに」 「言ったって、何を…」 思わず唾をゴクリと飲み込んだ。あのホワホワした香夏子姉が、あの咲哉にハッキリ何かを言うなんて想像がつかない。 いつの間にか無意識に握りしめていた掌に、汗が滲んでいる。 「『いくら咲哉さんでも、深を傷つけたり悲しませたりしたら許さないから!』…って、彼女、面と向かって啖呵をきったらしいよ」 「えっ」 そんな強気で喧嘩ごしの発言をしている香夏子姉なんて、今まで見た事も聞いた事もない。 驚き過ぎてそれ以上言葉が出ないでいると、一口紅茶を飲んだ水無瀬さんがフッと表情を緩めた。 「香夏子ちゃんも大事な弟を守りたくて必死なんだよ。今回は咲哉さんが相手だろうと一歩も引かなかったって言ってた。…で、その彼女の必死さが咲哉さんにも伝わったんだろうね、言葉少なくはあったみたいだけど、自分が深君に無理難題を押し付けて傷つけたと香夏子ちゃんに話して、そのあげくに、怒って泣く寸前の香夏子ちゃんに頬をバシッと叩かれて帰ったみたいだよ。…でも、咲哉さんもさすがというか…、香夏子ちゃんのその手、避けようと思えば出来たはずなのに避けずにそのまま叩かれたっていうから、やっぱり凄い人ではあると思うけどね」 「………」 咲哉の頬を殴る香夏子姉にも驚きだけど、それを避けずに受け止める咲哉にも驚いた。俺の前ではそんな殊勝な態度を見せた事は一度もないのに。 もしかして、あの件は咲哉にも何かの傷を残したんだろうか…。 そう考えると、俺の前では絶対に弱味を見せない咲哉の内面が、ひどく気になった。 …俺が思っているよりも、咲哉は…。 俺様のようでいて、結局、最終的にはどこかで折れてくれる咲哉。 考えてみれば、いつもそうだった。 あまりに普段の俺様部分が目立つせいで気づいていなかったけど…、…俺が本気でイヤだと言えば、なんだかんだで逃げ道を用意してくれていた。 「…咲哉って…もしかして…」 俯かせていた顔を上げて水無瀬さんと高槻さんを見る。 二人は同時に頷いた。 「彼はかなり誤解されやすいけど、根の部分は優しい人だと思う。…今回の事、俺と一哉は直接関わってないから何もできないけど、ただ、その事によって香夏子ちゃんが凄く心配してた事と、咲哉さんが黙って香夏子ちゃんに殴られた事は、深君は知っておいた方がいいと思ってね」 「あの二人がそんなやりとりをするくらいの出来事があったって知って、深君は大丈夫かと心配になったんだよ。宏樹に言ったら、アイツ本気で怒って咲哉さんとこに殴り込みに行きそうだろ?だからいない時を狙って来たのさ」 水無瀬さんと高槻さんの言葉を茫然としながら耳に入れた。 …本当にもう、俺の周りってなんでこう優しい人ばかりなんだろう…、泣きそうだ…。 熱くなる目頭に力を入れて、必死に涙が零れないようにする。それなのに、高槻さんはちょっとだけ上体を倒して俺の顔を覗き込んできた。 「それで?俺がいちばん気になっている“深君の心の傷”は……大丈夫なのか?俺達にできる事があればなんでも言えよ?可愛いキミの為なら例え火の中水の中、いてっ!」 突然高槻さんの顔が前のめりになった。隣から水無瀬さんが遠慮なくその後頭部を叩き飛ばしたようだ。 相当強い力だったのか、殴られた後頭部に手を当てている高槻さんの目に涙が浮かんでいる。 どうしよう、笑いそう。 「お前っ、何すんだよ!人がせっかく良いこと言ってる時に!」 「お前の場合はふざけてるとしか思えないんだよ。どうせならもっとまともな事を言うんだな」 「じゅうぶんまともだっただろ?!」 言い返している高槻さんを尻目に、水無瀬さんはフイっと顔を背けて『何も聞こえません』という顔をしている。 その途端に、コノヤロウ…とばかりに顔を引き攣らせる高槻さん。 もうダメだ。 「…ブッ…アハハハハハっ!」 堪え切れずに噴き出した。さっきまでとは違う別の涙が出てくる。 「可愛い顔で人の不幸を思いっきり笑ってくれちゃって…」 「自業自得だな」 「お前のせいだろっ!」 素晴らしいコンビプレイに腹が捩れまくる。 毎回水無瀬さんに叱られてる高槻さんが不憫なように見えるけど、よく考えたら振り回されてる水無瀬さんも不憫だ。 傍から見てる分には物凄く面白い。 そして、なんとか笑いを抑えて顔を上げた俺の視界に映ったのは、憮然とした表情で拗ねている高槻さんと、優雅な顔で紅茶を飲んでいる水無瀬さんの姿だった。 さすがだ…。 俺が水無瀬さんを尊敬したのは言うまでもない。 「長々とお邪魔して悪かったね」 「今度は誰にも邪魔されないように二人で遊びに行こうな!いつでも携帯に電話してくれていいから」 最後までブレない高槻さんに笑顔で「はい」と返事をしたら、水無瀬さんに「高槻を甘やかすな」と呆れられてしまった。 でも、気付けばいつも甘やかされているのは俺の方で、本当にこの人達は人を甘えさせるのが上手いな…と思う。 おまけにお年玉までしっかりもらってしまった。 見送らなくていいという二人の言葉を押し切って、門の外までしっかりと見送って家に戻ると、その30分後に宏樹兄と香夏子姉が戻ってきた。 あの二人は本当にタイミングがいいな。 運の強さに感心してしまった俺だった。

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