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学園生活Ⅲ-4

数分後、ようやく笑い終えた秋が、疲れたのか深呼吸して顔を上げた。 『さすがにこれは片付けた方がいい』系の事を言われるのは間違いない。 って思ったのに、 「頑張ってるね。でも、あまり無理するなよ?俺で手伝える事があれば言って」 「…秋…」 目元を弛めた穏やかな微笑みと共に言われた言葉に、目を瞠った。 まさかそんな事を言ってくれるなんて…。 言葉と微笑みから、優しさが痛いほど伝わってくる。 途端に、秋が来る前に感じていた緊張感が蘇って、心臓がドキドキしてきた。顔が熱い。 うわーーっ、なんか恥ずかしくなってきた!秋の前から消えたい、隠れたい! そういえば、あのクリスマスの出来事以降、こうやって二人きりで話をしたのは今が初めてだ。 ダメだ、思いだすと全てが恥ずかしい。どうしよう。 「…深?」 真っ赤になっているだろう顔を隠そうと俯いた俺に、秋が怪訝そうは声を発する。 「なんでもない…から」 ………って言ってるのに近づくなー! ソファーの背もたれに寄り掛かっていた秋がゆっくり歩いてくる気配に、心臓が破裂しそうに暴れだす。 こんな顔絶対に見せられない。血の気よ早く引いてくれ!神様お願いッ。 無茶苦茶な願いを見ず知らずの神様に願いながら、俯いたまま背後にある机の縁をギュッと握りしめる。そうでもしないと咄嗟に走って逃げそうだ。さすがにそれはできない。 「…俺の顔、見たくない?」 でも、俺のそんな態度に、目の前に立った秋が少し寂しげに呟いた。 誤解されたじゃないか!俺の馬鹿!! 「違っ…!………あ……」 …うん…、ほんと馬鹿だ、俺…。 急いで顔を上げた俺の眼に映ったのは、言葉とは裏腹に楽しそうな笑顔の秋。 詐欺…だよな…、うん…。あぁ言えば俺が慌てて顔を上げるとわかって言ったな…。 「…ずるくない?」 「顔、赤いよ?」 「………」 そう言われて頬に手を当てられてしまえば、もうどうする事も出来ない。 机と秋に挟まれている状態で、温かな手の平が頬を覆う。 そして、間近で覗きこんでくる端正で知的な顔。 「…ちょ…、ちょっと離れてもらえますか」 片手で秋の肩を押すようにしながら、何故か敬語の俺。 でも、その手すら秋に掴まれてしまった。 代わりに、頬に当てられていた手が離れた訳だけど、…状況的には何の変わりもない…。 絡み合った視線を外そうと顔を横に逸らした。…瞬間。 「…なっ…に…」 握られていた手の甲に、温かく柔らかい何かが触れた。 秋の口元まで持ち上げられた俺の手の甲に唇が押しあてられ、それはまるで口付けられているかのようで…。 「秋!……っ…ン…」 名前を呼ぶと同時に掴まれていた手を引っ張られ、今度は唇が柔らかい何かで塞がれる。 最初は優しく啄まれ、そして徐々に貪るような強引さが加わり、弛んだ隙間から舌が入り込んできた。 あまりに急で咄嗟に抗おうとしたけど、すぐに体の力を抜く。 いつの間にか背に回されていた腕に抱きしめられて、秋の体温を感じながら甘い口付けを受け入れた。 こちらの反応を確かめるようにゆっくりと口内を舐る舌に、恥かしくも鼻から抜けるような声を上げてしまう。 そうすると、秋の動きがほんの少しだけ強引になる。 腕に力がこもり、より深く貪られる唇。 夢中でお互いを堪能し、ようやく心が満たされて離れた時には、呼吸が荒く乱れてしまっていた。 いまだ鼻先が触れるくらいに近い状態で見つめ合い、同時にフッと笑う。 なんて幸せな時間…。ずっとこうしていたい。 「……久し振りだね、深」 「うん…、今までは忙しくても部屋に戻れば会えてたから。本当に久し振りな気がする」 秋の肩に額を乗せて、目を閉じる。 鼻孔をくすぐる柑橘系の香り。あまり高くはない秋の体温。 それらに包まれて、安堵感に全身から力が抜ける。 「生徒会の方は、うまくいってる?」 「うん。俺以外のみんなが凄く頼りになるおかげで、色々助けてもらってる」 耳元で優しく囁く秋の言葉に、目を閉じながら静かに答える。 生徒会の仕事は今秋に言った通り、会計の中原・若林、書記の管野原が素晴らしいサポートをしてくれている。 そして何より一番驚いたのが、副会長になった前嶋だ。 いつもは薫に苛められてヘラヘラしている姿しか見た事がなかったから、ずっとそういうイメージを持っていたけど、副会長としての仕事を始めた途端その空気がガラリと変わった。 生徒会役員として動いている時の前嶋は、ヘラヘラ笑う事もなく冗談を言うでもなく至極真面目で厳しい人格となる。 最初見た時は驚いた。同じ顔をした別人かとも本気で疑ったくらいだ。 でも、その前嶋に慣れると逆にとても頼もしい。 最近では、仕事の事を前嶋に相談する事も多くなってきた。 ただし、オンオフのスイッチがハッキリしているらしく、仕事から離れた途端にヘラリと元に戻るけど…。 思い出してフッと笑いを零すと、それを聞きとめたらしい秋が不思議そうに問いかけてきた。 「なんの思い出し笑い?」 「ん?…いや…、前嶋が思っていた以上にしっかりしてたからビックリして」 「あぁ…なるほど…」 もしかして秋も前嶋のその性質を知っていたのかもしれない。納得したような言葉のあとに、小さく笑い声をあげた。 秋のその穏やかな声を耳元で聞いて、優しい温もりに包まれて、…安心したのかな…、意識がふわりと微睡みそうになる。 秋ともっといろんな会話をして、もっとたくさんの時間を共有したいのに、眠気がどんどん襲ってくる。 「深…?眠い?」 「…う…ん…、なんでかな…ごめん…」 「連日の仕事で疲れてるんだよ。このままベッドに運ぶから、安心して眠ればいい」 低く甘い囁きの言葉と同時に体が宙に浮いた。 膝下と背中、横腹に当たる感触で、自分が横抱きで抱えあげられた事がわかったけれど、秋に守られているような安心感からか、もう目を開ける気がおきない。 暫くして、柔らかい場所へ静かにおろされた。たぶんベッドだ。 「おやすみ、深」 「…ん…」 額と目元、そして唇に秋の口付けが優しくおりたところで、それまで保っていた意識が底のほうに沈んでいき…、静かで穏やかな眠りの世界に落ちていった。

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