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学園生活Ⅲ-10
走るまではしなくても、足早に廊下を進んで辿り着いたのは、
【生徒指導室】
藤沢はいないかもしれないけれど、教頭は確実にここにいるだろう。
扉の前で一度立ち止まり、前嶋と顔を見合わせて頷き合ってから静かに扉を開いた。
「失礼します」
「失礼します!」
室内に入ると、パーテーションで区切られた奥の指導部屋から、二年の学年主任が顔を覗かせた。
俺と前嶋の姿を見て、それまで厳しかった表情を少しだけ緩める。
「おぉ、生徒会コンビ、さすがに早いな」
体育会系のがっしりとした体つきの学年主任――松川先生は、軽い口調でそう言いながら片手で手招きしてきた。
それに従い、幾つかの指導部屋の横を通って一番奥まで足を進める。
人が一人通れるくらいに開けられている入口から部屋の中を覗き込むと、ムスッとした様子の教頭が、腕を組んでパイプ椅子にふんぞり返るように座っている姿があった。
相当お冠のようだ。
見渡しても藤沢の姿がない、という事は、とりあえず寮に帰されたのだろう。
「松川先生。いったい何があったんですか?」
「あ~…、そうだな…。ちょっとこっち来い」
教頭の光った頭にチラリと視線を向けた松川先生は、俺と前嶋を、隣の更にその隣の個室に招き寄せ、教頭に声が聞こえないようにという事なのか…耳を寄せなければ聞こえない程の小声で事件のあらましを教えてくれた。
それは、こんな内容だった。
授業が終わり、皆がそれぞれの部活や遊び、寮に戻るなどして放課後を過ごしている最中、理由はわからないけれど、何故か藤沢が一年の教室に姿を現した。
そこで、東條珪司 という、一年の中でも上流階級として有名な家柄の生徒と話をしたかと思えば、突然、藤沢が東條に殴りかかった。
それに気付いた周りの一年が、藤沢を羽交い締めにしてその暴力行為を止めた。
それが、今のところわかっている事件の全容との事。
さっきまでこの指導室にいた藤沢に理由を聞いても、うんともすんとも言わずに沈黙を貫き通し、殴り飛ばされた東條に至っては、東條家の御曹司という事もあって大事をとって近くの病院へ行っていて不在。
結局、どうしてこんな事になってしまったのかを説明してくれる人物がいないらしい。
加害者である藤沢が何も語らず、更に被害者が東條家の御曹司だった事もあって、教頭は見ての通り烈火のごとく憤慨し、つい先程まで「あいつを退学にしろ!」と喚き続けていたという。
藤沢の家も著名な家柄であれば教頭もそこまで言わなかったのだろうけど、実際藤沢の家は、個人経営はしているものの月城の中では“中の上”くらいの家柄で…。
教頭にしてみれば、「一般生徒がなんて事をしでかしてくれたんだ!」という感じなのだろう。
「あいつが意味もなく誰かを殴るなんて、絶対にありえない」
「ん~…それは俺も思うんだがな~…。なんせ当の本人が説明も弁明も謝罪もしないもんだから、どうにもしようがなくてなぁ…」
前嶋の言葉に同調している様子の松川先生も本当に困っているらしく、後頭部を片手でガシガシと掻き毟っている。
なぜ藤沢は何も言わないんだろう…。絶対に理由があるはずなのに、何も言わない。
それは、誰にも言いたくない特別な何かがあったという事なんじゃないのか?
教頭の様子を見ると、藤沢が黙り込んでいるのは自分の状況を不利にしない為にだとか、ただ殴りたかったから殴っただけで特に言う事もないから黙っているのだろう…とか、藤沢の沈黙をそういう風に受け取ってしまっている気がする。
でも、前嶋も言っている通り、藤沢はそういう奴じゃない。絶対に何か理由がある。
それも、自分の状況が不利になってしまう…というような理由じゃなくて、…もっと何か違う理由が…。
今までの藤沢を頭に思い浮かべて視線を伏せ、更に思考を深く潜らせようとした時、少し離れた所で足音が鳴り響いた。
それは徐々に近づいてきて、足音の主が俺達のいるパーテーションの個室に顔を覗かせる。
「松川君ここにいたのか。やはり私はアイツの態度に我慢がならん!このまま沈黙を通すつもりなら退学として処理を進めるからな!…ったく…とんでもない事をしてくれたものだ」
でっぷりと太った体格の教頭は、顔を真っ赤にしてそう言い放ち、俺達が言葉を発する前に凄い勢いで生徒指導室を出て行ってしまった。
扉がバタン!!と恐ろしいまでの音をたてて閉まった時、前嶋と松川先生の肩が同時にビクッと揺れたのが見えてしまい、TPOも考えずに笑い出しそうになってしまったのをなんとか堪える。
「…マズイなぁ…、あれ、本気だぞ…」
「松川先生学年主任でしょ!なんとかしてよ!」
「なんとかしてって…前嶋…。あのハゲ親父を俺がどうこう出来るわけないだろ」
「…ハゲ親父…」
松川先生の言葉に思わず絶句した。
確かに教頭はハゲている。でも、そこまでハッキリ言いきった教師には会った事がない。
ほんの少しだけ尊敬した、かも。
なんだか漫才のようになってきた前嶋とのやり取りは見ていて面白いけれど、今はそれを楽しんでいる場合じゃない。
前嶋の肩を右手でグッと掴んで引き寄せた。
「前嶋。のんびりしてる暇はない。教頭が変な事をやらかす前に、藤沢の所に行って話を聞こう。お前になら、藤沢も話をしてくれるかもしれないだろ?」
「…天原…。…うん、そうだな。早くアイツの話を聞いて、退学処分なんて絶対にさせないように頑張らないと!」
沈みがちになっていた前嶋の顔が、途端に元気になる。
やっぱり前嶋はこうじゃないとな。
やる気に漲るその様子に、安堵の息が零れた。
「…という事で松川ちゃん!とりあえずは俺達に任せたまえ!松川ちゃんはあのハゲ親父をヨロシクっ!」
「松川ちゃん…ってお前なぁ…、って…えっ!あのハゲ親父、俺が担当するの!?いやいやいや無理だって!」
前嶋の言葉に松川先生が慌てふためくのを横目に、思わず手を合わせてご愁傷様と合掌しながら二人で逃げるように生徒指導室を飛び出した。
「松川先生、大丈夫かな」
「大丈夫大丈夫!っていうか大丈夫にしてもらわないと藤沢退学になっちゃうし!」
「…まぁ…な…」
言い逃げの要領で松川先生を置き去りにしてきたものの、若干の不安が残るのは否めない。
後ろ髪を引かれる思いで寮棟に足を踏み入れる。
放課後を過ぎ、寮内を行きかう生徒達が多いせいか、生徒会会長と副会長のコンビが揃ってどこかへ向かっていれば目立つ事この上ない状態で…。
通り過ぎる周りの好奇の視線が痛い程に纏わりつく。
「藤沢の部屋、どこ?」
「俺の部屋の、右隣の右隣の右隣の部屋の正面にある部屋の右隣の部屋」
「………」
わかりやすく前嶋の部屋を拠点として説明してくれたのはいいけれど、逆にわかり辛くなったように思うのは俺の気のせいか?
並んで歩きながら思わず溜息を吐いてしまった。
そんなおかしい説明を辿って着いたのは、確かに前嶋の部屋の右隣の右隣の右隣の部屋の正面にある部屋の右隣の部屋だった。
…最初から365号室だって言えよ…。
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