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学園生活Ⅲ-11
変な疲れにゲッソリしているうちに、前嶋は扉横に付いているチャイムを押している。
暫くしてカチャっと静かな音と共に開いた扉からは、いつもとは全く違う、荒んだ空気をまとった藤沢が顔を覗かせた。
俺も前嶋も、その暗い雰囲気に一瞬言葉を失う。
でも、さすがと言うかなんというか…、すぐさま己を取り戻した前嶋が、明るい調子で藤沢に声をかけた。
「俺達がなんでここに来たかわかるよな?俺は、お前から真実を教えてほしい。お前が本当に悪いのなら、退学処分になっても仕方がないと思う。でも、もし違うなら、俺は絶対にお前を助けたい。それは天原も同じ思いだ。俺達を信じて、話してくれないか?」
あまりに裏表の無い率直な言葉に度肝を抜かれたのは俺だけじゃないようで、いきなり言われた藤沢も先程までの暗い空気を払拭し、ギョッとしたように前嶋を見つめている。
どこまでも誤魔化す事をしない、…恋愛感情とかじゃなくて、違う意味で前嶋に惚れてしまいそうだ。
藤沢に会う前の緊迫感が、前嶋のおかげで薄れたのを感じた。
「……お前には参るよ、ホントに…」
肩に入っていた力が抜けたような苦笑いでそう言った藤沢は、扉を大きく開いて俺達を部屋の中に招き入れてくれた。
リビングには、低いガラステーブルとL字型のローソファーが中央に置かれていて、藤沢はさっきまでここに座っていたのだろう…コーヒーの入ったマグカップがテーブルの上に置かれている。
「その辺、適当に座って」
そう言いながらミニキッチンへ向かう藤沢に、「はーい」と2人揃って行儀よく返事を返してから、ローソファーの3人掛け部分に並んで腰をおろした。
数分後、黒いマグカップを二つ持ってきた藤沢が、俺達の前にそれを置きながら自分もソファーに座る。
「悪い。俺の部屋、コーヒーしか飲み物置いてないんだ」
申し訳無さそうに言う姿に、俺と前嶋が勢いよく首を横に振ったのは言うまでもない。
同じ動きをした俺達が可笑しかったのか、笑われてしまった。
それから暫くして、ガラステーブルを見つめながら藤沢がポツリポツリと話し始めた。
「……俺さ…、実は、今の藤沢の父親とは血が繋がってないんだ」
「え?」
藤沢の言葉に、前嶋が驚きの声を上げる。
そういえば、前嶋と藤沢は昔から仲が良かったと聞いた事がある。
もしかしたら、藤沢の父親とも面識があるのかもしれない。
驚いている前嶋を見た藤沢は、どこか悲しそうな笑みを浮かべて続きを話しだした。
「藤沢の父親と俺の母親、再婚なんだ。俺が母親の方の連れ子。シングルマザーってやつ。…ある家の男と不倫して、その間に出来たのが俺。不倫だったから、相手に迷惑をかけたくないって…母親は俺が生まれると共にそいつの前から姿を消して…。それで藤沢の父親と出会って結婚した」
「………」
「………」
思わぬ話に、言葉が出てこない。
それは前嶋も同じで…、黙りこくったままひたすら藤沢の顔を見つめている。
数年来の友人の隠された事実に、かなりの衝撃を受けているようだ。
それに対して藤沢は、隠していた秘密を打ち明け出したところで腹を据えたのか、俺達がこの部屋に来た当初よりもだいぶ表情が緩んできていた。
「…それで、ここからが本題な。さっき俺が殴った奴、…東條珪司…。アイツ、俺の異母弟なんだよ」
「は!?」
「えっ」
サラリと告げられた真実に、開いた口が塞がらないまま硬直する。
異母弟っていうのは、母親が違って父親は一緒って事で…、藤沢は今の母親が不倫してできた子供って事は、
東條珪司の父親が不倫相手って事か!?
ギョッとして藤沢を見ると、その顔には諦めのような物悲しい表情が浮かんでいた。
…あぁ…、藤沢はもう退学処分を受け入れるつもりでいるんだな…。
そう、感じた。
でも、そう感じただけであって、納得した訳じゃない。それを回避するために俺達はここに来たんだ。
隣に座る前嶋を見ると、視線に気づいた前嶋もこっちを振り向いて二人同時に頷きあう。
「…事情背景はわかった。でも、一番重要な『動機』も教えてほしい。なぜ藤沢が東條を殴ったのか…。俺と前嶋は、お前が意味なくそんな事をする奴じゃないって信じてるし、実際にそうだろ。…こんな事、根掘り葉掘り聞くのは本当に悪いと思う、でも、それでも教えてほしい」
藤沢を見据えて真剣に問う。
決して興味本位で聞いてるんじゃない。藤沢の力になりたいんだ。お前に学校を辞めてほしくない。
その想いが伝わるように。目を逸らさず藤沢を見つめる。
きっと、藤沢にしてみれば一番答えたくないだろう問い。
案の定、言い淀むようにその視線が伏せられた。
室内に流れる沈黙。
俺達は、藤沢が話してくれるのをただ待つのみ。
もしこれで、やっぱり言いたくないと言われてしまえば、もうそれ以上無理強いする事はできない。
そしてそれは、藤沢の退学へと一直線に結びつく。
だからこそ、こうして待っている間の沈黙が苦しい。
数分経ち、続く緊迫感に前嶋が身動ぎした。その時、…藤沢が伏せていた視線を上げた。
「……今日の昼休み、廊下ですれ違った東條に、放課後話したい事があるって言われたんだ。だから俺、放課後になってアイツの教室まで顔を出しに行った」
何かを堪えるような声色で話す藤沢に、俺と前嶋は緊張に息を飲んだ。
「廊下へ出てきたアイツに、話ってなんだ?って聞いたら、……『いい加減、異母兄弟という事に被害者面するのやめてもらえませんか。不愉快だ』…って、そう言われて…。でも、それは言われてもしょうがないと思う。実際、俺は不倫で出来た子供で、アイツにとっては本当に目障りな存在なんだろうし…」
「…っそれは!」
「前嶋」
話の途中で、突然身を乗り出して反論しようとした前嶋の肩を、隣からグッと掴んで止めた。
何か意見を言う時じゃないだろ?
俺の無言の気持ちがわかったのか、「ゴメン」と一言呟いた前嶋は、また大人しく腰を落ち着ける。
それを見た藤沢は、フッと泣きそうな笑みを浮かべて、続きを話しだした。
「…でもその後に、『こういう事を言われて、僕の事がムカついたのなら殴ればいいでしょう。人のモノを奪ったり自分の気持ちを押し通すのは得意な血筋なんじゃないですか?アナタの母親と同じで』って、そう言われた時、確かに不倫なんかした俺の母親が悪いのはわかってるけど、でも俺は、その事で今も負い目を感じて苦しんでる母さんを目の前で見てるんだ…、それを知りもしないアイツに貶されて、頭に血が上って…」
「……そうか…、うん、わかった…」
「…話してくれて有難う、藤沢」
前嶋は、いまだ茫然としたような表情のまま小さく何度か頷き、俺は出来るだけ柔らかい口調で礼を言った。
不倫は悪い事で、絶対にしてはいけない事だ。必ず誰かを傷つける。
それでも、藤沢にとって良い母親だったんだろう。
良いとか悪いとかじゃなくて、自分が大切だと思う人間を貶されれば、誰だって腹が立つ。
それも今回は、殴ってみろと言わんばかりの中傷を相手に言われての事。
殴るのはダメだ。でも、藤沢だけに非があるとは思えない。
教頭の所へ行って話をする必要があるな…。
横にいる前嶋の腕を掴む。
「…前嶋、今から教頭の所へ行くぞ」
「俺もそのつもりだった。…よし、行くか」
お互いに頷きあい、同時にソファーから立ち上がる。
「…前嶋?…天原…?」
俺達の行動を不安に揺れる眼差しで見上げてきた藤沢に、この場には不似合いかとも思ったけどニッコリと笑みを向けた。
「悪いな藤沢。俺達はお前に学校を辞めてほしくない。…俺達の我が儘、許してほしい」
そう告げると、驚いたように目を見開いた藤沢は、次の瞬間、クシャッと顔を歪めた。
「…っ…ありがとう…2人とも…」
俯いてそう呟いた声には、濡れた色が混ざっていたようだった。
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