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学園生活Ⅲ-13

「…教頭先生。そうまで言うのなら…、わかりました。俺が、天原の名を使って東條の家に行ってきます。被害者である彼から直接話を聞いてきます」 「お、おぉ!天原君が出てくれれば東條家も文句は言えな、」 「それまでは!………勝手な処分を下さないようにお願いします」 途中、教頭の言葉を大きな声で遮って全てを言いきると、もうそこから何も言えなくなった教頭は、ただひたすら小刻みに頷くだけだった。 「それでは失礼します。…前嶋、行こう」 「あぁ。……失礼しました、教頭先生」 前嶋と二人、教頭に形ばかりの挨拶をし、そのまま何も言わずに静寂がおりる教頭室を後にした。 とりあえず今日は生徒会室に戻って仕事を片付けて、東條の家に行くのは明日の昼間。授業を抜け出して行くしかない。 教頭室を出てから、お互いに無言で廊下を歩く。 それぞれの頭の中では、つい先程のやりとりで込み上げた教頭への怒りと、これからどうするべきかの考えがとめどなく巡っていた。 と、その時。斜め後ろを歩いていた前嶋が、突然俺の腕を掴んで立ち止まった。 後ろに引っ張られ、足元がキュッと音を立ててつんのめるように立ち止まる。 「…なっ…んだよ前嶋…。…って…何、どうしたんだよ」 振り向いた先の前嶋の顔は、思いっきり眉が顰められた渋い表情になっていた。 そして、俺の顔じゃなくて、何か下の方を見ている視線。 なんだ…? その先を辿って下の方を見ようとしたところで、ようやく顔を上げた前嶋とガッチリ視線が絡み合う。 …な…んか、怒ってる…? 明らかに不機嫌な眼差しで睨まれている。 「ま…前嶋君?…俺、何かした?」 痛いくらいに掴まれた腕をそのままに問いかけると、ようやく前嶋が口を開いた。 「…なんだよこれ…」 「…ん…?」 これ、が、何を指しているのかわからない。意味不明だ。 首を傾げると同時に、掴まれていた手を上に持ち上げられる。 「手だよ手っ。さっき力入れて思いっきり握ってなかったか!?爪が食い込んだ跡から血が出てんだよ!」 「…え」 言われるままに、掴まれている手の平を見る。確かに2ヶ所ほど血が滲んで…、いや、正確にはその血が広がって手の平の中央部が赤く染まっているのがわかった。 滲み出た血が指で擦れたせいで、ちょっと見た感じかなりのケガをしているように見える。 実際はそうでもないのに。 「どうりで痛かったわけだ…」 さっきからどうも手の平がジワジワと痛み訴えてくるとは思っていたけど、考える方に没頭してしまって確認する事もしなかった。 これでようやく痛みの原因が判明。 そうかそうかと一人で納得していると、脳天にゴツッと何かが当たった。 視線を向けた先には、拳で俺の頭を殴ったらしき前嶋の姿。 「…おい」 「や、だって天原が馬鹿なんだもん!」 なんだもん…、…ってなんだよ、前嶋君。 口を尖らせる子供っぽい様子に、呆れと共に笑いが込み上げてきた。 「…っ…フ」 抑えようと思っても、まるで発作が起きたかのように次々と笑いが込み上げる。 無事な方の手を口元に押し当てても、小刻みに揺れる肩は隠しようがない。 次第に眼尻に滲んでくる涙を指で拭い、なんとか笑いを押さえて顔を上げた。 たぶん前嶋の事だから、笑われた…って拗ねるんだろうな。 そう予測していたのに…。 目の前に立つ前嶋は、拗ねてもいなければイジケてもいなかった。 代わりにあるのは、柔らかな笑み。 「…やっぱさ、天原は笑ってる方がいいよ。怒ったりとか、…ましてや、本当は使いたくないのに伝家の宝刀の『天原家の権力』を持ち出すなんて、絶対にしちゃダメだ。藤沢を助ける事も大事だけど、でも、それで天原がイヤな思いをするのも、俺はイヤだ」 「前嶋…」 見つめてくる瞳はとても真剣で…、いつものように茶化す事も出来ずに固まった。 まさかそんな事を言われるとは思わなくて、頭の中が真っ白になる。 「あ…、そんな深くなかったのかな、止まってるみたいだ」 「…え?…あ、あぁ…うん」 不意に手を引っ張られたかと思えば、手の平の傷をまじまじと見つめて言う前嶋に戸惑いながらも頷く。 そんな俺の腕を掴んだまま歩き出す前嶋に引っ張られて、覚束ない足を動かす。 「さぁさぁ、風邪をひく前に生徒会室に行って傷の手当てをして帰ろう帰ろう!」 「…そうだな」 人気のない廊下に、前嶋の大声が響きわたる。 廊下が明るいのは、天井に設置されている電灯が点いているからだというのはわかる。 でもそれ以上に、前嶋のこの存在が、視覚効果以上にこの場を明るくしているんだと思う。 何よりも心強い明るさに、心がフワリと温かくなった。

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