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学園生活Ⅲ-14
† † † †
一夜明けて翌日。
昨夜、東條家に連絡を入れ、今日の約束を無事に取り付けられたのは本当に良かったと思う。
教頭に啖呵を切ったはいいものの、東條家に訪問を断られたら元もこうもない。
純和風造りの大きな木造の門の前に立って、気合いを入れなおす為に一度肩の力を抜いた。
門から連なる壁は、昔ながらの伝統ある『ナマコ壁』
上流だといわれるだけあって、表から見ただけでもかなり広い敷地だとわかる。
見上げるほど大きな門と、壁の向こう側から松の木がちょこっと顔を覗かせているのが風流だ。
月城学園の一年に東條家の長男がいるとは聞いていたけど、実際に顔を合わせるのは今日が初めてとなる。
大丈夫だろうかという不安はあるものの、そんな事で尻ごみをしていられる状態でもない。そして時間も無い。
「…よし、行くか」
丹田にグッと力を入れ、制服を着た背筋をピンと正して門の脇にあるインターフォンに手を伸ばした。
「天原様ですね。わざわざ有難うございます。どうぞこちらへ」
門をくぐり、庭師によって整えられている和庭園を抜けた先にある母屋。
その引き戸を開けて出迎えてくれたのは、和装姿のキリッとした美しい女性だった。
年齢的に見ると、たぶんこの人が東條の母親だと思う。
遅れ毛もなくきっちり結いあげた髪は、艶のある見事な漆黒。
凛とした佇まいの中に、筋の通った迫力を感じる。
天原家はロシアの血が混じる洋風な趣をもつ為、ここまで純和風の光景にはあまり出会った事がない。家も人も圧倒されるほど整った純和風。
若干そんな空気に気圧されながら、東條の母親と思われる女性の後に続いて母屋の中へ足を踏み入れた。
広い三和土のある玄関。
靴を揃えて上がると同時に、その女性がようやく名乗りを上げてくれた。
「申し遅れましたが、私、東條珪司の母でございます。昨日、珪司が顔に傷を作って帰ってきた時は本当に驚きました。あの子は殴り合いの喧嘩をするような子ではありません。どうしたのか事情を聞いても何も答えてくれず、関係無いから気にしないで…とそればかりで…。天原様でしたら珪司もきちんと事情を話すと思います。どうか宜しくお願い致します」
そう言って、深々と頭を下げられてしまった。これに慌てたのは言うまでもない。
「いえ、あの、僕にそんな丁寧な対応は必要ありません。天原の名を使ってしまったのは事実ですが、僕としてはそれよりも一個人として、そして珪司君の先輩として、月城学園の生徒会長として、その責務を果たす為に来たんです。当然の事をしているだけです。顔を上げて下さい」
困りきってそう言うと、ようやく頭を上げてくれた。
一見、厳しくキツそうに見えるのに、この丁寧で柔らかい対応にはギャップを感じて戸惑ってしまう。
「有難うございます。それでは、珪司の部屋へ案内致します」
「はい、宜しくお願いします」
先導して楚々と歩き出す東條の母親の後を着いて、玄関前にある来客出迎え用の小さな和室から、更に奥の廊下へと足を進めた。
「ここが珪司の部屋です。私がいるとあの子は何も話さなくなると思いますので、ここで失礼させて頂きます。どうぞごゆっくり」
長い廊下の奥にある何かの模様が刻まれた木の扉前で、丁寧にお辞儀をしてくれた東條の母親と別れた。
足音を立てずに去っていくその姿が見えなくなってから、改めて扉に向きなおる。
ここに来るまでの廊下の途中で、「珪司には、天原様が来た事は伝えてありますので」と言われた。という事は、ここで俺がノックしても東條は驚かないよな?
初対面の相手とこれから密な話をしなければならない事を思うと、にわかに緊張感が増す。
…よし、行こう。
気を引き締め、目の前の扉をノックした。
三度。コンコンコン、と木の乾いた音が鳴ってすぐ。カチャリと小さな音を立てて扉が開いた。
目の前に現れたのは、前嶋と同じくらいの背の少年。
さっき会った母親とそっくりの艶のある漆黒の髪。そしてこれもまた同じ、和風の凛とした端正な顔。
「初めまして、天原会長。…東條珪司です」
そう言って頭を下げた相手が、とても他人に酷い事を言うような人物に見えなくて驚いた。
口元に青あざができているのがハッキリわかる。たぶんこれが、藤沢に殴られたという傷だろう。
唇の端が切れ、瘡蓋になりつつある血が赤黒く色を添えている様子が痛々しい。
「初めまして、天原です。休んでるところ突然来てゴメン。話を聞いたらすぐに帰るから」
「大丈夫ですよ。それより、中へどうぞ」
「お邪魔します」
導かれるままに、東條の部屋へと足を踏み入れた。
「ちょっと散らかってますけど、そこのソファーにでも座ってください」
指し示された先には、オフホワイトのソファーと黒の四角いテーブル。
本人は散らかってると言うが、実際はきちんと整理整頓がされたとてもシンプルで綺麗な部屋だ。
この部屋は東條の意向が反映されているのか、他の場所とは違って床もフローリングの完全なる洋室だった。
テーブルを挟んで向かい合う二人掛け用のソファーの一つに腰を下ろす。
間を開けずに、東條も向い側のソファーに座った。
「傷の方はどう?まだかなり痛むだろ」
東條の口元を見るだけで、こっちの方が痛くなってしまう。
殴られた状況を思えば、東條のこの傷は自業自得のようなものだと思うけれど、実際に本人に会ってみると、そういう悪い雰囲気を感じない。
持っている空気が、穏やかなんだ。
顔を合わせた瞬間にも感じたけれど、やはりどう見ても、誰かに暴言を吐くような人物には見えない。
「…いえ…、見かけほど酷くはないんですよ、これ。でも父親が、『東條家の家名を背負って立つ者が、顔に青あざを付けたまま外を出歩くなんてダメだ』…と…。2~3日の欠席を余儀なくされてしまいました」
「そうか…、大変だな」
その父親というのが、藤沢の母親と浮気をしたという人物なのか…。
目の前にある顔をまじまじと見つめながらそんな事を考えていると、さすがに居心地が悪くなったのか、東條が戸惑いがちに言葉を発した。
「あの…天原会長、昨日の詳細を聞きに来られたんですよね?」
「あ…あぁ、うん、そうだよ。ゴメン、ちょっと考え事してた。………話しづらいかもしれないけど、本当の事情を知りたいんだ。教頭が激怒して藤沢を退学にすると言いだしてるし…。とにかく俺は、正しい結果を導き出したい。だから、どうしてこんな事になったのか真実を教えてくれないか?」
「…退…学…?」
「…東條?」
途中、東條の顔色が突然変わった事には気がついていた。
話し終わった瞬間、零れるように聞こえた呟きと青褪めた顔色は普通じゃない。
自分を殴った相手が退学にまでなるとは思っていなかった…、という以上の驚きを感じる。
ここまで反応する理由はなんだ?
やはり何かを隠しているように思える様子に疑問を抱きながらその姿を眺めていると、それまでソファーにゆったりと落ち着いて座っていた東條が、突然テーブルに両手を着いて身を乗り出してきた。
「兄さん、退学になるんですか!?」
「…え…?」
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