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学園生活Ⅲ-28
そして気づけば時刻は19時半。
あまり根詰め過ぎると後が続かない事を予想し、今日の仕事はここで終了。
「お疲れ様」
校舎を出て寮棟に戻り、それぞれ挨拶を交わしながら各自の部屋へ帰っていく。
一年コンビは2階。前嶋と中原は3階。そして俺は4階。
数人の生徒とすれ違いながら、階のいちばん奥にある自分の部屋へ向かう。
すぐ先にある廊下の角を曲がればもう扉が目の前だ。
いつもと同じようにその角を曲がって部屋へ…、
「……あ…れ?」
部屋を直前にして、廊下の途中で立ち止まった。
「お疲れ様」
部屋の前に佇む人影が優しく微笑みながら声をかけてきたけど、驚きすぎて言葉を返せない。
「…秋…」
一言だけそう呟く。
いつから待っていたのか…、制服姿なのを見れば、自分の部屋に戻る前にここへ来たのだろう事は想像がつくけれど、それでも突然のこの行動にはただただ動揺するばかり。
そんな俺の様子がおかしかったのか、秋が笑いながら横向きに扉をノックし、
「入らないんですか?会長殿?」
からかうような口調で言った。
「は…いるよ。入ります。…ちょっと驚いただけだろ」
微妙にバツが悪い。それを誤魔化す為にぶっきらぼうな態度をとってしまう。
「どうぞ」
扉を開けて秋を中へ促し、リビングに入る。
相変わらず生徒会の資料でゴチャゴチャしている机の上に更なる資料の山を追加してから、一息ついて秋に向きなおった。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃあ紅茶をもらおうかな」
「了解」
黒のソファーに座ってくつろぐ秋の背後を通り抜け、ミニキッチンに入って紅茶を準備し始める。
手に持った缶はフォション。種類はダージリン。
同じ部屋で過ごしていた時、秋が好んでこの茶葉を用意していた事を知っていた為、この部屋に移ると同時に用意しておいたやつだ。
お湯を沸かしながらチラリと秋の方を見ると、ちょうどこっちを向いていた本人と視線があった。
動揺して慌てて視線を逸らそうとした俺とは違って優しく微笑んでくる様子に、胸の奥が暖かくなる。
そんな穏やかで優しい時間をボーっと堪能している間に、お湯が沸いた。
茶葉を入れたポットに沸騰したてのお湯を注ぎ込み、後は蒸らすだけ。
3分程してから紅茶をカップに移し、それを持って秋の元へ向かう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
目の前のテーブルにコトンと小さな音を立ててカップを置き、秋の隣に腰を下ろした。
ミニキッチンを出てからソファーに座るまで、ずっと秋の優しい視線が追ってきている事に気がついていたけれど、さすがにここまで近くから見つめられると落ち着かない。
モゾモゾと身動ぎしながら横を見ると、やっぱり見つめられている。
「…なんだよ」
「何が?」
「何がって…。こっち見るな」
「なんで?」
「………」
笑顔でとても楽しそうに問い返してくる秋。
なんだこの追い詰められた気分は…。
カップを手に持って紅茶を一口味わう。美味しいはずの紅茶なのに、味なんて何も感じられない。
いまだに横から向けられている視線をどうすればいいのか考えながら黙りこんでいると、突然視界の端に入りこんできた手に、持っていたカップを奪い取られてしまった。
そしてテーブルの上に戻されてしまう。
数秒固まった後、行動の意味を問いたくて横を向いた瞬間、
「………っ」
痛いほどの力で抱きしめられた。
驚いて咄嗟に押し離そうと腕が動きかけたものの、触れあった部分から伝わってくる秋の感情がどこか必死さを秘めているような気がして…。押し離そうとした両腕はその意味を変え、秋の背中をそっと抱き締め返した。
そこはかとなく漂う切なさ。
暫くたち、苦しい程に強かった秋の腕の力が少しだけ緩んだのを感じとって、緊張に強張った体から力を抜く。
どうしたんだろう。何かに縋りつくような、こんな様子の秋はあまり見た事がない…。
何をどう言ったらいいのかわからず、ただ黙って待つ事しかできない。
そんな中、耳元で密やかな秋の溜息が聞こえた。
顔を見たいけれど、抱きしめあっている状態ではそれも叶わない。
「秋…?」
できるだけ優しく名を呼ぶと、呟くように「…うん」と返ってきた。
思い悩むような声はどこか気もそぞろで、頭の中で何かを考えている様子が窺える。
それを邪魔しないように、秋の心の中が落ち着くまで大人しく待つつもりで静かに目を閉じた。
それから10分ほど時間が過ぎた。
今まで全く動かなかった秋が身動ぎしたのを感じて、閉じていた瞼をそっと開ける。同時に秋の手が離れ、ゆっくりとした動作で体が離れた。
間近で見る秋の顔は、もういつもと同じ余裕のある穏やかなものに戻っていて、少しだけホッとする。
「…どうしたんだよ」
改めて問うと、秋は何かの決意を固めたような眼差しで真正面から俺を見据え、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「…アメリカへ、発つ日が決まった」
「…………え…?」
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