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学園生活Ⅲ-30
† † † †
三月下旬。終業式当日。
並んでいる各列からのざわめきが、さざ波のように講堂内に広がる。
短いとはいえ、明日から始まる春休みという連休に皆心が逸っているようだ。
いつもなら、俺も春休みを待ち遠しく思って喜びに浸っていただろう。
けれど、あと数時間後に秋との別れの時が迫っているかと思うと、とても喜べない。
永遠の別れじゃないと自分に言い聞かせていても、やはりこの時を笑顔で迎えられるほど強い精神は持っていない。
気もそぞろになっているせいで、終業式が始まる直前までミスばかりしてしまった。
秋が今日発つ事を知っている生徒会の皆は、「今日は何もしなくていいよ」と優しく俺を休ませようとしてくれたけど、そんな訳にはいかない。
会長である俺がこんな体たらくでは示しがつかないばかりか、他の役員にまで迷惑がかかる。皆から優しい言葉をかけてもらった事が、逆に心を引き締める事に繋がった。
実行委員の終業式開始のアナウンスが入ると同時に講堂内からざわめきが消えていき、この時ばかりは静粛な空気が辺りを満たす。
いよいよ学年最後の終業式の始まりだ。
いつものように生活指導からの休みにおける諸注意と、教頭の長い訓辞。そして理事長である咲哉の挨拶。
それが終わると、今度は離任式が行われる。
私立校である月城学園は、離任する教師はそう多くない。多くないどころか、毎年1人程度しかいない。
だからこそ、三月の終業式と離任式は同時に行う事になっている。
そしてその離任式も終わり、最後に生徒会長である俺からもう一度春休みに関する諸注意を促して、終業式は閉式となった。
実行委員の「これで終業式は閉式となります。各自速やかに教室へ戻って下さい」というアナウンスと同時に、皆ざわつきながら講堂を出ていく。
そんな中で俺は、ひとり密やかに講堂を出て行った秋の姿を見つけて後を追った。講堂を出る際に視線が合った秋が、俺を呼んでいるような気がしたからだ。
そしてそれは間違いではなかったらしい。裏口を出てすぐの壁に寄りかかっていた秋が、俺が出てきた事に気づいてその背を起こす。
「終業式お疲れ様」
「うん、ありがとう」
向き合って立ったまま、それ以上言葉が続かない。
僅かに目を細めるようにして、まるで眩しいものでも見るかのように俺を見つめる秋の眼差し。優しく微笑んでいるようにも見えるし、悲しく微笑んでいるようにも見える、儚げな笑み。
…とうとう、この時が来てしまった…。
未だに現実味が湧かない秋との別れの時。たぶんもう、迎えの車は来ているのだろう。
飛行機の時間もあるし、早く何かを言わないと間に合わなくなる。
刻々と迫るタイムリミットを感じてそう思っても、ひたすら秋の顔を見つめるだけで言葉が出てこない。
何を言えばいいのか…わからない。
でもそれは秋も同じらしく、何か言いたそうにしているけど何も言わない。
けれど、このまま離れるわけにはいかないんだ。
強張る口元を必死に動かした。
「…また、すぐ会えるから。元気で行ってこいよ」
震えそうになる声。それをグッと抑えて、秋に向ける応援の言葉。
一瞬、驚いたように目を見開いた秋は、次の瞬間、全開の笑顔を見せてくれた。
「うん、そうだね。必ず戻ってくるから、待ってて。………次に会った時は、もう、絶対に離さないから」
「…秋…」
もう離さないと言った時の秋の瞳が今までにないほど強い力を放ち、その眼差しに射抜かれた途端に一気に顔が熱くなった。
恥ずかしさと嬉しさと苦しさ。
全ての感情が複雑に入り混じり、臨界点に達した瞬間、
それが涙となって両眼から溢れるように頬を伝い落ちた。
「…深…」
秋の顔から笑みが消える。苦しそうに悲しそうに顰められた柳眉。
そんな秋の顔がゆっくり近づいてきて、嗚咽を堪える俺の唇が暖かなそれにそっと塞がれた。
想いを込めた最後の口付けは、今までにないほど優しくて、そして切なかった…。
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