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学園生活Ⅲ-31
† † † †
終業式明けの翌日。
まるで俺の心を映すかのように灰色で覆われた曇天。
昨日、「永遠に別れるわけじゃないから見送りはいらない」という秋の言葉に従って、講堂前でその背を見送った。
そして、教室へ戻った途端、全てがわかっているとばかりに真藤と薫に甘やかされ…。
その二人ももう昨夜の内に帰省してしまい、今日寮に残っているのは各々の役員達くらいだ。
帰省する為にまとめた荷物は、やはり毎回の如く殺人的な重さで、それをリビングのソファーに運んだだけでもう嫌になってしまっている自分がいる。
時計を見ると、11時40分を示していた。迎えの車が到着するのは、まだ少しかかるだろう。正午ちょうどに部屋を出る予定でいる事を考えれば、もう少しだけゆっくりしていられる。
昨日の今日で、まだ秋の気配を残しているように感じられるこの学園の敷地から出たくない。
リビング奥の窓際に立ち、カーテンを少しだけ開けて見上げた雲の多い空からは雨の滴が落ちてきそうで、自然と気持ちも暗くなる。
今からこんなんで、これからどうするんだよ。秋に笑われる!
…なんて心の内で威勢よく呟いてみても、それだけで元気が出るはずもなく…。
「…ハァ…」
秋の事で溜息を吐くのはこれが最後だと言い聞かせ、両手で頬をバチバチと叩いた。
それから暫く外の景色を眺めてボーっとしていたけれど、時計が正午ちょうどを示した事に気がついて重い足を動かす。
バッグを持って部屋を出ると、やはり廊下には人の気配は全く感じられず、静かな寮内をただひたすら無言で歩き進めた。
「おい」
寮棟を出たと同時に、突然どこからともなく呼び止める声が聞こえて足を止めた。
…この声は、まさか…。
恐る恐る振り返った視線の先に、壁に寄りかかって腕を組み、相変わらずのふてぶてしい態度でこっちを見ている宮原の姿があった。
昨日帰ったんじゃなかったのか…。
宮原の周囲を見渡しても、帰省の為の荷物は見当たらない。
「帰らないのか?」
首を傾げつつ放った問いかけに、当の本人は何をくだらない事を…と言わんばかりの呆れた眼差しを向けてきた。
「帰るに決まってんだろ」
「じゃあなんで荷物がないんだよ」
「わざわざ持ち帰るほど大切な物なんてねぇよ」
「………」
きっと宮原の寮部屋は、物が何もなくてガランとしてるんだろう。
思いっきり想像がつく。
…それにしても、なんでこんな所に立ってるんだ?不自然すぎる。
俺のそんな胡乱な視線に気が付いたのか、宮原の顔がイヤそうに顰められた。
「怪しい奴でも見るようなその目はなんだよ」
「え…、だって怪しいだろ。こんなとこで何してるんだ」
「アンタを待ってたに決まってるだろ」
「…は?」
意外すぎる言葉に虚を突かれた。
俺を待ってたって…、どうして。
決まってるとか言われても、いつからどのように決まってたのか教えてもらいたい。まったくもって意味がわからない。
目を瞬かせている俺の様子から、おおよその心の声が読み取れたのか、寄りかかっていた壁から背を起こした宮原が嘆息しながら目の前まで歩み寄ってきた。
そして肩に掛けていた重いバッグが奪われる。
「迎えの車が来るんだろ?行くぞ」
「え?…あ…あぁ…、うん」
どうやらバッグを運んでくれるらしい。
ぶっきらぼうで口が悪い割には優しい行動に、自然と顔が緩んでしまった。
先に歩きだした宮原の後を追って、一歩遅れてついていく。
寮前から中庭に続く小道を通り、駐車場の方向へ向かって進む中、等間隔で植えてある満開の桜の木からハラハラと花弁が落ちてくる様子に目を奪われる。
そんな風情ある道の途中で、不意に宮原が足を止めた。
「……宮原?」
いったいどうしたんだ。
いきなり立ち止まったまま微動だにしない後ろ姿を見て、内心首を傾げる。
やっぱり持って帰りたい何かでも思いついたんだろうか…。それなら俺は自分のバッグは自分で運ぶし、手伝った方が良ければ手伝う。
それを伝えようと口を開いた時、正面を見たままだった宮原が体ごとこっちを振り向いた。そしてそのまま俺を見つめてくる。でも何も言わない。
俺と宮原の間には1m以上2m以下の距離感があって、その空間を遮るのは舞い落ちる桜の花弁のみ。
意外にも、宮原には桜が似合う…なんて場違いな事を思っていたら、不意に放たれた言葉。
「…大丈夫なのかよ」
低くハスキーな声が、辺りに静かに響いた。
「……え…?」
ドクン…と心臓が音を立てる。
心の内を見透かされているような言葉。
「…な…に言ってんだよ。無事に終業式も終わって今から家に帰るのに、……大丈夫も何もないだろ」
そう言って笑って見せた。たぶん、不自然に見えない程度には笑えたはず。
なのに…。
「そうじゃねぇだろ。誤魔化すな」
「……っ…」
大股で一気に近づいた宮原に肩をグッと掴まれた。
見上げた視線の先には、眉を寄せた厳しい顔つきの鋭く端正な顔。
「腹黒な元生徒会長さんと黒崎さんの二人がほぼ同時期にいなくなって、それでも平気でいられる程アンタは情の薄い奴じゃねぇだろ。なに平気な顔してんだよ」
真剣に言われたその言葉に、不覚にも胸をギュッと鷲掴みされるような苦しさを覚えた。
必死に隠そうとしていた事を、いとも簡単に引きずり出される。
本当は、寂しくて…苦しくて…。でもそれは誰にも言ってはいけなくて…。
「…な…んで…」
何も言う事が出来ずに唇を噛みしめて俯いた。その瞬間、
「…ッ!?」
バッグが宮原の手から地面に置かれたと同時に、攫われるように力強い腕の中に抱きしめられた。
一瞬、息が出来なくなったんじゃないかと思うほどの力。
そして耳元で紡がれた声。
「言っただろ。俺はアンタを諦めないって。アンタが寂しい時は傍にいてやる。だから、一人で抱え込むのはやめろ」
「…宮…原…」
体から力が抜けた。宮原の制服をギュッと掴み、泣きそうになる感情を必死に押し殺す。
本当に…、参る。なんだよ、馬鹿だろ。なんでこんなに優しいんだよ。
でも、俺がこの優しさを受ける事はできない。ここまで言ってくれる宮原に対して、俺は誠実であるべきだ。
そして、その誠実さとは、甘える事じゃない。
そう気づいた瞬間、宮原の体をそっと押し離した。
それに伴って、背に回っていた腕が解かれる。
開かれた空間に、花弁が一枚ふわりと舞った。
「…ありがとう、宮原。でも、もう本当に大丈夫だから。今ので全て寂しさは吹き飛んだ」
心の底からゆるりゆるりと湧きあがる温かな気持ち。
さっきまでグシャグシャになっていた胸の内が、宮原のおかげで綺麗に整えられた。
なんだかんだ言って、ただ俺の気持ちに整理がついていなかっただけ。急激な環境の変化に、感情がついていけず戸惑っていただけなんだ。
それが、宮原の優しさと頼もしさに救われた。
もっと言えば、俺の持っている男としての矜持に気づかされた。
ここにも、俺が見習わなきゃいけない格好良い奴がいたな。
フッと口元が緩む。
「…お前、本当に格好良いよな」
「……アンタ、頭大丈夫か…?」
いきなり様子の変わった俺に一瞬戸惑いを見せた宮原だったけど、その戸惑いはすぐに消え失せたようでいつもの調子に戻る。
たぶん、何かしら伝わるものがあったんだろう。
返ってきた言葉はいつにも増して失礼なものなのに、こんなやりとりが妙に嬉しい。
ようやく、俺の全身にかかっていた薄いフィルターが剥がれ落ちたみたいだ。
「よし!新学期からは最終学年だ、頑張るぞ!」
気合いを入れて叫んだ俺の横では、ワザとらしく溜息を吐き「…絶対負けねぇ」と顔を背けて小声で呟く宮原の姿があった。
もちろん俺は聞こえない振り。
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