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最終章~それぞれの旅立ち~2
† † † †
宮原の葬儀が終わって茫然自失状態の中、昨日の朝から携帯の電源を入れてなかった事を不意に思い出した俺は、葬儀場を出たすぐの壁際に身を寄せて電源を入れた。
それと同時に、センターに止まっていたのか…新着メールが1通入ってきた事を知らせる音が流れる。
…誰だろう。
そのメールの送信元を見た瞬間、目を疑った。
【宮原櫂斗】
どういう…事?…なんで…宮原から…。
泣きはらして赤くなった目元を擦って見直しても、やはり間違いはない。
震える指先で受信ボックスを開いた。
送信日時、2月8日午後2時20分。
それはまさに、宮原が撃たれるよりほんの少し前の時間。
遅延か何かでセンターに止まっていた?
【今何してんだよ。アンタの事だから、のんきに昼寝でもしてんだろうな。こっちはお家騒動で呆れるほど忙しい。それも今夜ようやく片付きそうだ。さすがに一週間近く休むと普段のツケもあって出席日数がヤバい。明日か明後日にはそっちに戻れるから、会えなかったぶん覚悟しとけよ】
滝のように流れ出す自分の涙によって、画面がどんどん歪んで滲んでいく。
…戻れるって言って、戻って来なかったじゃないか……。なんで、…どうして…っ…!
携帯をグッと握り締める。
力を込め過ぎて白くなった拳の関節に、ポタポタと水滴が零れおちる。
宮原は死ぬ直前まで、全てを片付けて月城に戻ってくるつもりでいた。
それなのに、…もう…戻ってくる事はない…。永遠に…。
つい最近まで存在していた人間が、今はもういない。その存在が消えてしまった。
本当の『無』とはこういう事を言うのだと、初めて実感した。
そのまま携帯を握りしめて呆然と立ち尽くしていたけど、ふと思いついた事を実行するために、また葬儀場の中へ足を向ける。
入ってすぐのロビーには、まだたくさんの人がいる。ほとんどが組関係の人間だろう。聞こえてくる会話がそれらしき内容だ。
その中で、ある一人の姿を探し求めた。
宮原家の長男、宮原征爾 の姿を…。
今回の跡目相続内部抗争の終結により、次期組長としての地位が確立した人物。
焼香の際に間近で見たその立ち姿は、他を圧倒するほど力に溢れている感じだった。
スーツの上からでもわかる鍛えられた厚みのある体躯と、普通ではありえない研ぎ澄まされたオーラ。そして鋭い双眸。
宮原と似てスッキリとした端正な顔立ちは、周りの女性達が放っておかないだろう…と思える程。
そんな人物と、立場的に考えてもそう簡単に話が出来るとは思っていない。
けれど、伝えなくてはいけないと思った。
宮原の、生きていた最後の言葉を…、もらった最後のメールの言葉を…。
きっとこのメールが、この世で最後に残した宮原の言葉。
父親と自分を庇って銃弾に倒れた宮原の死を、本気で悼んでいる事がわかったあの征爾さんの姿を思い出せば、伝えなくてはいけないと思った。
まだ残っているだろう涙の跡をもう一度手の甲でグイっと拭って、人混みの中に入り込む。
どこにいるんだろう。見つかるかな…。まさかもう控室に戻ってしまったかも…?
そんな不安も、すぐに杞憂へと変わった。
何気なく顔を上げた先、視線が導かれるように吸い寄せられたある一陣。その中心に征爾さんはいた。
この人混みの中でも目立つ5人程の集団。組の幹部達だろうか。
その周りを警戒するように見張っている数人の若衆らしき男達が、油断のない気配を纏って立っている。
さすがに緊張する。けれど、今はそれを恐れている場合じゃない。
一度止まった足を動かして、そこへ近づいた。
「どちら様ですか」
征爾さんまでまだ数メートルはある距離に来た時点で、見張っていた若衆の一人が目の前に立ちふさがった。
背は俺よりも少しだけ高い20台前半くらいの男。
やはり眼光が鋭い事を見れば、その世界の人間だという事がわかる。
緊張に喉を詰まらせながらも、なんとか自分を落ち着かせて口を開いた。
「俺は天原深といいます。宮原の…、宮原櫂斗の先輩にあたります。どうしても征爾さんに伝えたい事があるので、話をさせて下さい」
「…櫂斗さんの先輩か」
俺の素性が知れた事で、目の前に立つ相手からほんの僅かに警戒心が解けた事がわかった。
それでも、やはりこのまま通してくれるわけではないらしい。
「悪いが、確実に信用できる相手じゃないと近づけるわけにはいかない。どうしてもと言うなら、伝言くらいはしてやる」
そして、さぁ言え、とばかりにジッと見つめてくるその眼差しには、俺の心理を探ろうとしている動きが読み取れた。
…やはり無理か…。
顔を俯かせ、諦めて伝言をお願いしようかと唇を噛みしめたその時、コツっという革靴の足音と共に、何か圧倒的な気配を纏った誰かが横に並び立ったのを感じ取った。
そして、目の前に立つ若衆の息を飲む音。
…なんだ?
顔を上げ、まず最初に視界に映ったのは、緊張を漲らせて思いっきり頭を下げている若衆の姿。
その反応で、もう見なくてもわかった気がする。
ゆっくり視線を横にずらし、そこに立っていた男を見た瞬間、あまりの迫力に息を飲んだ。
「宮原…征爾さん…。…どうして…」
いつの間に近づいてきたのか、そして何故ここまで来てくれたのか…。
一緒にいた幹部らしき人達は、さっきと同じ位置にいる。それでも、征爾さんの行動に多少なりとも驚きを感じたのか、こっちを窺っている様子が見て取れた。
茫然と見つめる俺の視線がおかしかったのか、横に立つ相手の目元が僅かに緩んだ。それだけで、威圧感がだいぶ和らぐ。
「いま、櫂斗の名前が耳に入ったのでね。見れば同じ年くらいの君がいたから、話を聞きに来た。…ここにいるという事は、私に何か用があるのだろう?」
低く深みのある声。
190近くありそうな長身から見下ろされる眼差しに、ヤクザ者特有の威嚇の色は見当たらない。
次期組長に決定された人だ、そんな見え透いたものは必要ないのだろう。
この人なら大丈夫。頭ごなしに全てを拒否する事はない。しっかり話を聞いてくれる。
素人の俺にも、それだけはわかった。
ゆるゆると息を吐き出し、それまで肩に入っていた力を抜く。
「こんな大変な時に俺の話を聞いてくれる事、感謝します」
まずはそれだけ言って、頭を下げる。
何も言わずに次の言葉を待ってくれている相手に、震えそうになる左手をギュッと握りしめてから、手の中にある携帯電話を目の前に差し出した。
鋭い視線が、俺の左手に握られている携帯に向けられる。
「これは?」
「…今、電源を入れたら、宮原からのメールが…、届いたんです」
「え?」
僅かに寄せられる眉。怪訝そうな眼差し。
それはそうだろう。もう宮原はこの世にいないのに、メールを送ってくるなんてありえない。
ゆっくりと首を横に振った。
「今じゃなくて…、宮原が…まだ…」
『生きていた時に』
その言葉を言おうとした瞬間、グッと胸が詰まって言葉に出せなくなった。
…まずい…ッ…、ここで泣くわけにはいかない。
歪みそうになる顔を咄嗟に俯けて唇を噛みしめる。
無理やりに感情を押し込めようとした事で、心臓の鼓動がドクンドクンと痛いくらいに激しくなった。
飲み込んだ感情の塊が腹にズンと落ちる。
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