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最終章~それぞれの旅立ち~3
「…櫂斗の最後のメール…という事か…」
頭上から、苦しそうな声が聞こえてハッと顔を上げた。
苦い笑みを浮かべた征爾さんが一言、「ありがとう」と呟いた事から、今の断片的な言葉と状況から全てを理解してくれたらしいとわかった。
ホッとした瞬間、目尻に溜まっていた涙が零れ落ちたのを感じ、慌てて手で拭い去る。
そして、メールの画面を開いて征爾さんの手に無理やり押し付けた。
「…読んで下さい」
無言で携帯を受け取った征爾さんは、その画面に映し出されている文字を静かに目で追った。一度だけではなく二度三度と読み直しているようだ。
暫く経ち、もう一度お礼を言われて携帯が手に戻された後、征爾さんは何故か俺の事を真顔でジッと見つめてきた。
何か言いたそうに見える表情。
どうしたのか…。そう尋ねようとした俺よりも先に、征爾さんが嘆息混じりに言葉を発した。
「…そうか…、君が…」
「え?」
何かに納得したように一度目を伏せた様子に、わけがわからず首を傾げる。
そして、次にその双眸を向けてきた時、征爾さんの顔はそれまでと違う柔らかさを纏っていた。
「櫂斗が…、あいつが月城に入った頃から、やけに良い顔をするようになったとは思っていたんだ。いったいあいつに何が起きたのかと…。けれど、このメールを読んでわかった。…君のおかげだったんだな…」
「え?」
その優しい眼差しは、“次期組長”というより、一人の“兄”という立場の人間としてのものに変わっていた。
戸惑うばかりの俺に、尚も言葉は続く。
「君は、天原深君…だね?…死ぬ間際に櫂斗から言葉を預かっている。『今までの言葉は全部本気じゃない、アンタをからかうのが楽しかったからワザと言ってたものでただの嫌がらせだ。もうからかう事はないから安心しろ』と…」
「…あ…いつ…」
伝えられた言葉。その言外にあるのは『だから俺の死を悲しむ必要はない』という、宮原の優しさだ。
こうなって、俺が悲しむだろう事を予測し、今までの好きだとか本気だとかいう言葉は嘘だ、からかっていただけ。だから悲しむ事はない、気にするな…と…。
…死ぬ間際まで、そんな事…。
俯いた拍子に、涙がポタポタと床に落ちた。
「…ありがとう…ございます。…あいつ、こんな最後まで優くて…」
それ以上言葉が紡げなかった。涙が止まらない。声を押し殺すだけで精一杯だ。
その時、俯いていたからわからなかったけれど、何故か征爾さんが微かに笑んだような気配を感じた。
そしてそこから続いた言葉は、宮原の最期の時を語る言葉だった。
side:征爾
『櫂斗!!』
上半身に受けたいくつもの銃弾に倒れた弟の体。目の前に崩れ落ちたその体を、征爾はグッと抱きしめた。
薄らと目を開けた櫂斗にホッとしたのも束の間、もう、ダメだろうとわかったのは親父も同じだったようだ。
…そして本人も…。
命 を取りに来た男は、もう既に幹部達によって取り押さえられている。
身元を吐かせた後、死なせてくれと懇願したくなるくらいの拷問を与え、そして死体は処理されて捨てられる手筈だ。
どっちにしろ、任務に失敗した人間の末路など、ここで死んでも組へ戻っても似たようなものだ。肉体的抹殺か立場的抹殺かの些細な違いしかない。
とりあえず相手の組への報復は後にするとして、今は、俺と親父を庇って倒れた櫂斗が先だ。
抱きしめている体からドクドクと溢れ出す赤い液体。それに比例して青ざめていく顔色。
自分の力不足によって引き起こされたこの事態。ほんの一欠片の甘さが、今に繋がった。
櫂斗の命が消えようとしているのも全て、…全て俺の責任だ。
『櫂斗、すまない』
もう長くは保たないだろう体を抱きしめて、頭を下げた。親父は厳しい顔をしたまま、畳の上に投げ出されている櫂斗の手を握りしめている。
この場に残る数人が見守る中、櫂斗が震える唇で言葉を発した。
『べ…つに…謝ってもらう…ほどの事じゃ…ねぇ…』
こんな時でも泣き事一つ云わないこの弟が、悲しくもあり愛しくもある。
この世界には入らねぇ、だから誰とも盃なんて交わさねぇよ。
以前そう言っていた事がある。だが実際、その内面は誰よりも極道の血を引いていると思われる末の弟。仁義もあれば根性も男気もある。
『…櫂斗…』
血で濡れている己の指で、その頬を撫でた。赤い指跡が、櫂斗の顔に凄絶な迫力を与える。
『兄…貴…』
『…なんだ?』
蒼白な顔色の中、双眸だけがまだ輝きを失っていない。そんな顔を見つめ、震えている唇が吐き出す言葉を一言も漏らさないように意識を傾けた。
『…アイツに…天原深に…、すぐに戻ると、メールを送った…。…それが…こんなザマだ…。俺が…死んだら…、あいつは絶対に…俺の死の悲しみを、背負おうと…する。…俺は、…っ……アイツが悲しむ、原因に…なりたく、ない。………だから、嘘だと…、今までの事は…全て、嫌がらせだと…伝えてくれ…。…これは、最期の…頼みだ…』
そして、すべての伝言内容を言い終わった瞬間、激しい咳きこみと共に口から大量の血を吐きだした櫂斗の様子に、幹部数人がクッと息を詰めた。
俺と親父は、櫂斗から一瞬たりとも目を逸らさず、弟の最期の姿を目に焼き付ける。
『…わかった。その言葉は確実に本人に伝える。…だから、お前はもう休め。後は俺に任せろ』
その言葉を聞いて安心したのか、櫂斗の顔に薄らと笑みが浮かんだ。そしてゆっくり閉じられる瞼。
その数秒後。櫂斗の呼吸が完全に停止した。
『…ッ…櫂斗!!』
Side:征爾end
征爾さんの口から語られた、壮絶な宮原の最期。
もう、頭がどうにかなりそうだ。
もっと色々話をすればよかった。アイツが望むような関係にはなれなくても、それとは違う関係の作り方はあったはず。
そんな後悔が、次から次へと湧き起こってくる。
もう流れる涙を隠す気もない。ただひたすら、ポタポタと床に滴る涙の存在を見つめるだけ。
すると、そこで征爾さんが再び口を開いた。
「…もし君が、私の最初の言葉を聞いてそれをそのまま鵜呑みにし、そうだったのか、櫂斗の行動は全て冗談だったのか…と肩の荷を下ろして安心するような人間だったら、そこで話は終わりだった。櫂斗の本当の言葉を、最後の様子を伝えるつもりはなかった。だが、君は本当にあいつの事をわかってくれていたようだったから、全てを告げる事にしたんだ。君のお陰で、あいつの人生に大切な“心”というものが加わった事を感謝する。……それから、櫂斗は私の大切な弟だ。その弟が大切に想っていた君を、一度だけ助けると約束しよう」
最後に聞こえた言葉に、耳を疑った。
…助けるって…どういう…こと?
流れる涙をそのままに、征爾さんを見上げた。
「これから先、通常では解決できないような何か困った事があったら、私のところに来なさい。一度だけ、どんな事でも君の願いを叶えると約束しよう。邑栖会の次期組長である私の権限を使って、ね」
「…征爾さん…」
茫然と呟く俺をどう思ったのか、おもむろに片手を伸ばしてきた征爾さんは、その親指で俺の頬を伝い落ちる涙をグイっと拭い去りながら、フッと優しく目元を緩めた。
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