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最終章~それぞれの旅立ち~8
今日は絶対に泣かないって決めていたのに、…無理だ…、こんなの、泣かずにいられないだろ…っ…。
抱きしめていた花束に顔を伏せるように俯いて、堪え切れずに頬を伝って流れ出す涙を隠す。
それでも、そんなの秋にはお見通しだったようで、腕を掴まれて強く引っ張られたかと思えば、薔薇の花束ごと秋の腕の中に苦しいくらいに抱きしめられた。
「…約束、覚えてる?次に会った時は、もう絶対に離さないって」
耳元で聞こえる囁くような声。泣きながら、それに何度も何度も頷き返す
「離れていたこの一年間の事、深に話したい事がたくさんある。それでも、今いちばん言いたい事を言ってもいいかな」
「…うん」
グスッと鼻を啜りながら頷くと、不意に指先で優しく顎を持ち上げられた。そして絡まる視線。
「愛してるよ、深。誰よりも何よりも、大切に想ってる」
「秋…。…っ俺も、愛してる!ずっと、ずっと会いたかった!!」
秋から贈られた言葉で、心にあった色々な傷口がみるみるうちに塞がっていくのがわかった。
この感情をどう言えばいいのかわからなくて、秋にギュッと抱きつく。
と、その時。
「あ~ぁ、やっぱり来ちゃったんだ、黒崎…」
何やら聞き覚えのある声が横から聞こえてきた。
…嘘…だろ…?…だって、この声…。
秋にしがみついたまま茫然としている内に、間近で深~い溜息が零れ落ちた事に気が付いた。そして放たれる疲れたような声。
「来るに決まってるでしょう。深は俺のものですから、鷹宮さん」
「もし黒崎が来なかったら、その時は問答無用で深君を僕のものにするつもりだったのに…、残念」
恐る恐る顔を上げた俺の目に映ったのは、言葉とは裏腹に何故かとても嬉しそうな表情を浮かべている鷹宮さんだった。
「…鷹宮さん…、どうして…」
秋から手を離し、鷹宮さんに向きなおる。そんな俺の髪の毛をサラリと手櫛で整えてくれた鷹宮さんは、笑って両肩を竦めた。
「今言った通りだよ。黒崎が迎えに来なかったら、僕が攫っていこうかなって思ってた。…でもまぁ、しょうがないね、完敗だ」
「鷹宮さん…」
「卒業おめでとう」
「…あ…りがとうございます!!」
もう、嬉し過ぎて何がなんだかわからない。ただ、自分の顔が馬鹿みたいに緩みまくっているのだけはわかる。
そして気づけば、秋と鷹宮さんというとんでもない人物の登場に、卒業生から在校生に至るまで物凄い人数の生徒が集まり、講堂の扉付近が大混雑・大騒動になってしまっていた。
…どうするんだこの状態を…。
あまりの状況に、嬉しさも吹き飛んで冷や汗が流れる。
何重にもなっている人垣を見つめて固まっていたら、不意に誰かに腕を掴まれた。それと同時に優しく背を押される。
「…秋?…鷹宮さん?」
「ここは僕が何とかするから、行きなさい」
「…あ…」
腕を掴んでいる秋を見上げれば、笑んだ瞳に頷かれる。
「あ…りがとうございます」
そして今度こそ鷹宮さんに強く背を押された瞬間、秋が俺の腕を引っ張って足を踏み出し、生徒達の人混みの中を突破するように走り出した。
「秋、待って。…鷹宮さん!また連絡しますから!!」
周囲から伸ばされてくるたくさんの手から逃れるように人垣をすり抜け、背後を振り返って鷹宮さんに大きく声を張り上げると、片手をヒラヒラと振りながら微笑む姿が人混みの中に消えていく。
それを確認したあと、正面に向きなおって秋と一緒に全力ダッシュを開始した。
2人共もみくちゃにされながらもようやく人垣を超えて講堂前から走り去ろうとした時、背後から何人かの聞き覚えのある声が響き渡った。
「天原せんぱ~い!卒業おめでとうございまーす!!黒崎先輩もおめでとうございますー!」
相変わらずの柔らかい口調、同じ生徒会で時を共にした菅野原だ。
あとで知った事だけど、秋の留学先は月城の兄弟校で単位の互換が可能。留学しても日本の卒業資格が取れる制度だったらしい。
「たまには遊びに来て下さい」
現生徒会長の若林は、安定の穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「天原!黒崎!またな!」
「あ~!!最後にギュってしようと思ってたのに~!!」
大きく手を振る藤沢と、子供のように地団太を踏んでいる前嶋。
…ギュってしようと思ってたって何だよ前嶋くん。
走って息が切れながらも思わず爆笑してしまった。やっぱり前嶋は最後まで前嶋だ。
走る速度を緩め、秋と二人で背後を振り返ると、人垣の前に並んでこっちを見ている四人の姿があった。
講堂を出る際に担任によって一人一人手渡された卒業証書の入った筒を大きく頭上に掲げて、それを左右に振る。
「みんな!卒業おめでとう!そして、ありがとう!!」
本当はこの後教室に戻る予定になっていたけど、でも荷物はもう何もないし、真藤と薫とは今夜会う事になっている。
担任の笹原には悪いけど、このまま帰ってしまおう。きっと教室で大魔神顔を披露してくれるはずだ。それが俺からクラスメイト達への、はた迷惑な最後の置き土産。
隣では、秋も笑顔でみんなに手を振っていた。
そして視線を合わせてニッと笑い合い、手をしっかりと繋ぎ合う。
「行こう、深」
「うん!行こう、秋!」
走り出した俺達の隙間を縫うように、早咲きの桜の花弁がヒラリヒラリと柔らかなピンク色を纏って優雅に空中を舞い踊る。
月城学園で過ごした時間は、俺の人生の中からすれば、ほんの僅かな時間でしかないだろう。
けれど、それがどれほど大切な時間だったのか、たぶん、これから先の人生の中で心の底から実感する事になると思う。
でも今はただ、出会った全ての人に対してこの言葉を贈りたい。
「ありがとう」…と。
―end―
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