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蒼穹希心3
† † † †
「あ…、神崎君!」
昼休み。
飛鳥と一緒に食堂へ向かう途中の廊下、遥か前方に宇宙の姿を発見した優は、咄嗟に声を張り上げて名を呼んだ。
声は聞こえたのだろう、チラリと振り向いた宇宙だったが、何も言わずにまた前へ向きなおり歩いていってしまう。
今を逃したらまた話が出来ない。
そう思った優は、宇宙に向かって走り出した。
これに驚いたのは、一緒にいた飛鳥だ。
「優!!」
ただでさえ体が弱い優。突然ダッシュで走り出したら心臓の動きが追いつかない。
慌てた飛鳥の声に反応したのは宇宙だった。
只事ではない飛鳥の声に再度振り向いた宇宙は、自分に向かって走ってくる優の姿を見て僅かに目を見開いた。
具合を悪くしている優を何度も見ている宇宙には、その行為が良くないものだとわかっている。
チッと小さく舌打ちしながらも、優に向かって走り出した。
離れていたお互いの中間地点で優を捕まえた宇宙は、すでにゼーハーと呼吸を乱している優の腕を掴んで背を擦りながら怒りだす。
「自分の体の事を考えて行動しろ!」
「だ…だって…、神崎君が…行っちゃうから…」
相変わらずのひたむきな視線に、宇宙の眉間に皺が寄せられた。
苦しそうな優。それでも何故か、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「…何笑ってんだよ」
「やっぱり…、神崎君が…優しいから」
「………」
本当に嬉しそうに言う優に、背を擦っていた手を止めた宇宙は何も言えず押し黙った。
その時、
「優!」
追いついた飛鳥が、優の手を引っ張って自分に引き寄せた。同時に、それまで掴んでいた宇宙の手がスルリと優から離れる。
「ごめんね飛鳥。大丈夫だから」
険しい顔で宇宙を睨むように見る幼馴染の様子に気がついた優は、自分の腕を掴む飛鳥の手を軽く叩いて、なんでもない事を告げる。
だが、飛鳥はそれを無視して宇宙に向き直った。
「神崎。この際だからハッキリ言っておく。お前に関わると優がろくでもない目に合う。今後一切関わらないでくれ」
「飛鳥っ!!」
あまりと言えばあまりの言葉に、優の顔が泣きそうに歪んだ。心配して言ってくれているのはわかる。わかるけど、宇宙を責めるのはお門違いだ。
「………」
「おい、神崎!」
一度チラリと優を見下ろした宇宙だったが、結局何も言わずに踵を返して行ってしまった。
そんな態度が気に食わないのか…、それとも、もう二度と関わらないという確約の言葉が欲しいのか…、もう一度宇宙を呼びとめようとした飛鳥を優が必死に押し留める。
「やめてよ、飛鳥っ」
その間に宇宙は歩き去ってしまう。
数秒もすれば、生徒たちの波に紛れて見えなくなってしまった。
「優!なぜ止める!」
「だって、神崎君が悪いわけじゃないから。これまでだって今だって、神崎君は僕の事を助けようとしてくれる。それに、今のはどうみても勝手に走り出した僕が悪い。だから神崎君を責めないで!お願いだから!」
「………優…」
必死に言葉を紡ぎ、更には泣きそうにまでなっている優を見て、これ以上何が言えよう…。
苦虫を噛み潰したような顔をして、飛鳥は口を閉じた。
一方、優達の元から歩き去った宇宙は、そのまま屋上へと向かっていた。
頭の中から、さっきの優の嬉しそうな顔、そして飛鳥の言葉に泣き出しそうになった顔、それらが消えない。
千秋優の事なんて無視すればいいとわかっているのに、苦しそうな顔を見ると何故かいつも手を差しのべてしまう。
いつもナイトのように守っている鳥居飛鳥に任せておけばいいと思っているのに、気付けば手が出ている。
…心配に…なるのかもしれない。病弱だと聞いてしまったから。
たぶん、無視出来ないのはそのせいだろう。
あいつが健康体だったら、何がなんでも無視したはずだ。
そう自分に言い聞かせながら屋上の扉を開けた宇宙は、外の日差しの眩しさに眼を細めた。
青い空と涼しい風。心地良い爽やかな天気。
何故かこんな日は、天原深を思い出す。
常に清浄な空気をまとっているような深の傍は、とても居心地が良い。
…あぁ…、深に会いたい…。
優に関わると、いつも心のどこかが音を立てて軋む。
いつの頃からか…、優の自分を見る瞳の中に、心配そうな気遣いが見え隠れするようになっていた。
そんな風に見られたくない。
何故かわからないけど、優に心配をされるのがイヤだと感じるようになった。
あの必死な瞳が、心を苦しくさせる。
アイデンティティが確立できない事で、己というものが信じられずに他人から一歩引いてしまう自分とは、何もかもが違う優。
自分の弱さが露呈するようで、正面から向き合えない。
こんな風に心が弱っている時は、必ず深に会いたくなる。
この気持ちが前世から引きずるものでもいい。とにかく今は、深の顔を見たかった。
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