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蒼穹希心6
† † † †
昨日の事を思い出すたび、頭の中でグルグルと目まぐるしく思いが交差したまま迎えた昼休み。
食欲もなく、1人で昼休みの中庭を歩いていた優は、噴水脇のベンチに見覚えのある人物が座っている事に気がついて足を止めた。
…どうしよう…。
逡巡する思いに囚われて動かない体。
その内に優の気配に気づいたのか、ベンチに座って何かの書類を見ていた人物が顔を上げて振り向いた。
「あれ?キミは、昨日宇宙と一緒にいた…」
「…あの、こんにちは。千秋優と言います」
「こんにちは。俺は天原深です。…良かったら、座らない?」
自分の恋敵でもある人物から友好的に隣を示され、戸惑わなかったと言ったら嘘になる。
でも優は、この人としっかり話をしてみたいと思っていた。
嫌な感じの人であれば断っただろうけれど、昨日少し見ただけでも悪い人じゃないという事がわかった相手。
躊躇いは一瞬の事。
すぐに「はい」と頷いた優は、深の隣に腰を下ろした。
深は手元の書類を勢いよくファイルへ戻し、大量な為に多少乱雑になってしまったその動作に苦笑しながら優に視線を向けてくる。
「高哉…、あー…じゃなくて、ここの理事長にちょっと用事があってね。さっきやっと話がまとまったところなんだ」
「あの…、理事長とはどういう…」
昨日も思った疑問。
理事長の事を呼び捨てにするなんて、いったいどんな関係なんだろう。
優の不思議そうな表情に、深は困ったような笑みを浮かべた。
「うん、そうだよね。呼び捨てにしてれば普通は疑問に思うか…」
太陽の光に透けてキラキラと光る前髪を片手でかき上げながら、しまったな…と呟いた深。
続いてその唇から出た言葉に、優の目が見開かれた。
「高哉とは従兄弟なんだ。この前の理事長だった咲哉もね。…ちなみに俺もここの卒業生」
月城の卒業生。理事長と従兄弟。そして天原深という名前。
そこから導き出される符号。パズルのピースが全てぴたりとはまった。
“天原財閥の御曹司”
「…あなたが、天原さん…」
まさかこの人があの天原深だったとは…。
優は驚きのあまりに二の句が告げなくなってしまった。
そもそも月城学園は、著名人の子息が通う場所として有名で、それなりの人物が揃っている。
その中でもトップクラスなのが、生徒会役員だ。
生徒会役員の中でも、生徒会長と副会長は別格。
月城学園歴代の生徒会長には、未だに語り継がれる有名な人物が数人いる。
いちばん有名なのは、鷹宮京介という人物。
その鷹宮氏の次に有名なのが、天原深という人物。
…まさか本人に会えるとは…。そしてそれが神埼君の想い人だったとは…。
想像以上の大物だという事がわかった優は、深の顔を見つめたまま固まってしまった。
「あ…、あの、千秋君?」
優の驚きっぷりに慌てたのは深。
やっぱり言わない方が良かったか…、と後悔の嵐に見舞われてあたふたしているその姿があまりに可愛くて…。
「…っ…天原さん…、可愛い」
優が噴き出した。
肩を震わせて笑う様子に、深の頬が薄らと朱に染まる。
「…可愛いって…。いや、それより、そんなに驚かないでほしいな。今の千秋君、なんか見ちゃいけないモノを見たような反応だったし…」
今度は眉尻をへなりと下げて落ち込む深の様子に、優はもう堪える事が出来ずに声を出して大笑いした。
こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
子供の自分に対しても構えることなく自然体で、そして感情を素直に表す。
裏表が全く感じられず、思わず手を差し伸べたくなるような…、でも甘えさせてくれるような…。本当に魅力的な人。
恋敵なのに、この人の事は絶対に嫌いになれない。優はそう確信した。
ようやく笑いを止めた優に、深はホッとしたように安堵の溜息をこぼす。
「千秋君、笑いすぎ」
「だって、天原さんが面白いから」
面白いという言葉に首を傾げる深だったが、すぐにその視線をまっすぐ優に向けてきた。
柔らかく優しい、見守るような暖かな眼差し。
「…キミみたいな子が宇宙の傍にいてくれて、本当に安心した」
「え?」
包み込むような眼差しと言葉に、優はピタリと動きを止めた。
「あいつはいつも誤解される事ばかりで、そしてその誤解を否定しない。本当はとても良い子なのに、それが周りに伝わらない事が多い。人の事は助けるのに自分の事を助けようとしない。助けを求めない。…見ていて、それがもどかしくてね…」
優から視線を外し、正面にある噴水に目を向けた深は、どこか遠くを見るような眼差しをしていた。
その眼差しは、時折宇宙が浮かべるものと似ていて…。
まるで、今ここには無い何かを見ているような眼差し。
「月城は閉鎖された空間で、なおかつ、在籍するのは一癖も二癖もある良家の子息ばかり。あいつには息苦しいだろうなって、実は結構心配してた。…でも、」
そこで深の眼差しが優に戻ってくる。
「キミが宇宙と仲良くしてくれているなら、大丈夫だと思ったよ」
にこりと笑いながら言う深に、優は笑み返す事が出来なかった。
…違う…、神崎君が本当に求めているのは貴方なんだ。…僕じゃ、全然力になれない。
なんだか、突然泣きたくなった。
誰よりも宇宙の事をよく知っていて、そして人間的にも素晴らしい。
本当に、自分では敵わないと思い知った。
宇宙の憂いを取り除けるのは、たぶんこの人しかいない。
それがわかった瞬間だった。
優はすぐに立ち上がり、
「すみません。もうそろそろ授業が始まるので、失礼します」
まるで言い訳するように深に告げ、足早に中庭から立ち去る。
自分のこの行動が逃げだとわかっていたけれど、もう、どうしようもなかった。
優の後ろ姿を見送った深。
「…誰も悲しむ事がないようにしたいなんて、そんなのは俺の綺麗事でしかないのかな…。ねぇ、宮原…」
蒼い空を仰ぎ、ひっそりと呟いた静かな声は、流れる風に溶けて消えた。
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