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蒼穹希心11

『私立荻原総合病院』 理事長から告げられた名前。それは、ここから車で1時間ほどの場所にある病院だった。 深の口利きにより状況を全て教えてもらった宇宙は、理事長専用の車に乗せられてその病院へ向かう。 いなくなって初めて分かる、自分を愛し続けてくれた大切な存在。 自分の方が辛いはずなのに、それよりも宇宙の事を心配しつづけてくれた優の無償の愛。 一体自分は何を見ていたんだ。 あんなに手を差し伸べてくれていたのに、意固地になって拒み続けた。 どれだけ傷つけてきたのだろう。 絶対に失いたくない…ッ 膝の上に置いた拳をグッと握り締めた。 私立荻原総合病院に着いた途端、宇宙はドアが開くのももどかしく車から飛び出した。 ゆっくり開く自働ドアにぶつかりそうになりながらも、受付カウンターへ急ぐ。 教えられたのは、準ICUの部屋だった。 ナースステーションを間に挟んで向こう側にICU。手前に準ICU。 この病院のICUは、一日の間に面会する時間が決められているが、準ICUは手と靴の消毒とマスクをすればいつでも10分だけ面会が許される。 部屋の前には、千秋の両親と思われる男女と鳥居飛鳥の姿があった。 そして、宇宙にいちばん最初に気がついたのは、飛鳥だった。 探せるとは思ってなかったのだろう、宇宙の姿を見て目を見開いている。 「…神崎、お前どうやってここを…」 「千秋は!?アイツに会って言わなきゃいけない事があるんだよ!」 「神崎」 それは滅多に見られない必死な宇宙の顔。 「頼む!千秋に会わせてくれ!」 心からの言葉は、飛鳥の心を動かした。 「おじさん、おばさん。コイツ、千秋の大切な奴なんだ。中に入れてやってもいい?」 飛鳥の言葉に、優の両親は一も二もなく頷いた。 「どうかあの子に会ってやって下さい」 まるでこれが最期だから、とでも言うような優の母親の言葉に、宇宙は全身が恐怖で痺れるのを感じた。 飛鳥に促され、消毒をしてマスクを身につける。 そして、アクリルの透明なドアを潜った宇宙が目にしたもの。それは、 「…っ…優!!…おじさん!おばさん!優が!」 真っ青な顔をした優が、胸を押さえて苦しんでいる姿だった。 飛鳥の大声に、両親と、ナースステーションから看護婦達が数人、足早に入ってくる。 「早く内藤先生を呼んできて!」 「バイタルチェック!」 「血圧下がってます!」 「そこ!場所開けて!」 突然慌ただしくなった病室。 追い出される宇宙達。 すぐに担当医師らしき白衣を着た40代後半くらいの男性が病室に入って、何かの処置を始めだした。 遠いものだと思っていた死が、今はこんなにも身近にある。 優の両親達は覚悟を決めているのか、取り乱す事なく真剣な表情で病室の中を見守っている。 さすがに飛鳥はまだ子供で、覚悟はしていたとはいえ幼馴染に襲い来る死というものに耐えきれず、しゃがみ込んで白い壁に体を凭せ掛けていた。 そして宇宙は、しっかりと目を見開いて病室の中を見ていた。全てを目に焼き付けるように。 そんな時間が30分程続き…。 ドアが開いて、内藤が姿を現した。 「先生。優は、どうなりましたか?」 感情を押し殺した優の父親の声は、微かだが震えていた。 「…なんとか発作は治まりました」 内藤の言葉に、飛鳥が勢いよく顔を上げる。 「それなら!優は大丈夫なんですか!?」 ひとかけらの希望に縋る声。 それに返される内藤の言葉は、無情なものだった。 「今夜を越す事は難しいでしょう。今は、15歳という体の若さだけで保っている状態です」 そう言った内藤は、固まったまま動かない優の両親の横を通り抜けてナースステーションへ入って行った。 その姿を見送った優の両親は、お互いに手を握り合い、静かに病室へ入っていく。 それに続いて飛鳥も入っていった。 宇宙は、足を動かす事が出来なかった。 だが、 「神崎!お前が会わなくてどうするんだよ!」 すぐに病室から出てきた飛鳥が、固まっている宇宙に向かって檄を飛ばす。 ビクリと揺れる宇宙の肩。 暫くしてから出てきた優の両親は、廊下に出た瞬間、二人とも静かに涙を流し始めた。 「…神崎君、優に会ってやってちょうだい」 泣き笑いの顔で優しく宇宙の背を押し出してくれる優の母親。その手が、宇宙に勇気を与えた。 「…はい」 心臓の音がうるさいくらいに耳につく。 全身が心臓になったみたいにドクンドクンと鼓動を響かせながら、病室へ足を踏み入れた。

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