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[木綿]

 衣笠のバイト先の喫茶店は、流行に敏感なのか動じないのかよく分からない。  中華屋で言う『冷やし中華』的な位置付けで『フロートはじめました』って旗が揺れている。メロンソーダ・オレンジ・コーラ・コーヒー各500円、か。また観光協会のミニコミ誌に取り上げられるのかな。  俺の大学の同級生、同じ学内寮に住む衣笠が、喫茶店のウエイターになってもうじき一年。俺の予想通り、店頭に立つ姿はだいぶサマになっている。一方、ようやくはじめてのアルバイトに就いた俺は、週に4回、山のてっぺんの大学の敷地内にある寮から自転車で温泉街へ下るのが日課になった。自転車で温泉街を駆け回り、旅館の土産コーナーのメンテナンスをする。受けた発注額に応じて手取り分が増していくやり甲斐のあるバイトだ。  山からの下り道、バス通りを素直に通るか、近道して小径に入るか迷っていたのは初めのうちだけだ。舗装が甘い小径をママチャリで下るのは、とても厳しい(尻的に)と悟った。バスは日中は1時間に一便の運行で、危険でもない。なのでもっぱら大きな舗装された道路を走っている。  このところ、気になって仕方がない場所がある。  山の中腹、毎日通る道路の路肩に、キラリと光るものが……500円硬貨が落ちている。朝陽に、夕陽に、異質な光りを放っていて、どうにも気になる。  こんな歩行者は通らなさそうな道路に誰が落としたんだろう。わざわざ自転車を止めて降りるのもどうかと思い、毎日通り過ぎている。  だけどやっぱり気になって、今日はとうとう自転車を降り、500円硬貨を拾ったのだ。  駅前の交番に届けよう。届け出るには場所を説明しないといけないだろう。スマホの地図アプリで現在地を記録した。  駅前の派出所は、大きなスーツケースを持った外国人観光客でごった返している。  人混みをかき分け、受付テーブルに座る年配のお巡りさんに要件を伝えた。 「あの、お金を拾ったんですが!」 「あー、はい。そしたらこの紙に必要事項を書いてくださいね。えーと、場所はどのあたり?」  やっぱり聞かれた。俺はさっき記録した地図アプリを開いた。これ、書類に書き写すのかな? だとしたら面倒だなぁ。 「……結構駅から遠いところですね。ええと、拾得金額は、ご、五百円?」 「はい。五日前にはもうそこに落ちてました」  年配のお巡りさんは、記入途中の用紙をまじまじと見つめると、そのまま後ろのレターケースに押し入れた。 「……ハイ。正直なお兄さんにお駄賃!」  ニッコリと微笑み手渡されたのは、今拾ってきた五百円玉だった。 「おじさん機械に弱くて、落ちてた場所が特定できないからね、この件は不受理ね。ありがとうございます」  サラリとお礼のような受け流す言葉を述べ、次に並んでいる人の手続きに行ってしまった。  えーーー!?  なんだよそれー!!  まだまだ混み合う派出所を出て、手の中の硬貨を見詰める。……どうしよう、これ。自分の財布に、入れてしまうのは抵抗感がありまくりだ。仕方なく、そのままポケットに押し込んだ。  駅から海へと続くアーケードを抜け、今日の訪店予定をこなしていく。たかが500円? 大したことない額? 扱い品の馬油シャンプー徳用ポンプを5本売ると、俺に入ってくるのが500円。放っておいて勝手に売れる分に加えて5本多く売るには、何をしたらいいかは即答できない難題だ。  たかが500円、されど500円。ここはひとつ、素直にお駄賃を喜んで受け取ればいいのかな……。  気付いたら無意識に衣笠が働くホテルの喫茶店の前に来ていた。海沿いの午後の日差しと海風を受けて、掲げたばかりの旗が揺れている。  ――そうだ! 衣笠の売り上げに貢献しよう。きっとこの五百円玉が手元にある限り、俺は延々と考えてしまう。あぶく銭を化けさせるには泡立つソーダフロートが最適じゃないか!  ガラス越しに店内の様子を伺うと、ああ、また衣笠はサービスを残業してコップを拭いている。自転車に鍵をかけ、いつもの重い木枠の扉を開けると、カウベルが鳴った。 「あっちー! 衣笠、もう帰る?  外のフロートの貼り紙につられちゃったよ。  クリームソーダのドアップはズルいだろう!」  元手が自分の金じゃないのが心苦しいので、一気に捲し立ててしまう。 「お前は『糖質の塊は敵だ』とか言って全否定するのかと思ってたよ」  衣笠が揶揄うように笑うから、俺もついつい言い返した。 「そりゃあ栄養的には空っぽだよ? でもこの蒸し暑さ! コイツを成敗しないとやってらんないじゃないか」  外より格段に涼しい店内を見渡し、ブラインドが降りている窓際に座った。メニュー表で風を起こし、エアコンの恩恵を享受する。  衣笠には咄嗟に言い返したものの、一拍置いてみるとどう見ても「糖質の塊」で、日頃の食生活を冒涜するメロンクリームソーダを飲む自分の姿は奇妙だ。  それに、ビジュアル的にもクリームソーダが似合うのは断然衣笠の方だ。 「……無性に飲みたくなったんだけど、ひとりで飲むのやだよ。メロンは糖質が多過ぎるな、コーヒーフロートはブラックに出来る?  衣笠、着替えて来いよ。クリームソーダ飲もう?」  こいつが断る理由はないはず。 「おう! 待ってろ、すぐ来るから」  衣笠は二つ返事でバックヤードに消えていった。  仕事モードから解放された衣笠の猫っ毛が午後の日に透けて、手元には清涼感の権化クリームソーダ。似合う。似合うに決まってるし、すげー見たい!  再びドアのカウベルが鳴る。いつものポヤポヤした衣笠が入って来て、俺の目の前に座った。仕事中オールバックだった髪は、手櫛で戻したらしく整髪料の名残があった。  おかえり、俺の好きな衣笠。  なんて、口に出して言わないけど、思っちゃっただけで気恥ずかしい。勝手に色々妄想してゴメン。恥ずかしさの代償として、さっきの500円玉を使ってしまおう。 「お前のフロート代、今日は俺が払うから。  黙って奢られて。な?」 < 綿貫が500円玉でごちそうする話 おしまい >

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