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近づく 2
彼は目を丸くしたままだったが、そのまま逃げないで立ち止まってくれた。
「やぁ……昨日会ったね」
「あっはい……あの、昨日はありがとうございました。僕のこと知っていたんですね」
いや……正確にはそうじゃない。
見かけていただけで、まだ彼のことをよく知らない。
だから知りたいと思った。
「俺は君の全部は知らないけれども、君が昨日公園で激しく泣いて、今日からはひとりで通勤して行くことだけは知っているよ」
そしてどうしてもこのきっかけを活かしたくて、「よかったら今度お茶かランチでも」と、まるで若者が初めてのデートに彼女を誘う時の常套句を……ドキドキと胸を高鳴らせながら提案した。
彼は一瞬困った顔をした。
「でも……僕はまだそんな気分じゃ」
あぁそうか。
彼は優しいだけでなく、とても誠実な人なんだ。
だから俺も生半可な気持ちでは駄目だ。
俺の気も一気に引き締まった。
今までこんなにも真剣に誰かの気持ちを推し量ったことがあるだろうか。
俺から見せる世界だけを基準に、我が物顔で生きてきた節があったことに気が付かせてもらった。
確かに……培った大切な思い出を、いにしえの思い出にするのは簡単なことではない。
芽生を授かった日のこと、生まれた日のこと、全部玲子と共有してきた思い出だ。玲子とは次第に上手くいかなくなってしまったが、息子を囲んで和やかな日々を過ごしたこともある。
あれは俺にとってもまだ身近な思い出だ。
そうだ……相手を急かして、追い詰めて……今まで俺がしてきた失敗はそこだ。
彼に向って改めて紳士的に「友達からスタートしてみないか」と告げると、彼は少し戸惑ったあと、俺の名前を聞いてくれた。
これは脈があるのか……一歩君からも歩み寄ってくれるのか。
「俺は宗吾だよ。滝沢 宗吾 。よろしくな」
「僕は……」
彼が自己紹介する前に、名前を呼んだ。
「君はミズキくんだよね?」
「えっ……何で知って?」
そしてどうして俺が名前を知っているかの理由も添えた。
「君の彼氏がいつも愛おしそうに、そう呼んでいたから」
彼は一瞬泣きそうに顔を歪めた。
泣かせてしまったのかとハラハラした。
辛いことを思い出させてしまったかもしれないが、それでも伝えたかったことがある。
君に非はなく、君はとても彼氏から愛されていたと。
バス停を通り過ぎる彼らの声が、よく風に乗って届いたんだよ。
「カズマ……」
「ミズキ……」
楽しそうに明るく……恋人の名前を呼び合っていた。
「ミズキってどんな漢字?」
「あっ瑞々しい樹木で……『瑞樹』です」
「そう……新緑の季節にぴったりのいい名前だね。俺もそう呼んでいい?」
「あっはい……」
「そして瑞樹くんの『幸せな復讐』にゆっくりでいいから協力させて欲しい」
思い切って核心にまで踏み込んだ。
すると彼はまたしばらく考え込んでしまった。
きっととても慎重に道を選んで生きてきたのだろう。
そんな彼が首を縦に振ってくれた時は、宝物が手に入った時のように高揚した。
彼の歩調に合わせてみよう。
今までのように即物的に手に入れたり、成り行きではない恋をしてみたい。
この恋を育ててみたい。
今までの俺にはなかった優しい気持ちが芽生えたのは、瑞樹くんの存在のお陰だ。
「じゃあ……あの友達からお願いします」
彼も緊張しているようで、首元のネクタイを緩めながら、ペコっと頭を可愛く下げてくれた。
そんな仕草一つひとつに悶える自分を、とりあえず必死に抑え込んだ。
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リンク部分『幸せな復讐」「幸せな復讐を」
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