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分かり合えること 8
「瑞樹、頑張ってるな!」
「兄さん!」
「ほら約束のスズランだ」
夕方になると研修を終えた兄さんがホテルにやってきて、大きな箱を裏方で作業中の僕に渡してくれた。開封すると鈴なりの大ぶりなスズランが整然と並んでいた。鼻を近づけるとスズラン特有の香りがふわっと漂い、その香りに誘われるように故郷の景色を思い出した。
「うん、やっぱり函館のスズランは品質が最高だね。懐かしい香りがするよ」
スズランの匂いは青い草の汁のような匂いと、うっすらと百合の花弁のような香りが混ざって、少しレモンのような酸味を感じるものだ。
「そう言えば瑞樹とは、今くらいの時期になるとスズランの在来種の観察によく行ったよな」
「函館山だね」
僕の故郷……函館山の入江山付近では、毎年初夏になるとスズランの在来種が花を咲かせていた。山の斜面でひっそりと白い花を揺らしているのが可憐で好きだった。もちろん今手元に届いたスズランは在来種でなく園芸用の品種だが、やっぱり函館育ちの花は白さも香りも格別だ。
「気に入ったか」
「兄さん本当にありがとう。最高の品質だし大きさもイメージ通りだよ。じゃあ作業に入るよ」
披露宴は明日の午前中なので明日は早朝ホテルから活け込みをする。今日はその下準備をするという段取りだ。
フラワーデザイナーとして披露宴会場での仕事は山ほどあって、準備する内容を考えると眩暈がするほどだ。
披露宴会場の入り口のウェルカムボードに受付テーブル、メインテーブル、ゲストテーブルなど会場内のあらゆる場所に花を飾る。それから新郎のブートニアと新婦のブーケと髪飾りなど、任されるものは多岐に渡る。更には両親への贈呈用花束にフラワーシャワーなど、お祝いの席にふさわしい華やかで効果的な演出が求められている。
やりがいのある腕の見せ所の多い仕事なので、つい力が入る。
「瑞樹、肩に力が入り過ぎているぞ。もっとリラックスだ。お前の持ち味のナチュラルなイメージを大切にしろ」
兄さんの言う通りだ。初めて一から任された仕事につい力が入り過ぎてしまっていた。
新婦のリクエストに沿ったイメージから起こしたデザインは、野原で繰り広げられるような草原ウェディング。あえて都会のど真ん中でそれを行うことでインパクトも強くなるだろう。そのコンセプトに沿うメインフラワーがこのスズランだ。
明日は助っ人が入る予定だが、人手不足なのであてには出来ない。しかも今日の下準備は僕一人でこなしたので、大きな花材や花器を運ぶことが多く、大変な重労働だった。
「はぁやっと終わった」
ようやく下準備が終わり額の汗を拭っていると、兄さんが近づいてきた。
「やっと帰れるのか」
「兄さん!ずっと待っていてくれたの?」
「あぁずっと見ていたよ。お前の頑張っている姿をしっかりとな」
そう言われて、くすぐったかった。
「瑞樹がこんな大きな会場の装花を任されるなんてすごいな。東京で頑張っているな。母さんにいい土産話が出来たよ。お前は、もう立派なフラワーアーティストだ」
「兄さん……僕はまだまだ駆け出しだよ」
ずっと年上のいつも憧れていた兄さんにそんな風に褒めてもらえて、くすぐったい気持ちになった。
「そえにしてもお前もう疲れてヘロヘロだな。今日はアシスタント入らなかったのか」
「うん、どこも人手不足なんだ」
「そうか。だが今日はもう帰れるのだろう?さっきデパ地下で弁当も調達しておいたぞ」
「本当?何から何までありがとう」
「瑞樹はさ……少しは周りに甘えろ」
兄さんはぶっきら棒にボソッと呟いた。その言葉に疲れた心が一気に緩んでしまうよ。だから帰りの電車では座れたのをいいことに、兄さんの肩にもたれてうつらうつらしてしまった。
「ほら、降りる駅だぞ」
「ん……眠い」
「しっかり歩けよ、もうお前は大きいから、昔みたいにおんぶしてやれないぞ」
「兄さんってば」
****
芽生を実家に送り、仕事がないのなら泊って行けばいいのにという母の誘いを振り切って一人で家に戻って来た。それからずっと悶々としている。何度もスマホを握りしめては躊躇していた。
瑞樹に電話して、空港でのことを聞いてみようか。
そう思うのに指が全く動かないんだ。
おいおい……しっかりしろ。そんな弱気でどうする?
こんなの俺らしくない。
直接会いに行こう。
直接会って話をしよう。
きっと何か事情があるはずだ。
だから瑞樹の目を見て、本人の口から聞こう!
瑞樹は繁忙期で朝会えない間の予定を、何故か事細かく教えてくれていた。その時は律儀な男なんだなと思う程度だったが、今となっては貴重な情報だ。手帳を確認すると今日は明日の披露宴の装飾準備で夜八時頃までホテルの裏方に徹しているとのことだった。
時計を見れば、後一時間程で仕事が終わる時刻。
瑞樹……きっと腹を空かせているだろな。きっと君のことだから、飲まず食わずで夢中で働いていたのだろう。ひたむきな彼を労わってやりたい。何か差し入れをしたいと思った。そうだ、すぐに食べられるように弁当を作って持って行くか。車を飛ばせば瑞樹の家まで十分もかからないのだから今から作っても間に合うしな。
俺は何を遠慮していたのか。
瑞樹が好きなんだろう?
だったら信じて追いかければいい。
そう思うと俄然元気が出て来て、凄い勢いで弁当を作りあげ車に飛び乗った。
瑞樹のことが大切過ぎて、慎重になり過ぎていたんだ。
時には強風に飛ばされないように、瑞樹の手で掴んでおくことも大事だということを忘れていた。
瑞樹のマンション前で車を停止し見上げると、瑞樹の部屋の電気は明るく灯っていた。
よかった!もう帰宅しているな。
ならば……もうすぐ会える。
俺の瑞樹に!
****
「ほら、今日は先に風呂入れよ」
「う……ん……そうさせてもらおうかな」
仕事で疲れ果てた弟を労わってやりたくて先に風呂を勧めると、瑞樹は素直に従い風呂場に消えた。暫くするとシャワーの水音が大きく聞こえてきたので、俺もやっと一息ついた。
さてと今のうちに可愛い弟に味噌汁でも作ってやるか。やっぱり弁当だけじゃ栄養のバランスが悪いよな~しかし東京ってのは、この時期湿気がすごいんだな。今日は蒸し暑くてワイシャツが汗でベトベトだし、慣れないスーツもいい加減窮屈でスパッと脱ぎたくてたまらない。
「うーん……まぁいっか」
暫く我慢してみたが結局スーツを手早くパパっと脱ぎ捨てパンツ一丁になると、解放感が溢れた。
「はーすっきりした」
やっぱり俺にはスーツは性に合わないな。
だが男同士とはいえ、この格好は流石にまずいだろう。持ってきた荷物を漁りルーズなズボンをゴソゴソと履いていると、玄関のインターホンがけたたましく鳴った。
おいおい、こんな時間に一体誰だよ。
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