204 / 1740
北の大地で 15
「えっその話マジですか。そりゃ……人手が足りなくて困っているから有難いけど、うちは家族経営だから……その、ぶっちゃけ他人にお給料を払う余裕がないんですよ」
セイが驚いた様子で正直に話してくれた。それは重々承知だ。
「そんなのいらないよ。よかったら僕を春までここに置いてくれないか。何か手伝わせて欲しい」
「それなら、こちらとしても助かるよ」
気が付いたら自分から申し出ていた。こんな風に積極的に交渉出来るなんて、我ながら驚いてしまった。
そうか……僕も何かしたかったんだな。そろそろ新しい何かを始めてみたかったんだ。
新しい一歩は自分で踏み出さないと始まらない。
宗吾さんに誇れる僕になって、あの人の元に戻りたい。そう願っているから。
「なら決まりだな」
広樹兄さんが、隣でニカっと明るく笑ってくれた。
「いいの? 兄さん……本当に? 」
「あぁ、ここは元を正せば瑞樹の家だった場所だろう。ちょうど瑞樹の部屋も残っているし、ここに暫く置いてもらうのは、いい事じゃないか」
「……ありがとう。僕の我儘を聞いてくれて」
僕の肩を抱いて、兄さんが励ましてくれる。
「ここで少し伸び伸びと過ごせよ。函館では窮屈な思いばかりさせてしまって悪かったな。そのうち母さんと潤を連れて泊まりにくるよ」
「悪いよ、忙しいのに」
「ここの売上に貢献させてくれ」
「ありがとう。兄さん。それに……セイもいいのか……僕なんかで」
「あぁ瑞樹なら大歓迎だ! なぁこの部屋をそのまま使ってくれよ。だって元々瑞樹の部屋だろ」
「ありがとう! 本当に……みんな、僕の我儘を聞いてくれて」
「馬鹿、我儘なんかじゃないよ。お前には、また羽ばたいて欲しいんだ」
かつて僕が過ごした子供部屋は、どこまでも和やかな空気で包まれていた。
****
「という訳で……僕はこのまま大沼に滞在することに……このペンションで手伝いをしながら春まで静養しようかと」
「えっ……それ大丈夫なのか。小学校の同級生とはいえ他人の家で……まぁ……とは言ってもそこは瑞樹の生家なんだが。あーでも、なんかますます遠くなったような気がするよ」
「そんな……宗吾さんは今ニューヨークにいるからそう思うだけで、東京に戻ったらもう少し近く感じますよ」
「うーん、だが北国の春は遅いだろう。だからまだまだ……長く感じるよ」
国際電話で話す宗吾さんの声は、明らかに沈んでしまった。
「あの、東京に桜が咲いたら戻ろうと思っています」
「え? そうか。それならあと2カ月ちょっとの辛抱だな」
「そうです!」
宗吾さんには申し訳ないことをしている。彼に甘えているのは重々承知だ。
でも……もう暫く羽を休めたいのが本音だ。正直……まだ少し怖い。
今日久しぶりに兄さんと函館駅に行き電車に乗った時、知らない人と対面するのに怯えてしまった。仕事に復帰するためにも東京に戻り宗吾さんと芽生くんと暮らすためにも、いつまでもこのままではいられない。
一歩一歩自分でも前進しないと、このまま凍って身動きが取れなくなってしまう気がして……
ごめんなさい。心の中で必死に詫びてしまった。
函館の家では、ひとりで外出出来なかった。広樹兄さん。母さん。潤が本当に心配し大切にしてくれ……だからこそ、そろそろ自分の足で立って歩き出さないと駄目なんだ。
宗吾さんは僕の心の声に気づいてくれた。
「いや、謝らなくていいよ。瑞樹は一度決めたことは実行するもんな。俺の海外出張もまだ続くし……よし、応援しているぞ! だがいいか、くれぐれも無理するなよ」
「宗吾さん、ありがとうございます」
「じゃあ一つだけいいか。あれ……してくれよ」
「えっと……」
宗吾さんがそうやって悪戯気に強請ることは……つまりアレだ。
函館と東京との遠距離になってから、毎晩のように電話で話し、最後に彼が望むことは……
辺りに誰もいないのをしっかり確認してから、チュッと受話器にキスをした。
心を込めて、愛を込めて──
「うん。いいな、やっぱり」
「うぅ……照れ臭いですね。何度しても……」
「んなことない!! 最高に可愛い!」
受話器の向こうの宗吾さんが嬉しそうにしてくれるので、僕も嬉しくなる。会えない分、しっかり伝えあいたい。
「クスっ、そうだ。実は母の形見の一眼レフを手に入れたんです。それで……宗吾さんに見せたい風景を毎日撮影してみようと思って。僕の眼で見た世界をあなたと共有したいから」
「そうか。そういえばシャッターを素早く切るのは指先の運動になるらしいぞ。カメラマンの友人が言っていた」
「じゃあ最高のリハビリになりますね」
「あぁそうだ……それからこれは先輩として一言。ペンションで働くことはある意味サービス業だ。君が心を砕いてお客様にしたことは、ちゃんと君に戻って来るよ。だから瑞樹が今出来ることを、そのペンションで精一杯するといい。君の天分を活かせよ!」
「宗吾さん……心強い言葉を、ありがとうございます」
「『与え与えられる』のが、サービスの基本だからな」
「はい!」
「応援しているよ」
頼もしい助言をもらえた。
宗吾さんの言う通りだ。
今の僕がもてるもの、出来ることに心を砕こう。
積み重ねていけば、きっと身も心もぐっと豊かな気持ちになるだろう。
そうやって内側から潤いをもっともっと取り戻して行こう。
子供部屋の窓の外にどこまでも広がる純白の雪原を見つめ、ふぅっと深呼吸した。
『夏樹……お兄ちゃん、頑張ってみるよ』
この部屋からのリスタート。
僕が決心したことだから。
ともだちにシェアしよう!