242 / 1740

恋の行方 1

 ベルの音で、目が覚めた。  視界が開けていくと同時に目に飛び込んで来たのは、ナイトテーブルに置いたカレンダーにつけた赤い丸印。  今日はいよいよ宗吾さんの家への引っ越し当日だ。そう思うと一気に目が覚めた。  一年前の今日は辛い朝だった。  人生でこんなに別れがつらい悲しい朝があるなんて……と、込み上げる涙を堪えて、アイツが残した温もりに震える手を伸ばしたことを覚えている。    僕を置いて去っていく人を密かに送り出し、ひとり残された部屋で、次に何をしたらいいのか分からなくなってしまった。  冷蔵庫に貼られた一馬のメモ書きを見た途端、衝動的に……僕も参列するかの如く礼服に着替え、アイツの晴れ舞台を見に行ってしまった。  僕が何をしたいのか、その瞬間まで……本当に分からなかった。ただ胸元の冠婚用の締め慣れない白いネクタイが苦しかった。  一馬と花嫁さんのことを恨みがましい目で見つめることになるのか、それとも……  分からなくて、答えを探したくて、走った!  やがて結婚式を終えた花嫁花婿が、ロビーへと舞い降りる階段の上に姿を現し、周囲から拍手と歓声が鳴り響いた。  辺りには参列者の人が沢山立っていたので、礼服を着た僕は存在を消せた。更に見つからないように、そっと一歩身を引いて柱の陰に消えた。  一馬は漆黒のタキシード、花嫁さんは繊細なレースのたっぷりついた純白のウエディングドレス。  しっかりと繋がれた互いの指に真新しい銀色の指輪が輝いて眩しかった。  幸せそうな花嫁さんの清らかな嬉し涙を見た時、一馬をのこと……すっと送り出せた。  僕は本当に自然に素直に……微笑みを浮かべていた。  「幸せになれよ。これで永遠のサヨナラだ」  そのまま踵を返し、僕は去った。  君の幸せはしっかり見届けた。でも僕はどうしたらいいのか分からない……涙を置く場所を探しに、まるで誘われるかのように辿り着いたのは、日曜日の昼下がりの公園だった。  長閑な光景と僕の心のギャップに一気に脱力して、芝生に倒れ込むように仰向けになった。  そこにやって来たのが芽生くんと宗吾さんだった。  その瞬間に……僕の運命はまたグルッと回転した。  この一年、僕が出会い育んだ結果が、今日になる。 「そろそろ起きよう。引っ越しは10時からだったよな」  ベッドから降りて見下ろすと、段ボール箱が部屋の至る所に積まれていた。  宗吾さんの言葉に甘えて、僕が好きな花関係の本や、給料が出る度に買い増ししたグラデーションを描く8個のマグカップは持っていく。  一馬と暮らした家のものだから、宗吾さんが嫌がるかと思ったが、彼はどこまでも寛大だった。  僕を抱きしめて『君の過去もまるごと愛させて』なんて言ってくれるから、泣けてくるよ。  一馬を愛したことを悔やんでいない。それは正直な気持ちだ。きっとアイツも同じ気持ちだ。  まだすぐじゃないが、きっと来年位には、アイツの所に幸せな復讐をしに行けるのでは。  宗吾さんと芽生くんと3人で── ****   「じゃあこれで荷物は積み込み完了です。積み残しはないですか」 「はい!ありがとうございます」  公園で芽生くんと宗吾さんと遊んでから1週間後、僕はとうとう宗吾さんの家に引っ越しをする。  10時になると引っ越し業者の人がやってきて、テキパキと段ボールや家具を積み込んでくれた。その様子を眺めていると、いよいよだと、実感がわいて来る。 「あのぉーお客様も一緒にトラックに乗って、引っ越し先まで行きますか」 「いえ、あっちで荷物を受け取る人が待っていてくれる人がいるので、僕は……そこまで歩いて行ってもいいですか」 「あっそうなんですね。分かりました!」  振り返ればカーテンも何もついてない窓から、明るい春の日差しが舞い降りてきていた。 「サヨナラ……」  鍵を閉め、近所に住む大家さんに挨拶をした。  大学を卒業してから一馬と同棲した3年間、そして宗吾さんと知り合って1年間、過ごした家だった。 「ありがとう!」  もう一度だけ一礼して、あとはもう振り返らない。  あいつと並んで歩いた想い出も、もう置いていこう。  新しい生活のために、僕は僕の手で、思い出に鍵をかけ、新しい道を歩み出そう。  駅までの坂道をゆっくり下っていく。  桜は散ってしまったが、新緑の若葉が眩しい季節になっていた。

ともだちにシェアしよう!