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恋心……溢れて 8

「あっお兄ちゃんもお家の鍵を持っているよね」 「うん」 「じゃあ開けてみて!」  初めて僕の鍵を使う。  函館で宗吾さんから贈ってもらった鍵は、ここに引っ越して来てすぐに玄関の鍵置き場にそっと置いた。  何だか僕が我が物顔で持ち歩くには、まだ気恥ずかしかったから。  だから今朝、宗吾さんが本当に自然にさりげなく……僕のだよと渡してくれたのは嬉しかった。 「パパーただいま!」 「あの、ただいま……です」  会社からこんな風に直接宗吾さんの家に戻ってくるのは初めてだ。この一年間は一人暮らしをしていたので、慣れないな。 「おーお帰り」  宗吾さんがキッチンから青いエプロン姿で、顔を出して笑ってくれた。 「今ちょっと料理中なんだ。ふたりともまずは着替えて来い」 「はい!分かりました」 「お兄ちゃん、まずは手洗いうがいだよー」 「そうだね」 「ふふっ」  あれ? 芽生くんって想像よりずっとしっかりしているな。僕が芽生くんのお世話をする気満々だったけど、この家のこと、逆に教えてもらわないといけないかも。  芽生くんも僕の心を読めるのか── 「お兄ちゃんにはボクがいろいろ教えてあげるら、大丈夫だよ」 「うーん、メイくんは何だか最近急にお兄さんっぽくなったね」 「だってもう松組さんだよ」 「ん? 松組さんって?」 「年長さんってこと。年少さんのお世話だってしてるもん」  そうか、そうだな。4月は変化の時期だ。僕にも会社で部下が出来たし、芽生くんだって一学年上がって年長さんなのか。ということは、来年には小学生だね。  芽生くんの成長に……僕が見ることの出来なかった世界が開けていく。本当に楽しみだ。五歳で逝ってしまった夏樹は、いつも僕のランドセルを羨ましがっていた。芽生くんの健やかな成長が、僕をもっと成長させてくれるだろう。 「ほら二人とも早く着替えて、もう出来ちゃうぞ」 「あっすみません」  なんだか僕も子供扱いだな。と苦笑してしまった。  夕食は宗吾さんお手製のデミグラソースのハンバーグだった。  宗吾さんはどうやら、初めてのことにも果敢に挑戦し、とことん極めるタイプみたいだ。まるで洋食屋さんのようなふっくらこんがりしたハンバーグには、ベイクドポテトと人参のソテーが添えてあり、芽生くんのにはお手製の旗まで立っていた。なんだかお子様ランチみたいんだな。 「瑞樹の分もあるぞ」    宗吾さんが僕のハンバーグにも旗を立ててくれた。    そこには手書きで『Welcome!』 と書かれていた。 「わ……」 「瑞樹……改めて我が家にようこそ!何度でもお祝いしたくなるよ」 「ありがとうございます、改めてよろしくお願いします」 「こちらこそだよ」 「うんうん、おにーちゃん、ようこそ」 「じゃあ乾杯だな」  宗吾さんと、ビールで乾杯。  芽生くんは麦茶だった。  ダイニングに漂うハンバーグのいい匂いに、ゴクっと喉が鳴る。 「ほら今日は芽生の好物だぞ」 「わーい!」 「どうだった? 延長保育、寂しくなかったか」 「パパも先生と同じことを聞くんだね。ボクは待ち遠しかったよ」 「何が?」 「だって、今日はきっとお兄ちゃんが来てくれるって思っていたから」 「お迎え、僕で良かった?」 「うん! お兄ちゃんが一番可愛いかったよ~」 「て、照れる……」 「はは、そうだろう、そうだろう。瑞樹は本当に可愛いからな」  宗吾さんが熱い視線で見つめてくるので、やっぱり照れくさくなってしまった。  ついに最後まで抱かれたからなのか。なんか僕はもう……意識しすぎだ。  彼の唇も指先もまともに見ることができないよ。僕の躰に施された記憶を辿ってしまい、見ているだけでドキドキしてしまう! 「瑞樹、どうした。あぁトリップ中か~食事中は妄想禁止な」 「パパ、『もうそう』ってなに?」 「あ? そうだな~『あーんなことやこーんなことをニヤニヤと思い出すこと』かな」 「ふーん、パパの言葉はいつも変だね。あっそうだ!おにいちゃんにも聞きたかったことがあるんだ」 「な、なにかな?」  嫌な予感……しかない。 「この前は、『ながもち』した?」 「!!!」  もう!宗吾さんには、本気で厳しく注意しないと! 「ははは。大成功さ! 今日のハンバーグも『せい』が付くかもな!」 「あっそうだ。ボクからおにいちゃんにプレゼント」  食事を終えると、芽生くんがクルクルと巻いた画用紙を僕に渡してくれた。 「これ僕に?」 「うん!」  そこには、緑の原っぱに寝そべる宗吾さんと芽生くんと僕がいた。  僕の左手には四つ葉のクローバーの指輪までちゃんと描かれていて、芝生のグリーン、宗吾さんの淡いラベンダー色のセーター、僕のクリームイエローのベストまで忠実に描かれていた。  子供の記憶力と観察力ってすごいな。 「これはあの日の原っぱの絵だね」 「うん、あのね。描いていて思ったんだけど、お兄ちゃんがいてくれると、お家がパーッてあかるくなるよ」 「本当?」 「パパもごきげんだし、ボクもうれしいし。だからお兄ちゃんの周りをピカピカさせておいたよ」 「本当だね。ありがとう」 「パパ。でもクローバーの指輪はしなびちゃうから、もっと『ながもち』するのにしたほうがいいよ。えへへ使い方あってるかなー?」 「ぷっ……よしよし『長持ち』だな。よし。次は瑞樹にプラチナの指輪を買ってやろう!」 「えええ!」  なんだか芽生くんって宗吾さんに似てる……かも。  かなりの、やり手だ……!! 「パパ、それいいね!」 「だろう!」   **** 「芽生くん、今日は先にぐっすりですね」  宗吾さんとお風呂に入った芽生くんはドライヤーの途中で眠ってしまった。大きな宗吾さんにすっぽり埋もれるように眠るあどけなさが可愛くて、目を細めてしまう。 「きっと初めての延長保育で疲れたんだろうな」 「ですね。随分張り切っていましたが、まだ5歳ですしね」 「よしっ芽生をベッドに運んでおくから、瑞樹も今のうちに風呂に入ってこい」 「あっはい。そうします」  なんだか、もう……意識し過ぎだ。  明日も会社だし、きっと今日はそれぞれの部屋で別々に眠ることになる。  なのに一度味わってしまった宗吾さんに抱かれた記憶が、僕を過敏にしてしまう。  参ったな……何で、こんな。  シャワーの水流にすら、躰が跳ねてしまう。  浴室の鏡に映る僕の顔は、明らかに欲情していた。  恥ずかしい、こんな──姿。      

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