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さくら色の故郷 16

「馬鹿だな……なんで泣く?」  潤の肩をトントンと叩いて宥めてやった。こんなことを潤にするのは初めてで照れくさいが、この家にやってきて今、初めてここまで心を通わせることが出来たと思うと嬉しくなった。 「それは……兄さんが、あんまりにも自然に……『お帰り』なんて言うからだ」 「ふふっ、それを言うならお前だって、自然に『ただいま』と言えたな」  するとトコトコと芽生くんが僕の足元にやってきて、不思議そうに首を傾げた。 「ねぇねぇ……おにいちゃんのこと今、『兄さん』っていった?」 「あっ芽生くん、この人は潤《じゅん》っていうんだ。僕の弟だよ」 「えっ、おにいちゃんにはお兄さんがいるのに、弟もいるの? いいなぁ」 「うん、そうだよ」  血が繋がっていないけれども、いつの間に堂々と兄と弟と言えるようになっていた。でも僕だけが血が繋がっていないことは、幼い芽生くんにはまだ言わなくてもいいだろう。 「潤、疲れたろう?」 「大丈夫だ。それより何を作っていた?」  テーブルの上に置いた作りかけのブーケに気が付いたようだ。 「あぁもう売り物にならない花でちょっと」 「へぇ兄さんが作ると、まるで地上に咲く花のようにイキイキしているな」 「そうかな」 「あぁ俺は軽井沢のローズガーデンで、土壌から育つ植物ばかり見ているが、これはその花と同じ匂いがするぜ」 「えっとね、それはね。お花さんが助けてくれてありがとうっていっているからだよ。すてられちゃうところ、こんなにきれいにしてもらってありがとうって!」  芽生くんの言葉が胸に響く。  そんな風に見えているのなら嬉しい。  僕もこの家に助けてもらった。  だからこそ綺麗に咲きたいと……しあわせな姿を見せることが、育ててもらった恩返しになるのかもしれないと思い始めていた。  宗吾さんとの恋を受け入れてもらえたのだから、あとは僕次第だ。  どう生きるか。それを考えている。 「何だか、母の日のブーケみたいだな」 「あっ確かに」  二つ並んだブーケに、二人の母の姿が重なって行く。 ****  支度をして下の部屋に行くと、瑞樹のお母さんと母が朝食の準備をしてくれていた。いつの間にか、潤も帰って来ていた。  へぇ……間に合ったのか。  瑞樹が会いたがっていたから、よかったな。    潤も苦労したのか顔つきが変わり精悍になっていた。  へぇいい顔するようになったじゃないか。もうコイツは大丈夫だろう。もうわだかまりはなくなり、瑞樹の弟としての立場を理解しているようだ。  朝食は海鮮丼だった。  烏賊の刺身やいくらの醤油漬けがとても美味しかった。函館といえば朝市の新鮮な海産物をイメージしていたので、嬉しいもてなしだ。 「芽生くん、美味しい? 朝市に連れて行けなくてごめんね。代わりにここで海鮮丼だよ」 「いくら大好き! でももうお腹いっぱいだよ。ごちそうさま。ねぇねぇおにいちゃん、ボク見たいものがあって」 「ん? 何かな」 「あのね~おにいゃちゃんの赤ちゃんの頃ってどんなだった? ここになら写真があるよね」 「えっ」  食事を終えた芽生が言いだしたこと、ギョッとしてしまった。  おいおい……今、それを聞くのか。  芽生には瑞樹の生い立ちを話していなかったから悪気はないのだが、この状態でどう答えたらいいのか困惑してしまった。  瑞樹の方も箸を置き、固まってしまった。  広樹と潤も顔を見合わせてしまった。  静寂を破ったのは、瑞樹の母だ。 「もちろん、あるわよ。見る?」 「うん! 見てみたい。おにいちゃんが小さい時の写真がいいな!」 「……これよ」  一冊の見慣れないアルバムが差し出された。 「あの、宗吾さんも一緒に見てくださいます?」 「はい」  なんだろう。表紙には『10歳までの瑞樹のおもいで』と書いてある。ということはこのアルバムを作ったのは……産みの母なのか。 「うわぁ~お兄ちゃんがまだあかちゃんだーすごいすごい!」  芽生は最初は興味深そうに眺めていたが、途中で手が停まってしまった。  きっと気づいたのだろう……母親の顔が違うことに。 「あれ? おにいちゃんのママって、この人なの? お顔ちがうよ」 「芽生くん……」  瑞樹も観念したように認めた。  果たして幼い芽生に理解できるだろうか。  俺は見守ることしか出来ない。 「あのね、この人は僕を産んでくれたお母さんだよ」 「えっどういうこと? 今、どこにいるの?」 「もう……いないよ。僕が10歳の時に、お空の星になってしまったんだ」 「……えっ」  芽生も幼いなりに理解したのだろうか。 「……そうか、そうだったんだね。じゃあもう会えないんだね……さみしいよねぇ」  芽生なりに必死に考えた言葉だった。 「うん、もう会えない。でも今の僕にはちゃんと二人目のお母さんがいるから、大丈夫だよ。それに芽生くんのおばあちゃまも傍にいてくれるから心強い」 「あ……わかった。お兄ちゃんには、今は、ふたりのママがいるんだね」 「そうだよ……その通りだよ! 芽生くんすごいよ!」  誉められた芽生が無邪気に笑う。 「あっ……お兄ちゃん、ボクいいこと思いついたよ! 」 「何かな? 」  瑞樹が首を傾げると、芽生はパタパタと走って突然花屋の店先に行ってしまった。  なんだ、なんだ?   子どもの動きは予測不能だな。今度は何を言いだすのか、しでかすのかとハラハラしてしまう!  戻ってきた芽生は、いきいきとした赤いカーネーションのブーケを2つ抱えていた。  綺麗な深紅のカーネーションが、幸せそうに寄せ集められたブーケだった。おそらく朝から瑞樹が作ったのだろう。 「あのね、ちょうど2個あるから、これプレゼントしたら?」 「えっ……」  瑞樹がびっくりして固まっている。  母同士も固まってしまった。 「えっと……母の日にはちょっと早いけど、もういいよね? 」  芽生がウインクすれば、皆、キョトンとした。 「芽生くんの心意気には参ったな! ここにいる誰もがやられたって気分だぜ!」  広樹が快活に笑うと、そこから皆、笑顔になった。 「気が利くなぁ。こんなちっさいのに」  潤も腕組みしながら感心したように頷いていた。 「芽生くん……君は、すごい、すごいよ!」  瑞樹は嬉しそうに、芽生をふわっと抱きしめる。 「おにいちゃんってば、泣くのはあとでだよー」 「芽生くんってば」  瑞樹は涙を堪え、まずは自分の母にカーネーションのブーケを手渡した。 「おかあさんに僕が作ったブーケを渡すの……初めてですね」 「瑞樹……やだっもう、この子ったら照れるわ」 「お母さん……今までありがとうございます。これまでの日々を思い返すと感謝の気持ちいっぱいです。そしてこれからもずっとよろしくお願いします。おかあさんがいてくれてよかった……」  瑞樹が作ったブーケが、まず二人目の母に渡った。  それから次は俺の母に。 「あの、僕を受け入れてくださって、函館までいらして下さってありがとうございます。これから……どうぞよろしくお願いします!」  今までの感謝とこれからの感謝か……  二人目の母と三人目の母が見事に繋がったな。

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