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さくら色の故郷 17

「もっとおにいちゃんの思い出、見たいなぁ」 「そうか……あっじゃあ芽生くん、僕の使っていた部屋にいってみる?」 「うん!」  今にも泣きそうだった瑞樹は、芽生を誘って階段を上がって行った。  その様子を、俺は母さんと瑞樹の家族と共に静かに見守った。今はそっとしてやろうと誰もが心の中で思っているだろう。  やがて瑞樹のお母さんが口を開いた。  瑞樹から贈られた真っ赤なカーネーションを、愛しい赤子のように胸に抱いて微笑む姿は、優しい母性が滲み出る光景だった。 「あの子ったら、まさか……こんな花束をくれるなんて」 「本当に……私までもらってしまったわ」 「滝沢さん、あなたのお孫さんは、本当にいい子に育っていますね。心が洗われたわ」 「まぁ嬉しいことを! ありがとうございます。あの……こんな場所で言いにくいのですが、芽生の産みの母が、しっかり心を育ててくれたようです」 「そうみたいですね。そうでなくては、あんなに優しい言葉は出てきませんよね」  玲子の事を、母がそんな風に言うなんて……  玲子には……俺も芽生の子育てに関して感謝している。そしてそんな芽生が、母と離れて俺といることを、幼いなりに考え選んでくれたことも。  これからは瑞樹と一緒に芽生をしっかり育てて行きたい。  そう……密に強く胸に誓った。 ****  芽生くんと、僕が使っていた部屋に入った。  昨日はこの部屋を客間とし芽生くんと宗吾さんのお母さんが泊っていたので入らなかったが、懐かしい匂いがする。昔は二段ベッドを置いて潤と共有した小さな和室だ。  この冬……療養で、この部屋で寝泊まりしたのを思い出す。あの時は、本当にぼんやりと過ごしてしまった。皆に甘えて一日中部屋に閉じこもっていた事もあった。  そういえば『思い出』といえば、大学進学のために上京する時、母が大きな段ボールをくれたので、捨てきれなかった思い出を詰めたんだ。あれは、どこにあるかな。 「あっあった、これだ」 「お兄ちゃん、なあに?」  押入れを開けて見渡すと、一番奥に見覚えのある箱があった。 「芽生くん、これ一緒に開けてみようか」 「うわぁ大きな箱だね。玉手箱みたい」 「くすっさぁ何が入っているかな」  ゴソゴソと取り出し箱を開けてみた。  正直何が入っているか、僕自身がはっきりと覚えていない。 「うわぁ~いろいろあるよ」  中には様々な思い出グッズが混在していた。  小学校の時に被っていた帽子に筆箱……名札に教科書とノートも数冊。中学や高校の校章や卒業証書に学生証など。  僕がこの家でスクスク成長してきた証がぎっしりと詰まっていた。    そうか……今になってようやく分かる。  僕は身寄りを失くしても、路頭に迷うこともなく、この家で新しい家族に見守られ、愛されて、小学校も中学も高校も無事に卒業出来たのだと。  当たり前に見えることは、本当は当たり前ではない。    自分一人の力ではなかった。  皆がいてくれたからだと、改めて思った。 「わぁ~お兄ちゃん、この絵見て!」 「ん?」  芽生くんが段ボールの中から取り出した絵に驚いた。 「あっこれ……」 「これって、おかあさんの絵だよね」 「……うん」  母の日の絵だ。当時は小学校でも季節の行事として描かされた。  悩んで迷って……提出期限ギリギリに僕が思い切って描いた家族の絵だ。  それは真っ白な画用紙の真ん中にクレヨンで真っすぐな線を引き、左に産みの母、右に函館の母の顔を描いたものだった。 「やっぱりおにいちゃんにはお母さんがふたりいたんだね! 」 「うっ……」  芽生くんの無邪気な声に、静めたはずの涙がまた誘われる。 「あのね……おにいちゃん、ボクも……ようちえんで、おかあさんの絵をかいてもいいのかな」    芽生くんの迷いが、ここで僕の思い出とぶつかった。 「もちろんだよ。ちゃんと、しっかり描いて欲しい」 「ボクね……本当はちょっとこまっていたんだ。でもおにいちゃんも天国のママをかいたんだから……ボクもかくよ。はなれた場所にいる……ママのこと」 「うん、ぜひ、そうして欲しい」 「でもね、ボクは今がスキだよ。おにいちゃんといっしょがすごくスキ! 」 「んっ……ありがとう。芽生くん、おいで」 「うん!」  両手を広げると、芽生くんが飛び込んできてくれた。  温かい体温を感じると、やっぱり涙が滲んでしまう。  芽生くんには、教えてもらうことが多い。だからこそ、宗吾さんと知り合えたことに、また確かな縁を感じる。  宗吾さんが芽生くんの父親で良かった。 「芽生くんは、いつもあたたかいね」 「ふふ、おにいちゃんもあったかいよ」   **** 「宗吾、そろそろ上に行って芽生を呼んできてもらえる? 」 「分かった。アイツまだパジャマだったもんな」 「それにお風呂もまだよ」 「そうだったな。すぐに呼んでくるよ」  瑞樹の部屋は、確かここだったな。 「入るぞ?」  扉を開けると、瑞樹と芽生がダンボ―ルから取り出した荷物に埋もれるように抱き合っていた。 「あっ……宗吾さん」 「何してるんだ?」 「あ……思い出の品を見ていたら……すみません。なんかまた涙腺が緩んでしまって」 「……そうか。あぁ芽生、そろそろ風呂に入ってこい。それじゃ出かけられないぞ」 「あっそうか! ボク、お風呂にはいってなかった」 「くすっそうだったね」 「おにいちゃん、ボク、クサくなかった」 「え? 全然! ひなたのにおいがしたよ」 「よかった! いってくるね」    芽生は部屋を飛び出し、階段を下りて行った。  とうことは……部屋には瑞樹と俺だけだ。 「今度は何で泣いた?」  畳に座り込んでいる彼の向かいにしゃがんで覗き込むと、瑞樹は恥ずかしそうに目を擦りながら微笑んだ。 「この絵……見てください」  瑞樹が見せてくれたのは、画用紙に描かれた二人の母の絵だった。 「へぇ……いい絵だな。母親の絵か。これ君が描いたの? 」 「はい。ちゃんと、ふたりいますね」  目尻にまだ涙が光っていたので、そっと指で拭ってやった。 「もう泣くな」 「でも幸せで……」 「これは幸せな涙か」 「はい」 「なら分けてくれ」  そのまま彼の細い顎を掴んで上を向かせると、溜まっていた涙が滑らかな頬を伝い降りてきた。    朝日を浴びた清らかな涙に誘われるように……静かに唇を重ねた。  ぴったりと合わさった皮膜から、幸せなぬくもりを分けてもらった。 「あっ……」 「静かに。おはようのキスは旅行中でも欲しい」 「あっ……はい……」  

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