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さくら色の故郷 18

「お・は・よ・う」  最初は啄み合うように控えめに、お互いの唇を優しく重ねた。それはモーニングキスに相応しい爽やかなものだった。 「ふぅ……宗吾さんは欲張りですね。さぁ僕たちも下に行きましょう」  瑞樹はニコっと微笑んで立ち上がったが、俺の方はまだ物足りなかった。  なので俺も一緒に立ち上がり、扉に向かおうとする瑞樹を再びクルっと回転させ、腰に手を回してグイっと引き寄せ、少しの隙間もない程に躰を密着させた。 「そ、宗吾さん? もうっ行かないと」  言葉を封じ込めるように瑞樹の唇を俺の唇でぴったりと塞ぐと、驚いて目を見開いた。 「んんっ……!」  口づけをぐぐっと深めていく。  まさか実家の二階で俺がこんなに深い口づけをするとは思わなかったのか、瑞樹は腕の中から抜け出そうと俺の胸に手をついて必死に離れようと、もがきだした。 「まだ駄目だ」 「ですが……」  腰を支える手をもう一度グッと持ち上げて、更に互いの躰の密着度を深めた。 「行かせない」 「あっ」    はっと息を呑んだ唇をこじ開け舌を潜らせ、口腔内を濃密に舐めた。更に熱心に唇を吸い上げていく。それでも逃げ惑う舌を掴まえて優しくあやせば、観念したかのように徐々に力が抜け……俺の動きに応じてくれるようになる。  こうなってしまうと、瑞樹はもう従順なまでに俺に身を預けてくれる。 「んっ……ふぅ……あっ」 「気持ちいだろう?」 「んっ……」  もう瑞樹は抵抗しない。躰の力を抜いて俺からの口づけを雛鳥ように享受してくれる。  瑞樹の唇がしっとりと濡れるまで、俺は彼を存分に味わった。  やっと離してやると、瑞樹は膝が抜けたようで、ぺたんと畳にしゃがみこんでしまった。 「おい、大丈夫か」 「もう……宗吾さんは……」 「すまん、瑞樹の涙に弱くてな……幸せな涙にすら嫉妬してしまうよ」  火照った瑞樹の頬に残った涙の痕を、優しく辿るように撫でてやると、彼は恥ずかしそうに瞼を閉じ、じわっと頬を赤らめた。 「また熱くなってしまったな」 「……はい」 「少し休んでから下に降りてくるといい」 「……そうします……というか、絶対に今は下に……行けません!」  モゾモゾと体育座りになって俯いてしまう瑞樹が可愛くて、柔らかな髪をクシャッと撫でてやった。 「……僕は……宗吾さんに……かなり甘いですよね?」  それから顔を上げたかと思うと、少し恨みがましい眼で見つめられてしまった。 「そうか? 俺も甘いよ。瑞樹は甘くて美味しいからな」 「それはちょっと意味が違いますよ、くすっ」  最後には、またいつもの彼らしい楚々とした微笑みを浮かべてくれた。  瑞樹は本当に俺に弱い。そして俺が瑞樹に弱いのだ。  想い想われ……幸せな関係を築いている。 **** 「宗吾さん、今日はどこに行きたいですか」 「うん。やっぱりスタンダードな函館観光がいいかな。芽生が初めてだからな」 「分かりました! そうですね、じゃあ芽生くんが喜びそうな所なら函館山がいいかな」  基本の函館ならやっぱり函館山だ。夜景で有名な場所だが日中の景色も最高だ。まだ小さい芽生くんには、まずは明るい光を堪能して欲しい。 「兄さん、オレが車出してやるよ」 「潤が? いいのか」 「あぁそのために帰ってきたんだ。使ってくれよ」 「ありがとう!」  今日も花屋はOPENしているので、観光は僕たちだけで行くつもりだったが、潤が率先して申し出てくれたのが嬉しかった。  そういえば冬に宗吾さんが来た時も、潤が案内してくれた。  宗吾さんのお母さんは結構高齢で腰と膝が少しお悪いので、あちこち歩き回るのは避けたいと思っていたのでありがたい。 「よーしっ。じゃあ行くか、空気が澄んでいるうちに、函館山に上るか」 「あぁそうしよう」  ロープウェイで上がるのもいいが、マイカーで皆で行くのもまたいい。 「へぇマイカーで行けるとは知らなかったな」 「昼間は道も空いていて穴場なんですよ」 「瑞樹は流石地元っ子だな」  宗吾さんに褒められて、くすぐったくも嬉しくもなる。  僕も案外……単純だな。  市内から車で程なく山頂に着いた。来る途中にもソメイヨシノの樹が沢山あったので、車窓から見上げる空が桜色に染まり、旅情を盛り上げてくれた。  駐車場に車を停め、すぐに屋上の展望台に皆で足を運ぶと、景色がパノラマに広がっていた。  久しぶりに函館を眼下に見下ろす。  まさに絶景だ。    街や港がよく見える昼間の景観はとても爽やかで……しかも日中は屋上展望台が空いているので、函館の景色をひとり占めしている気分になるよ。 「おぉこれはすごい解放感だな。俺は夜しか来たことないから新鮮だよ」 「瑞樹くん、私もよ。昼はこんなに華やかな景色なのね」 「はい、一度見ていただきたかったので、嬉しいです」  函館山に日中に行くメリットは夜よりも空いていて、ゆっくり景色を楽しめるだけではない。 「おにいちゃん~なんだか、おもちゃのお家みたいだね、すごい!すごい!」 「うん、あれが五稜郭のタワーで、あっちが倉庫街、あと教会も見えるよ」  海に囲まれた函館の特殊な地形が作り出す美しい景色は、夜景に勝るとも劣らない絶景だ。山頂の風を頬に受けながら芽生くんに解説してあげた。 「瑞樹……確かにこれはまるでミニチュア模型のようだな。俺はこの景色が好きだ。夜景は光がまとまった洪水のようで、建物の一つ一つが何かは分からなくなるが、日中だと建物がしっかり見えるな」 「えぇ、それぞれの建物があって、この景色なんですね」  人は個性豊かで、ひとりひとり違って当たり前。  そういう人たちが互いを尊重しあって生きている。  そんな世界が……僕は好きだと思った。 「あっおにいちゃん、いいもの見つけちゃった」 「ん? 何?」 「あっちで、パパのだーいすきなソフトクリームが売っているよ! パパぁーまたペロペロしたい?」  芽生くんが小さくて可愛い赤い舌をペロペロ出して、ジェスチャーする。すると宗吾さんが、それに応じでふざけて出す。 「おっおい、芽生、静かにしろーあっでもパパはもっと豪快だ! べロベロと食べるぞー」 「こらっ宗吾、あなたって子は一体何を言っているの?」 「くすっ」  宗吾さんは本当に懲りないというか、芽生くんの方が上手なのか。   「兄さんは……何だかすっかり溶け込んでいるな」  潤が……逆光のせいか目を細めて眩しそうに僕を見つめていた。 「うん……この人達は、もう……僕の家族だよ」 「そうなのか」    潤は少し寂しそうに笑っていた。 「いや、そうじゃなくて……また一つ新しく生まれたんだ。お母さんと広樹兄さんと潤という家族とは別なんだ。どちらも僕にとっては、大切で愛おしい存在だよ」  そう告げると、今度は潤が嬉しそうに笑う。   「……オレ達も、ちゃんといるんだな」 「当たり前だよ。潤も……僕の家族だろう?」 「あぁそうだよ。オレは……瑞樹の弟だ」 「ありがとう! 」  この広い空で下で出会ったのも、縁あってのこと。  潤との関係は、この先も続いていく。  ぽっかりと浮かぶ白雲のように、僕の心も浮上していた。  僕たちは、もう大丈夫だ。 「兄さん、今日会えてよかったよ。いい思い出をありがとう」  

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