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紫陽花の咲く道 8

 銀座は高級な専門店が軒を連ねる大人の街という印象だ。僕の仕事柄よく足は運ぶが、正直いつも気後れしていた。  そんな街の中央、4丁目交差点に、銀座のランドマークとして名高い宝飾店はあった。  さすが宗吾さんだな。こんな素敵なお店を知っているなんて。  宗吾さんは都会的でオシャレだし、しかも広告代理店勤務なので流行に敏感だ。  昭和初期に建てられたクラシカルな建物だ。硝子の扉には重厚な飾りがついており、分厚く重たかった。カクテルを飲んでほろ酔いになっていなかったら、到底押せない敷居の高さだ。  でも頑張る!  いつも宗吾さんからもらってばかりなので、僕からも何か行動を起こしてみたかった。 「うわ……凄い」  店内には、ふかふかの赤い絨毯が敷き詰められており、高級な鞄や靴などが美しく装飾され並んでいた。  どれも高そうだな……えっと指輪売り場はどこだろう?  案内板をじっと見ていると、店員さんに声を掛けられた。 「いらっしゃいませ、何をお探しでいらっしゃいますか」 「あっあの……その、指輪を」 「ご結婚指輪でございますか」  いきなり核心を突かれて、恥ずかしいやら驚くやらで、息を呑んでしまった。もちろん酔いも、一気に冷める。 「あっはい」 「上の階になりますので、どうぞ」  店員さんはどこまでも丁寧に対応してくれ、一緒にエレベーターに乗って案内を……という、徹底したサービスを受けた。なんだかこういうお店には縁がないので、戸惑ってしまう。 「あら」 「はい?」 「胸元にお花がついておりますよ」  スーツ姿で花を活けたので、青紫の紫陽花のガクが1枚だけついていた。  は、恥ずかしい……っ 「これは紫陽花でしょうか」 「あっはい。すみません。さっきまで仕事で花を活けていたので」 「まぁ、男性の方で……素敵なお仕事ですね」 「ありがとうございます」 「さぁ着きましたよ。最近リニューアルしまして『ブライダルブティック』スタイルを取り入れました。すべて個別ブースになっており、プライバシー重視の構造になっております」 「あっ……素敵ですね」  僕がイメージしていた宝石屋さんといえば、ショーケースがずらりと並んでいて、内側に店員さんが立っているイメージだったのに、時代が変われば形式も変わるのだな。  男同士で来店するのが、少し照れ臭かったけれども、これなら大丈夫そうだ。完全なる個室ではないが、快適に選べそうだと安堵した。  ブースでは何人か打ち合わせ中だ。  今度宗吾さんと一緒にここに来る。  どうやら夢が現実になりそうだ。 「よろしければブースのお席に、ご案内いたしますが」 「えっでも、あの……今日は下見なので」 「カタログも差し上げますので、お連れ様と後日ご来店するための下見なのなら、ぜひとも」 「あっ……はい」  やっぱりひとりで来るべきではなかった。こういうお店で僕はどう対応していいのか分からなくて、心が右往左往してしまうよ!  宗吾さんと一緒に来なかった事を、今度は後悔してしまった。  いや……でも今日は頑張ってカタログだけでも手に入れよう。  勇気を振り絞る! 「こちらが結婚指輪のカタログです。お気に召すものがございましたらお出ししますので、お気軽に仰って下さいね」  白くて上質な手触りの表紙を捲ると、どれも素晴らしいデザインで唸ってしまった。  あっ……この3つの小さなダイヤモンドが付いているのも素敵だ。  宗吾さんと知り合ってから、3という数字が好きになった。  3は、僕の母の数  3は、僕たち兄弟の数。  3は、僕の家族の数。  これ……候補にしようかな。  そしてもう一つ、もっと気に入るものを見つけた。  小指に向かって流れるようなカーブが美しい指輪だった。  まるで流れる水のように見ているだけで潤いのあるデザインだ。  これは……もっとしっくりくるな。 「いかがですか、実際にお出ししましょうか」 「あの、では、こちらとこちらを見せていただけますか」 「あら……はい。畏まりました。」  さっきまでの緊張は解け、今すぐに実物が見たくなってしまっていた。 「どうぞ、こちらです。実際にお手にお取りください」  目の前に出してもらった指輪は、ため息が出る程美しくて魅入ってしまった。  宗吾さんと僕がつけるのなら、どちらがいいだろう?   彼のしっかりした指を思い浮かべると、顔が火照ってしまう。店員さんに見つからないようにしないと。 「お気に召すものがございましたか。よろしければ品番の控えをお渡ししますが」  僕の答えはもう決まっていた。  やっぱりこっちだ。  水の流れのような曲線のデザイン。    流されそうになっても、縁が繋がっているのでちゃんと戻って来られる。  いつもいつも輪になって……  僕にとっての潤いは、宗吾さん自身だ。 「あの、こっちがいいです」  僕が指さした瞬間、背後から声がした。 「うん、俺もそう思うな」 「えっ!」 ****  仕事が早く終わり、カメラマンの林さんとは銀座のど真ん中で別れた。  彼はこれからデートだそうだ。  さてと、俺はどうするかな。  瑞樹に連絡してみようか。それとも──  道端でスマホを取り出した時に、ふと足元を見ると、紫陽花のガクが一枚、また一枚と道端に落ちていた。  先日瑞樹が大事そうに抱えていた紫陽花を思い出して、俺は興味を持って……それを辿ってみた。  なんとなく瑞樹が近くにいるような気がする。  そんな予感──  紫陽花の道案内みたいだ。  俺を愛しい人の元に連れて行ってくれるつもりか。  驚いた事に紫陽花の行先は、先日瑞樹と指輪を買おうと誓った店の前だった。  ハッとして顔を上げると、重厚な硝子の扉を勇気をもって押している瑞樹を見つけた。  えっ……君が? ひとりで……  盛大に、にやけてしまった。  彼がここで何をしようとしているのかが分かったから。  もしかして……俺のために……俺の指輪を?  慎重な瑞樹の事だから、おおよそ下見なんだろうが、その気持ちが最高に嬉しかった。  彼が俺のために何かをしてくれるのが、行動を起こしてくれるのが、嬉しい。  貴重な行動を起こしている最中の瑞樹を、そっと見守った。  やがて……最初は気後れしていた彼も、積極的に指輪を選び出した。  とても気に入ったものが見つかったようで、生き生きとした表情になっていくのが、可愛いらしい。    もう我慢できない。  もう近くに行ってもいいか。  一緒に選んでもいいか。  紫陽花が誘う道の先には、俺のしあわせが待っていた。  一緒に選ぼう。  君とお揃いの指輪を──

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