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紫陽花の咲く道 14

「わぁ~いろんな色の色エンピツがあるよ! これ、ぜんぶボクがつかっていいの」 「そうみたいだね。うん、芽生くんの好きなように自由に描くといいよ」 「わかった! なにをかこうかな~」  芽生くんは美術館のふかふかのベージュのソファに深く腰掛けて、『感想ノート』に夢中で絵を描きだした。 「瑞樹も書くといい」  宗吾さんに促されたが、戸惑ってしまった。 「そうですね、うーん。いざとなると何を書けばいいのか……難しいです」 「そうか。じゃあ未来の自分に向けて、何か一言はどうだ? 10年後とかさ」 「……未来ですか、それは……」  未来に願い事をするのは、難しい。  そんなことしたって『一寸先は闇』だ。  人生には予測していない悪いことが突然起こるものだから。  すぐ先のことだって予測できないのに、未来を考えるなんて……ずっと無駄だと思っていた。  幼い頃に目の前で両親と弟を一度に失った僕は、いつだってその考えに囚われていた。  だから高校時代にフラワーアレンジメントのコンクールで賞を取り、奨学金で大学に行ける事が決まった時も、希望通り花関係の一流企業に就職出来た時も、どうしても手放しに喜べなかった。  人並以上の恵まれた人生を歩んでいると言われても、いつも未来に希望を抱けない自分がいた。  大学時代から7年間も一馬に愛され一馬を愛し、何度も抱かれ、愛を誓っても……幸せは永遠に続くものではないと、勝手に決めつけ悟っていた。  だからアイツは僕との未来を描けなかった。  置いて行かれたのは、自業自得だ。  でも、もう……そういう固執した考えから、僕は脱却したい。  宗吾さんと芽生くんとの出逢って、始めた新生活。  未来に向かって努力して、続けたいと願っている。  「瑞樹、どうした? 顔色が悪いぞ」 「すみません。少し昔を思い出してしまって……その、アイツのことを含め、いろんな過去を……本当に僕はいつも後ろ向きでした。『一寸先は闇』という言葉に囚われていたのです」  宗吾さんには正直に話す。もう隠さない。 「そうか……なぁ瑞樹、未来に希望を持つのは悪いことじゃない」 「あっはい、それは……頭では分かっているのですが。なかなか」 「うーん、ならば、俺の好きな言葉を君に贈るよ」  宗吾さんは、手元に開いていた『感想ノート』にこう書いた。 ……  今、瑞樹との未来は前途洋々と輝いている。どうかこの先も順風満帆の時を共に過ごせますように。そうなるように努力する! 今日この美術館で彼の故郷の絵を一緒に眺め、明るい希望を持ったから。 宗吾 …… 「宗吾さんっ……」 「どちらも俺の好きな四字熟語だ。『前途洋々』って未来が大きく開けて、希望に満ち溢れているよな。君がさっき言った『一寸先は闇』の暗く閉塞的な世界の真逆の言葉だよ」 「えぇ……明るい希望を感じますね」 「だろ? じゃあ『順風満帆』の意味も分かるか」 「あっはい……追い風を受けた帆が一杯に膨らんで、船が滞りなく進むという感じでしょうか」 「アタリ! よく言えたな! そうだよ物事が順調に進む様子を表している。漢字ってすごいよな。見ているだけでも、明るく広がる希望に満ちた世界を想像出来る!」 「はい!」 「瑞樹……君には……これからはいつだって明るい方を向いて欲しいよ。向かなかったら、こうやって俺が向かせるからな!」  さりげなくテーブルの下で、宗吾さんが手をギュッと繋いでくれた。  僕が不安になると、いつだってすぐに、言葉でも態度でも上へ上へと引き上げてくれる人だ。  宗吾さんって……いつもすごいな。前向きな力で包んでもらえる。 「すみません。僕はいつも後ろ向きで……前途洋々、順風満帆ですね。僕も書いてみます」 ……  宗吾さんとのこれからの人生に希望を抱ける力を、展示されている絵からもらいました。北海道の『みずき』というタイトルの絵に、生きる力をもらいました。ありがとうございます。                                  瑞樹 ……  宗吾さんは僕が書いたメッセージを見ると、髪をクシャッと撫でてくれた。 「よしっ! その調子だぞ。瑞樹」 「はい!」  ちょうど芽生くんの絵も完成したようだ。嬉しそうに僕の前にノートを広げてくれた。 「ふぅーやっとかけたよ!みて~」 「わぁ!」  それは大きな大きな透明の傘だった。  紫陽花が咲く道を歩く僕たち。  傘の下では、宗吾さんと僕と芽生くんが仲良く手をつないで笑っている。  右上には雨上がりの虹が架かり、そのもっと上には白い雲が浮かんで……天使がいた。 「あ……これって?」 「この子はね、おにいちゃんとボクのおとうとのナツキくんだよ」 「……ありがとう。夏樹を描いてくれたの?」 「うん。さっきの絵をみてすぐわかったよ。あのテンシはナツキくんだって」  芽生くんこそ天使だ……キラキラ光る僕の天使。  本当に愛おしい存在だ。  思わず抱きしめてしまった。  すると芽生くんも僕に抱きついてくれる。  満面の笑みを浮かべて── 「お兄ちゃんによろこんでもらえて、うれしいよ」  砂糖菓子みたいに、甘く笑ってくれる。 「芽生くんにもお土産を買ってあげるよ。宗吾さん、いいですか」 「もちろんだ。なんかいつも悪いな」 「芽生くん、この美術館で何か買おうか。それとも違う所がいい?」 「あっそれならボク、さっきすごく気に入ったえほんをみつけたの」 「そうなんだ。見せてくれる?」 「うん! 持ってくるね」  さぁ、ここでも思い出を作ろう。  芽生くんの10年後に……  僕と宗吾さんの10年後に夢を膨らませよう──

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