「どの絵本かな」 「これなの！」 　芽生くんが、嬉しそうに絵本を抱えて戻ってきた。 　絵本を読むのは久しぶりだ。 　大沼の子供部屋には絵本が溢れていて、よく母に読んでもらったし、夏樹にも読み聞かせていた。でも函館の家ではあまり読む機会がなかった。そもそも絵本が殆どなかったのだ。もう小学生になっていたので、まさか買って欲しいとも言えなかった。 　だから……いつか自分で稼げるようになったら、子供の頃気に入っていた絵本を買おうと抱いた夢は、今の今まで……忘れていた。 　大人になると、こうやって色んなことを忘れてしまうものだな。 「わぁとても綺麗な表紙だね」 　表紙は北海道を思わせる大草原に、オオカミと少年が手を繋いで立っていたる絵だった。この美術館を建てた絵本作家さんが自ら描いた、優しい情景が広がっている。 「へぇ、オオカミが主人公なの？」 「そうなの。ボク、オオカミさんって、もっとこわいと思っていたけど、このおはなしではちがうんだよ」 　絵本は※『トカプチ』という不思議なタイトルだった。 　そういえば『トカプチ』って、確か…… 「瑞樹、『トカプチ』って、どういう意味だ？」 「これは北海道の十勝地方のことですよ。十勝はアイヌ語だと『トカプチ』と言います。『乳』を意味する言葉が語源で……」 「へぇ、そうなのか。この絵本、せっかくだから座って読んでみようか」 「はい」 　試し読み出来るようなので、僕たちは再びベージュのソファに戻った。 　僕を中央に左に宗吾さん、右に芽生くんが座った。 　幸い僕たち以外の人がいないので、小さな声で朗読してあげた。 「むかしむかしある所に……」 　オオカミと人間の少年が、ある日出逢う。 　オーロラ色に躰が輝くひとりぼっちのオオカミは、全身が凍ってしまう難しい病に冒されていた。でも凍えるオオカミと出会った人間の少年が、やさしく抱きしめて温めてやると、氷が融けて……オオカミの病と孤独は救われ、ふたりはいつまでも草原で仲良く暮らしたという内容だった。 　絵本は爽やかな風が吹き抜ける風景の中で、オオカミと少年が四つ葉のクローバーを交換している絵で締めくくられていた。 　なんと読了感の良い絵本だろう！ 　オオカミと人間という全く違う個性を持つ者同士が尊重しあい、思いやりあう姿が心地いい。大地を、自然を愛おしむ気持ちの溢れる優しい水彩画だった。 「瑞樹、いい内容だな。何だか俺たちにも当てはまるよな、この関係って」 「ですね」 　僕と宗吾さん、同性同士の恋。 　僕の凍った心は宗吾さんと出逢い、彼と触れ合う度に融けていく。 　宗吾さんは……後ろ向きな僕をいつだって引き上げてくれる人だ。 　さっきだって…… 「芽生くん、この絵本を買ってあげるね」 「うれしい！　おにいちゃんだーいすき！」 　芽生くんとレジに持って行くと、ちょうど絵本作家の先生が来館したので直接サインを入れてもらえるとのことだった。どうやら土日の特別サービスらしい。 　そこにあたるとは幸運だ。 「瑞樹、ついてるな。俺たちも並んでみよう」 「はい、そうしましょう」 　僕たちは素直に幸運を受け取り、絵本作家の先生に、サインをいただくことにした。まさかこんな機会に恵まれるとは思っていなかったので、僕まで緊張してしまうよ。 「ありがとうございます！　たいせつにします」 　芽生くんが礼儀正しくお礼を言えた。 　玲子さんの子育ての基本は素晴らしいと、こういう時に深く感じるな。『ありがとう、ごめんなさい』が素直に言える芽生くんが、僕は好きだ。 「あぁ、この絵本は先生もお気に入りだよ」 「わぁ……ボクもこのご本、だいちゅきです！」 「はは、可愛いね。ん？　君は……この子の……お兄さんかな？」 「あっ……はい」 　いきなり僕に話を振られると思わなかったので、動揺してしまった。 　でもこんな機会は滅多にないだろう。僕からもきちんと感想を伝えたい！ 「二階の北海道の特設展……とても素敵でした。僕は函館の大沼出身なので嬉しかったです」 「へぇ大沼か。懐かしいね。そういえば大沼で描いた絵もあったが気が付いたかな？」 「えっ……それって、もしかして」 　どうしよう。聞くのには勇気がいる。 　でも……もしかして、まさか。 　躊躇していると、宗吾さんにポンっと背中を押された。 「瑞樹、聞きたいことは今、聞けよ。後悔のないように」 「あっはい。あの……もしかしてそれは、『みずき』というタイトルの絵ですか」 「そうだよ。よくわかったね」 　絵本作家は懐かしそうに目を細めた。 「あの……実は……タイトルが僕と同じ名前だったので印象深くて」 「そうなのかい？　確か……あの絵はもう20年以上前になるかな。大沼でとても仲良さそうなお母さんと息子さんと偶然スケッチをしていたら出逢ってね、そのお子さんの名前から拝借したのだよ。そうか……ん、待てよ？　君は本当に『みずき』と言うのか」 　心臓がバクバクしてくる。 　また一つ縁が繋がるのか、ここで。 　宗吾さんと出逢ってから、不思議なことばかり起こる。 　でもそれは魔法ではなく確かな現実で、意味があってなのだ。 「はい、瑞々しいに樹木で『瑞樹《みずき》』です」 「もしかしての……もしかしてだが、グリーンゲイブルスのような緑の三角屋根のお家の子かな？」 「あっはい」 「驚いたな。なんという偶然か。いや再会する運命だったのかもしれないね。君たち親子をモデルに絵を描かせてもらったことを告げると、君はまだ幼い少年だったのに……私に宣言してくれたんだよ。内容を覚えているかな」 「いえ……なんと？」 　何も覚えていない。 　10歳の事故を境に、大部分の幸せな記憶を沈めてしまったから。 　それにしてもあの絵の中の人物が、まさか母と僕だったなんて……驚いた。 「私が『さよなら』と言うと、君は……『いつか幸せな姿を見せにいきますね』と言ってくれたんだよ。なんだかとても印象的だったよ」 「そうなんですね」 「君は今とても……幸せそうだ」 「はい……」 「どうやら、いい家族に恵まれたようだね」 　多くは語らずとも、伝わるものがあったのか。 　宗吾さんと芽生くんを交互に見つめながら、絵本作家は深く頷いた。 　最後に『みずき』のいう絵の30角サイズのアートグラフを僕に「今更だけど、あの日のモデル料だよ」と言いながら、贈ってくれた。 　更にサインとメッセージも入れてもらった。 　『瑞樹くんへ　Live,Love,Lough,and be Happy!』 　「ありがとうございます。宝物です。これっ」 　『一生懸命生きて、愛して、笑って、幸せになろう！』 　まさにこれは……僕が宗吾さんと目指す方向だ。 「瑞樹、嬉しいサプライズだったな。最高の結婚祝いになったな」 「はい。僕……宗吾さんと出逢ってから、本当にしあわせなことばかり……宗吾さんのお陰です。ありがとうございます」 「いや、全部瑞樹が自分の手で掴んだものだよ。君の今までの努力が、しあわせという実を結んだのだ」 「そうでしょうか」 「そうだよ。君はもっと自分に自信を持っていいんだよ」 　月影寺に向かって僕たちは歩き出す。 　僕たちの到着を持つ……縁のある人たちに、報告したい。 　今日という幸せを── あとがき（不要な方はスルーしてくださいね） ＊＊＊＊＊ こんにちは！志生帆海です。 こちらは相変わらず感染者も多く積極的に外出する雰囲気ではありません。 なので創作でこの時期に行きたい所を、うろうろしております…… 特に大きな展開も今の所ないので、のんびりした旅行記になっています。 そんな中……いつも読んで下さり、スターやペコメ、ページスタンプなどで、創作の応援をありがとうございます。 毎日書き下ろす事への、励みとモチベーションになっています。 今回のお話では、実在の美術館をモデルにしていますが、絵本の内容や北海道の展示は、全て私の想像の世界です。 ちなみに『トカプチ』は絵本仕立てになっていますが、現在このお話と同時進行で続編を連載しているお話が獣人オメガバースがモデルです！(〃艸〃) トカプチ→https://estar.jp/novels/25505583 サインは実際に私が大昔にしてもらったエピソードからです。 さてそろそろ月影寺に行かねば！