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箱庭の外 3
「おはよう、瑞樹」
「ん…もう朝ですか」
「今、目覚まし5分前だ。瑞樹は今日から遅くなるんだったな」
「すみません。資格の取得は短期集中で目指そうと思って」
「応援しているよ」
「ありがとうございます。頑張ってきます」
宗吾さんは、いつもこうやって僕の背中を押して励ましてくれる。
「あぁ、だが…」
でも少しだけ元気がないのに、気付いてしまった。
だから僕は同じベッドの中で、彼にそっと耳打ちする。
僕たちの間で可愛く眠る芽生くんを起こさないように。
「なので、ちゃんと……分散してくださいね」
「おうっ! 任せておけ!」
満面の笑みで前のめりに返答されると、余計なことを言ったかなと苦笑してしまうけれども。
「しっ静かに。もうっ何事も節度を持ってですよ」
「うう、最近の瑞樹は老成しちゃってるぞ。まるで北鎌倉の翠さんみたいだ」
「くすっそれは翠さんに失礼ですよ」
「はは、でも君から求めてくれて嬉しいよ」
「……それは僕だって……あなたに触れたい気持ちがあります」
「ん、サンキュ! じゃ、おはようのキスを」
「はい…」
── お・は・よ・う ──
キスから始まる朝を、もう幾日迎えたか。
それからお互いの指輪に触れ合って、元気をチャージする。
「瑞樹が今日も無事に過ごせますように」
「宗吾さんが今日も元気に過ごせますように」
僕たちは月影寺で指輪の交換をしてから、毎朝、まるで新婚のように、こんな甘い朝を迎えている。
幸せに不慣れな僕には甘すぎる朝でも、宗吾さんといると慣れて来る。
「よしよし、今日も可愛いな」
さりげなく宗吾さんの手がパジャマ越しに僕の胸元を揉み込んできたので、途端にドキっとしてしまう。
「あっ、駄目っ」
そこをそんな風に執拗に触ってくるのは、宗吾さんだけだ。
「もうっ、──」
最近は胸を弄られると、下半身に電流が走るように過敏にビクビクと反応してしまうので、もぞっと腰を揺らした。
「んんっ……」
そこに、ジャーンっと目覚ましの音楽が響く。
「あー惜しい。時間切れか」
「ですね、お決まりの」
「おしっ! 瑞樹チャージもしたし、起きるか」
「はい!」
****
宗吾さんからアドバイスをもらった翌週には、資格取得の許可が会社から出て、東京・恵比寿にあるフラワーセラピースクールに通うことになった。
講義はカラーセラピーとフラワーセラピーを、深く学べ興味深い内容だった。
続いて花の持つ癒しのパワーと色彩心理を融合させ、お客様の心理状態に合わせたブーケを作る実習も受けた。
強いストレスのケアや、マイナスからプラスへの意識向上サポートになると、レッスンでブーケやアレンジメントを作る度に実感した。
僕は人が抱くストレスを紐解く、手伝いがしたい。
かつて僕が花に癒され、救われたように……
花で人を癒したい。
もっと深く、もっと強く。
切に願った将来の夢と合致する内容だった。
********
日曜日の午前のスクールで
フラワーアレンジメントを完成させると、講師の先生に突然拍手された。
いつから見られていたのかな。恥ずかしい……
「あぁ、すごく癒されたわ。あなたの生み出すアレンジメントはヒーリング効果が凄いわ。呑み込みも早いし、正直…葉山さんはもう師範レベルよ」
「え、そんな」
「天性のセンスもあるけど、きっとあなたの今までの体験や経験が存分に活かされているのね」
するどい所をついてくる。
過ぎ去った辛い過去も思い出も、花に活かせるのなら、それもいい。
感慨深い──
大切な人を一度に失った経験。
自分を殺して生きた時間。
自尊心を無理矢理に奪われそうになったあの日。
僕は数知れずの辛い体験を乗り越えてきた。
そんな僕自身を、もっと労りたいと思った。
「ありがとうございます」
「ねぇ葉山さん、もしこの後少し時間があったら、手伝ってもらえないかしら」
「はい? 何でしょうか」
「実はスクールでは、箱庭カウンセリングもやっていて」
「箱庭?」
「知らない? 砂が敷き詰められた箱の中に、動物・人間などの生物や、家や家具のような人工物、そして自然の木々や果物を置いて、心に沸くイメージのまま、心理世界を創造していくのよ」
「知りませんでした」
聞けば……幼い頃の人形遊びと似ているようだ。
僕に依頼されたのは、ある女性が作った箱庭を見て、彼女に今必要な癒やしのアレンジメント作成するという内容だった。これも課題なのかな?
「これなのよ。もしかして……あなたなら、彼女の心にしっかり寄り添えるかもと思って」
「あっ」
女性の作った箱庭を見せてもらうと、なんとも言えない寂しい気持ちになった。
その箱庭の片隅にはベビーベッドがぽつんと置いてあった。
だが、そこには赤ちゃんは眠っていない。
どこに行ったの?
すぐ横に窓枠が立てかけてあり、その先には暗黒の夜空が広がっていた。
その中に、小さな赤ちゃんの人形が転がっていた。おそらく……彼女は赤ちゃんを亡くした経験があるのだろう。もしかしたらお腹の中で、この世に生まれる前だったのかもしれない。
深い悲しみと喪失感に包まれた箱庭だった。
僕の手は、悲しみに呼応するように自然に動き出した。
僕にも分かる……小さくて愛しいものを失う喪失感。陽だまりのような希望が、突然消えて真っ暗になる瞬間があることを知っている。
僕は、空にかかる虹を想像して、アレンジメントを作った。
バラやスプレーカーネーション、ブルースターにグリーン……
数種類の薔薇とカーネーションをメインに虹の7色を寄せ集め、フェミニンでスイートな雰囲気に仕上げた。特に星型の青いブルースターは、幸せを運んでくれそうなので全体に散らした。
お空の星になった赤ちゃんにも、幸せを届けたい。
僕が、両親や夏樹に届けたいように。
残された者の幸せが、先に逝った魂を癒す──
「まぁ素敵ね、しっとりとした優しい希望が滲み出て来るわ」
「だといいのですが……テーマは虹にしました。ベビーベッドから空の赤ちゃんの所まで、虹の架け橋を」
「葉山さん、流石だわ。もう教えることがない程よ」
女性と直接会う事はなかったが、とても感激して、目の前が明るくなったと感謝していたと教えてもらった。
「ありがとうございます。少しはお役に立てたのなら嬉しいです」
「嬉しそうに抱えて帰ったわ、彼女……前向きになれるといいわね」
「はい。あっ時間が……では僕もこれで」
「お疲れ様! 」
誰かの癒しになったのなら嬉しい。
明るい気持ちでビルから出て、宗吾さんと芽生くんと待ち合わせをしている恵比寿のホテルへと向かった。
時計を見たらギリギリだ。 急がないと!
するとスクールのビルからホテルに向かう遊歩道に、僕が作ったアレンジメントを抱えた女性が立っていた。
あ……あの女性だったのか。30代後半くらいで、想像より年上の感じだった。
彼女は濃紺のスーツ姿の男性と向き合い、深刻そうに話してた。
お互いの指に結婚指輪がキラリと光っているのと雰囲気から、相手はおそらく旦那さんだろう。背を向けているので顔は良く見えないが。
でも何だか雰囲気があまりよくないので、思わず立ち止まって様子を見守ってしまった。
すると……!
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