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箱庭の外 4
悪いと思ったが嫌な予感がして、耳をそばだててしまった。
「おい美智、先に出かけて、一体どこに行っていた?」
「あなた……その……箱庭治療に」
「またか! そんなの無駄だと何度言ったら分かる? どうあがいても起きてしまった事実は変わらない。いい加減にしっかり受け止めろ。もうとっくに死産した子じゃないか、まったくいつまもで引きずって」
赤ちゃん……やっぱり死産だったのか。
僕の直感は当たってしまった。
「嫌っ、そんな風に言わないで、あの子……お空でひとりで寂しいって泣いているのに」
「そんなのは夢空想だ。それにこの花は何だ?それも箱庭治療なのか」
「これは今日カウンセリングの後に頂いた虹色のアレンジメントなの。これって、まるで虹の架け橋みたいじゃない? あの子がいる空まで橋を架けて逢いにいける気がして、嬉しかったわ」
僕の花に込めた想い……ちゃんと伝わっていると嬉しくなった。
ところが男性の手は乱暴にアレンジメントを掴み、床に投げつけてしまった。
ひどいっ!
花の感じる痛みが僕に跳ね返ってくるようで、ヒュッと息が詰まった。
「ふんっ馬鹿馬鹿しい。もう今日の音楽会はやめた。俺は帰るぞ!」
捨て台詞と共に旦那さんがUターンし僕の前を通り過ぎたので、慌てて背中を向けて、素知らぬふりをした。
いつの間にか遠巻きに人が集まり、皆、女性のことを不憫そうに見つめていた。
「うっ……うう」
いつも世の中にはいろんな人がいると頭では理解しているのに、納得出来ない。
ご夫婦なのに……どうして奥さんの気持ちにもう少し寄り添えないのだろう。
これは僕が立ち入る事ではないが、せめて……
散らばった花を屈んで拾う女性の元に、自然と足が向いていた。
「あの、手伝います」
「すみません、もう台無しね」
「いや、大丈夫ですよ」
僕は花を拾い集め、サッと作り直してあげた。
そういえば以前、玲子さんがこんな風に花をバラバラにしたことがあったな。あの時に全く同じ状態にならなくても、戻せる所まで戻してみようという前向きな気持ちを学んだ。
「すごい! もう台無しだと思ったのに……綺麗に戻っている」
「……虹の架け橋は壊れていませんよ。どうぞ」
花姿が崩れたものは、そっと隣の花影に隠してあげた。
そうやって花が花を癒すのだ。
女性の眼にはほぼ復元されて見えたらしく、感謝された。
「ありがとうございます!」
「いえ少しでもお役に立てたのなら……では失礼します」
「あの……違ったらごめんなさい。もしかして、このアレンジメント、あなたが」
「……あっはい」
「やっぱり! あなたの持つ雰囲気が優しさが滲み出ていますね。本当にありがとうございます! 七夕は過ぎましたが逢いたい子がいるので、この虹の架け橋を使って行ってきます」
「……きっと逢えますよ」
僕が七夕の夜に家族と逢えたように、強く願えばきっと。
花は人を癒す、きっと癒す。
人も花も万能ではないが、僕も……少しでも何かの力になりたい。
世の中で僕の存在なんて小さいが、出来ることをしたい。
女性が去った後も感慨深く、暫くそこから動けなかった。
遊歩道のビルの合間から、夏空を仰ぎ見た。
空はあんなにも青く澄んでいる。
きっとどこかに道がある。
さっきのご夫婦にも、きっと折り合える道が……
****
「瑞樹、何をしてる?」
「あっ宗吾さん、芽生くん!」
「俺たちも遅刻してしまってな。よかったよ、君に追いつけた! ところで、さっきさ……」
宗吾さんが少し言い難そうな素振りを見せた。
「あっ、もしかしてさっきの……見ていました?」
「遠目だったから良く見えなかったが……その、女性に花を渡していたような」
「実は……あの時のように散らばった心を集める手助けをしていました。僕に何が出来たのか分からないですが、何かしてあげたかったのです」
宗吾さんに事情を告げると、彼は僕の頭を子供みたいに優しく撫でてくれた。
「そうだったのか……それはお疲れさん。瑞樹が女性と話しているとすぐに妬いてしまうのは俺の悪い癖だな。いい事したな……でも、あまり君が考え過ぎるなよ」
「はい……そうですね」
「瑞樹が出来る事を、出来る所まですればいい、あとは当事者の問題だ」
「分かりました」
確かに宗吾さんの言う通りだ。引きずられないようにしないと……必要以上に。
****
「よし、じゃあ行こう」
「おにいちゃん、手、つないで」
「いいよ! あっ芽生くんお洋服、カッコイイね」
「わーい! おにいちゃんがえらんでくれたのだよ」
「よく似合っているよ」
「おにいちゃんもね」
「ありがとう!」
今日はホテルで食事なので、芽生くんは青空色の襟付きシャツを着ていた。
僕も実は……お揃いのシャツだ。
子供服から大人まで同じデザインを扱っているアパレルショップが最近のいきつけで、そこで購入した。
それにしても先日の若草色のTシャツもそうだが、ついお揃いを買ってしまうのは、親心に近いのかな。
僕もかつて弟とよくお揃いの服を着せられていたな。
Tシャツは家族で色違いを着て、キャンプに行った。
アウトドアが好きな両親だったので、よく休日にはキャンプやハイキングをした。あの日も、その帰りだった……
少しだけ感傷的になっていると、宗吾さんが訴えてきた。
「なんだ。ふたりとも今日もお揃いかぁ。ううう、今日こそは俺の服も選んでくれよー」
羨ましそうに言うのが、微笑ましい。
最寄りのデパートに馴染みのアパレルショップが入店しているので、宗吾さんを案内するつもりだ。それが僕のスクールの後に、恵比寿で待ち合わせした理由だ。
「ぜひ……食事の後に、選ばせて下さいね!」
「おう!楽しみにしているよ。じゃあ急いで、中華料理を食べに行くぞ」
「楽しみですね」
「おにいちゃんはモモまんじゅうすき?」
「うん大好き。あれ? でもそれはデザートだよ」
「そうなの? ボク、そればかりたべたいなぁ」
「えー」
「もうボクおなかすいたーはやく!はやく!」
自然に、三人で手を繋いだ。
日曜日の昼下がりは、家族団欒の時だから。
街には木漏れ日が溢れ、行く道をキラキラと照らしていた。
その中を、僕たちは仲良く、家族として歩いて行く。
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