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箱庭の外 5

「もうおなかいっぱい~ごちそうさま」 「芽生くん、よく食べたね」 「瑞樹もほら、ちゃんと食べろ」 「あっ、はい」 「悪いな、芽生の世話ばかりさせて」 「とんでもないです。嬉しいです」 「そうか、美味しいか」 「えぇ、とても」  ホテルの高級中華料理は上品でまろやかな味付けで、どれも美味しかった。  オーダーバイキング形式で食べたいものを食べたいだけ頼めたし、見た目も美しく、目でも舌でも存分に楽しめた。  ただ……このホテルには、忘れもしない悲しい思い出がある。  先日、宗吾さんに恵比寿のホテルでランチをしようと言われた時、正直……躊躇してしまった。何故ならここは……アイツが結婚式を挙げた場所だったから。一馬と朝まで抱き合って、それから招待もされていないのに、僕はここに現れた。  僕の反応が変なのに気付いた宗吾さんが優しく促してくれたので、あの日の事を素直に話せた。  ここであの日僕が何をしたか……  宗吾さんと出逢う数時間前の行動を洗いざらい。  隠し事はもうしないと決めた。  もうひとりで抱え込まないと決めたから。  宗吾さんは少し考えた上で…… 「瑞樹が行けそうだったら思い切って行かないか。俺は行ってみたい」と、返答してくれた。  僕も……行けそうだ。  今の僕なら、きっと大丈夫だと思った。  むしろ、行ってみたかった。   「さてと次は、いよいよショッピングだ。俺も絶対におそろいの服を買うぞ!」  宗吾さんが妙に張り切っているので、芽生くんと顔を見合わせて笑ってしまった。 「えぇ~パパとおそろいなんて、ちょっとはずかしいよ」 「息子よ、寂しいこと言うな。瑞樹とのお揃いは喜ぶのに」 「へへへ。それはおにいちゃんだもん!」 「コイツっ!」 「えへへ。えっとパパとおにいちゃんといっしょがいいな。それをきて、夏休みにりょこうにいきたいな~」 「いいな。それ!」  三人で笑いながらレストランを出て、エレベーターホールに向かった。  ここからだ。 「あっ、あの……エレベーターでなくて、あそこの螺旋階段を使って、ロビーに降りてもいいですか」 「うん? あぁそうか……あそこなのか。もちろん、いいよ」  レストランはホテルの2階にあり、そこから赤い絨毯が敷き詰められた螺旋階段を降りると、直接ロビーに行けるようになっていた。  階段の中間は踊り場となっており、一馬と花嫁さんが仲良く並んで写真を撮っていた。  よく覚えているよ……確かに、ここだったね。  僕は、ロビーの……あの太い柱の陰に隠れていた。  よく磨かれた大理石に映る影にすら気を配り、そっと気配を消して佇んでいた。  過去の思い出に引きずられそうになっていると、芽生くんが手を握ってくれた。 「おにいちゃん、ここってなんだか、おとぎ話にでてくる、かいだんみたいだね」 「本当に、そうだね」 「ねぇあそにで、ひとやすみできるんだね」 「……うん」 「いってみよう!」  僕は芽生くんと手を繋いで、あの日、アイツとお嫁さんがいた場所に立ってみた。  立てた!  僕もここに……! 「わぁ……おにいちゃん、ここからだと、下がよく見えるね」 「そうだね、本当に」  僕の左隣に芽生くんが立っていて、手摺に掴まって、キラキラした視線を振り撒いていた。  僕も踊り場からロビーの広場を見下ろしてみた。    僕が立っていたのは、あの柱の陰……だから一馬には見えなかったはず。  だがお嫁さんの立ち位置からだと微妙に視界が違っていて、僕の姿が少し見えてしまったかも。その事に、今更ながら気が付いた。  そして幻を見る。  僕自身が、あの日の僕の姿を……  招待されてもいないのに黒い礼服を着て、ひっそりと佇んでいた。  泣きそうな顔。  諦めたような顔。  でも最後は何かを吹っ切るような表情を浮かべ、踵を返して去って行った。 「あっ」 「瑞樹。君はあそこから、見送ったのか」 「そうです……あの柱に隠れていました」 「そうか」  宗吾さんは多くは語らず、僕の肩にポンっと手をのせてくれた。  あたたかい温もりが、じんわりと伝わって来る。 「おにいちゃん、どうしたの?」 「ん……」 「さみしいのなら、おててつないであげるよ」 「うん、ありがとう」  それから芽生くんを真ん中に、僕たちは手をギュッと繋いだ。  もう大丈夫だ。  今の僕は……あの日のように行き場のない、ひとりぼっちの寂しい人間ではない。僕の手は、こうやって家族としっかりと繋がっているのだから。 「宗吾さん……ありがとうございます。本当の意味で吹っ切れました。今が……幸せだから」 「瑞樹……君が心からそう思えるのなら、よかったよ」 「はい……!」  サヨナラ……  僕の悲しい思い出。  あの日一馬に向けて…… 『もうこれで永遠のサヨナラだ』と言い放った僕の幻とも、サヨナラしよう。  家族を持った僕は、こうやって一つ一つ悲しい思い出を塗り替えていく。 「さーて、俺たちも行くか」 「そうですね。行きましょう!」  そして前に進んでいく──      

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