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箱庭の外 13

 裁判官になった兄とは性格が真逆過ぎて、分かりあえない事が幼い頃から多かった。それに5歳も年上なので兄弟というよりは、もうひとりの父のような手厳しい存在だった。  兄に頼ったのは、高校時代の一度だけ。自分の性癖に困惑して、どうにかなりそうで、とうとう泣きついた。だが心配する兄の目に、弱みを握られたような気分になってしまい、兄を欺き、自分を欺き……   ニューヨーク支社にて。  会議前に事前の資料を読み込んでいると、胸ポケットのスマホが震えた。  瑞樹からのモーニングコールかと……淡い期待で画面を見ると、見知らぬ番号だった。  誰だ? 「もしもし……?」 「宗吾か」  電話なんてかけてこないはずの相手の声に驚き、同時に一抹の不安を覚えた。  日本で、何かあったのか──  電話番号の交換もやめた疎遠な兄から、突然電話があるなんて。  考えられるのは……母さん?   それともまさか芽生に何かあったのか。  同僚に詫びて、慌てて廊下に出た。 「宗吾……私だ。今、話せるか」 「あぁ兄貴……どうした? 何かあったのか」 「ふん……相変わらずの口の利き方だな。実は夕方、母さんが倒れてな」 「えっ!」  今、日本は金曜日の夜か。  金曜日は、いつも芽生を母さんの所で預かってもらっている。  母さんが倒れたという事は……じゃあ芽生はどこにいるのか。  どんな状況で、今どうなっている?   状況が呑み込めない。  そうだ……瑞樹、彼はどこに?    一度に色々なことが駆け巡り、混乱した。 「かっ母さんの具合は?」 「……急性心不全のようで、入院して詳しい検査をすることになった」 「なんだって? そんな兆候、少しもなかったのに」 「それが病というものさ。ある日突然やってくるものだ。とにかく循環器内科に暫く入院することになる。とりあえず酸素投入で落ち着いているらしいので、お前は出張を続行していいぞ」 「そ、そうか。分かった」 「それより、救急車を呼んでくれたのは、お前の……」  兄の言葉が、言い難そうに詰まった。  それは瑞樹なのか!  母さんを助けてくれたのは! 「瑞樹が、母さんを?」 「まぁ……そう言う事だ。お前あの男性と……その」 「兄貴、まさか瑞樹に何も言ってないよな? アイツにはお願いだから何も言わないでくれ! 責めるなら、頼むから俺を! 」 「なんだ? お前らしくないな。随分……必死なんだな。そんなに彼が大事なのか」 「瑞樹は悪くない。俺が彼を好きになったんだ。俺は本当の自分を隠して生きてきたが、結局その歪で離婚してしまい、玲子にも芽生にも悪い事をし、自己嫌悪の日々だった。自分に正直に生きなかった……弱い人間なんだ。そんな俺を解放してくれたのが、彼なんだ!」  その結果、兄弟の仲は決裂した。  ここ数年、兄は地方を転々としており、父さんの葬式と法事でしか顔を合わせていなかった。  そんな兄に、俺は今、必死に電話口で頭を下げていた。  俺はどうなってもいいから、とにかく瑞樹を守りたい一心で。  どうして、いつも俺の出張中にこういうハプニングが起こる?  前回だって、今回だって──  彼のすぐ傍にいてやりたい時に限って……大切な時に。  まるで試されているように、試練が降りかかる! 「兄貴、どうか瑞樹を追い詰めないでくれ。彼は散々苦しんできた……哀しい人間なんだ。でもその哀しみを乗り越え……優しい心で俺を救ってくれた、受け入れてくれた人なんだ。大切なんだ!」  人目も気にせず、必死に訴えた。  今すぐ飛んで帰りたいよ。君の元に……  きっと傷ついているだろう、泣いているだろう。  そんな予感しかしないから。 「……お前が、そこまで……」  兄に伝われ! 俺のこの気持ち。  そう願うしかなかった。 「彼は……母さんを救ってくれた恩人だ。芽生だけでは救急車を呼べなかっただろう」 「兄貴……?」 「……私も悪かった。大人げない事をした。謝ってくるよ……」 「あ……ありがとう。恩に着るよ」 「大袈裟だな。私はいつも通りに事実に、正直に反応しているだけだ」  どこか照れくさそうな兄の声に、ハッとした。  性格が違うからと兄をシャットアウトしていたのは、俺の方かもしれないと。

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