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箱庭の外 14
「宗吾、日本に戻ったら、すぐに会おう。母さんの今後の事もあるしな」
「分かった。兄貴……本当にありがとう」
「何を言ってんだか、お前らしくないな」
「らしくなくて、いい。 瑞樹を守るためなら、いくらでも俺は変わる! 」
「お前なぁ……少し落ち着け、今から仕事だろう?」
「あ、あぁ」
「もうこっちの事は心配するな。私も自分のした事に責任を持つよ。さぁ仕事、頑張ってこい」
電話を切った後、私の方も少し興奮していた。
今、電話で話したのは誰だったのか。
あれは本当に宗吾なのか。
私の知っている弟ではなかった。
母を助けてくれた彼のために、お前があそこまで必死になるなんて。
思い返せば……
私と宗吾の関係はいつから、ぎくしゃくし出したのか。
かつて逃げに走った弟を、私は軽蔑してしまった。
あの頃からか。
同性愛云々は正直理解できなくとも、宗吾のありのままを受け入れようと努力していた矢先の、彼の人生の選択とその後の態度に、がっかりしたのだ。
目の前の事実に、顔を背けた事にだ。
宗吾がそうせざる得なかったのには、厳しかった親父の影響も大いにあるだろう。親父は私以上に曲がった事が大っ嫌いな昔気質な性格で、宗吾との折り合いはずっと悪かった。
しかし宗吾は突っ張ってはいても、次男坊の甘えた所と、人からよく見られたいという見栄っ張りな所があったので、自分の性癖を潔く貫き通せなかった。女性も愛せるタイプだったので、そちらの道を選んだのだろう。
そろそろ美智の所に、戻らねば……
だが廊下を歩く足取りは、重たかった。
あの青年に、酷い暴言を吐いてしまった。
言葉の暴力で、彼を追い詰め、苦しめた。
甥っ子の芽生があの青年を庇い、抱きついた姿からも……すぐに理解できたのに。
見ないふりをして、酷い事を言ってしまった。
まったく情けない。人間が出来ていないのは、私の方だ。
捨て身の覚悟で甥っ子を守った青年の瞳は、穢れなく澄んでいた。
罪を犯したのは、この私だ。
「滝沢さん、お母さまがお気づきになられましたので、お会いしますか」
「あっ、はい」
「面会はお一人でお願いします」
「私がします。私が長男ですので」
そうだ。私が長男だ。
しっかりしないと──
母は鼻から酸素吸入をしていたが、意識ははっきりしていた。
少し話し難そうだが、会話も出来たので安堵した。
「……驚かせて悪かったわね……憲吾」
「大変でしたね」
「まさかこんな大事になるなんて……私も、もういい歳ね」
「……心不全だそうですよ。今日はいろいろ重なって症状がきつかったようですが、まだそこまで重症ではないので、しっかり検査して治療していきましょう」
「そうなのね、あ……瑞樹くんはどこ? 彼が私を助けてくれたのよ」
「……待合室に芽生といますよ」
具合の悪い母に、余計な心配かけたくない。
私の方から先回りして、安心させたい。
「彼……いい子みたいですね。宗吾の大切な子なんでしょう?」
「憲吾、もう知って? なら話は早いわね。そうなの、宗吾お相手よ。私も瑞樹くんの事が大好きなの。だから、どうか嫌わないでね、とても苦労した子で……とても優しいのよ。芽生も懐いているし、私も、もうひとりの息子だと思っているのよ」
母がそこまで手放しで信頼し受け入れるのは、珍しい。
「……知っていますよ。別に私は頭ごなしに反対なんてしません」
「まぁ流石……憲吾ね。あなたならきっと、目の前にいる彼がどういう人物か、瞬時に判断できると思ったわ。安心したわ」
うむ……なんだか、穴があったら入りたい心地だ。
目の前の事実に拘りすぎて、情緒が足りなかったのが私だから。
そもそも事実には、二つあったのだ。
よく考えればすぐに分かることなのに、自分に優位な方を選ぶなんて……大人げない。
彼が母を救った事実と、法律上、滝沢家とは赤の他人だという事実。
後者をとるべきでなかった。
どう考えても感謝すべきだった。
事実か……
美智のことだって、そうだ。
亡くした子を偲ぶ気持ちに寄り添わず、現実を受け入れろと乱暴な言葉ばかり使ってしまった。
亡くした子を忘れられず泣いている美智も、今現実に起きている事実なのに……
複雑な気持ちで、待合コーナーのパーテーションの前に立った時、美智の声が聞こえた。
『うん……まだ間に合うかな……不妊治療再開してみようと思って、憲吾さんもそれを待っていると思うの』
頑なだった美智の心が開かれている。
その事に驚いてしまった。
「美智、今の話……」
「まぁ憲吾さんってば、あなたが立ち聞きを? くすっ」
「あ、いや、すまない……それより今の話、本気か」
「うん、ねぇもう一度頑張ってみない? まだ40歳前だし間に合うわ」
「……そうか、もちろん私も協力するよ」
素直な気持ちだ。
「ありがとう。それから驚く事があって。彼ね、あの時のお花……虹の架け橋を作ってくれた人だったのよ」
虹の架け橋……?
あぁ……あの時のアレンジメントか。
あれも私が滅茶苦茶にしてしまい、後味が悪かった。
あの日、心配になって引き返すと、美智は綺麗なアレンジメントを嬉しそうに抱いて、空を見上げていた。
さっき私が落としてバラバラに床に散らばったはずなのに……どうして元に戻っているのだ?
『美智、すまなかったな』
『憲吾さん! ふふ、やっぱり戻ってきてくれたのね。あなたは絶対戻って来ると思った』
『……いつもカッとしてすまない。その花……綺麗だな』
『ねぇ今日、枕元に置いて眠ってもいい?』
『好きにするといい』
『さぁ音楽会に行きましょう。遅刻しちゃうわ』
『あぁそうだな』
その日の夜……美しい花の香りに包まれながら、彼女を抱いた。
いつになく情熱的に深く交わり、深く抱き合った。
明け方……美智が枕元で静かに泣いていた。
(美智、どうした……?)
話しかけていいのか、迷った。
美智は悲しくて泣いている訳ではない気がしたから……
朝日に照らされた虹のアレンジメントが美しかった。
二人の想いが重なり、希望を抱いた朝だった。
「そうか……重ね重ね、君には助けられたのか。さっきはすまなかった。暴言、失言……本当に申し訳なかった」
ガバっと潔く頭を下げると、彼は優しい微笑みを浮かべてくれた。
「いえ……もう大丈夫です。ちゃんと伝わっています。おふたりの事情も全部……」
「ん……あ、おにいちゃん?」
「あっ芽生くん、起きたの」
「うん……あれ?」
芽生が私と瑞樹くんをキョロキョロと不思議そうに見比べ、その後、破顔した。
子どもの笑顔は清らかだ。
「よかったね。オジサン! やさしいお顔になってるね。おにいちゃんとなかなおりしてくれたんだね。おにいちゃんはね、とってもやさしいんだよ。だからぜったい仲よくしてほしい。大事にしてほしいんだ!」
これは、幼稚園児とは思えない!
まるで今はニューヨークにいる、宗吾の言葉だ。
参ったな……
こんなにも弟と甥っ子から全力で愛されている君を、憎めるはずがない。
「瑞樹くん……芽生のこと、よろしく頼む。明日、母の治療方針を相談するので、宗吾が帰ってくるまで君に相談にのってもらいたいが、いいか?」
そう告げると、彼は呆然とした顔をし、その後一筋の透明な涙を流した。
とても美しい涙だった。
真実の涙だった。
「僕が? 僕でもいいんですか」
「あぁそうだ。君に任せたい」
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