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箱庭の外 16
わずか3コールだった。
「……もしもし」
覚束ない様子の瑞樹の声が、すぐに受話器口に聴こえた。
やはり眠っていなかったのか……もどかしいな。
本当は……今すぐ君の前に飛んで行きたい。
生身の躰で抱きしめてあげたいのに、出来ないのが悔しいよ。
「瑞樹、俺だ」
「あ……宗吾さん、お疲れ様です」
いつも通りを装う君の声。
でも俺は見逃さない。
すこしだけ湿っぽい声色の理由を。
「今日は、泣かせてごめんな」
「え……僕は……泣いてなんか、いませんよ」
そうやって我慢して、強がるの事も知っている。
「馬鹿……俺に嘘なんて、つかなくていい。瑞樹、今日は母を救ってくれてありがとう」
「……宗吾さん」
それっきり瑞樹は、黙ってしまった。
今……涙を……嗚咽を堪えているのではないか。
「瑞樹、喋らなくてもいいから聞いてくれ。初対面の兄が心無い言葉を君に投げつけただろう。全部俺のせいだ。俺と兄の確執のとばっちりを、君に受けさせてしまった。瑞樹は何も悪くない。耐え難い思いをさせて、すまなかった。居たたまれない思いをしたと思う。どうか許してくれ」
「……うっ……」
微かな声が届き、胸が締め付けられる。
「宗吾さん……そんなに僕の心配ばかりしないで下さい。お母さんが大変な時に……」
「あぁ母の事も心配だ。だがな、俺は俺のパートーナの事を今、心配している。瑞樹は俺に心配かけて申し訳ないと思っているだろうが、そうじゃない!」
「ですがっ、やっぱり申し訳なくて。お母さんが倒れて大変な時に、僕という存在のせいで……」
「あーもう、瑞樹、よく聞け!」
いつまでも、自分を隠そうとする瑞樹に強い口調になってしまった。
「いいか。よく聞け。母は君がいなかったら一大事になっていた。君は命の恩人だ。そして俺の大事な家族だ。外から見たら『赤の他人』かもしれないが、俺から見たら瑞樹は俺の家族だ! 俺は少なくともそう思っている。母だって同じ気持ちだ。君の3人目の母になると名乗り出たのは誰だった? よく思い出せよ」
「あ……うっ……お母さんの方から、そう、言ってくれました」
「だろう。瑞樹。君が自信を失ってどうする? みんな君が好きだよ。君を愛してる……だからもう我慢するな。悲しい時は泣け! 悔しい時は叫べ! 君はもう自分に素直になれよ!」
「う……」
今度は口調を柔らかくして、言葉で君を抱く。
「瑞樹、おいで。こっちに」
「宗吾さん……僕、お母さんが倒れたのを目の当たりにして、震えました……」
「それはどうしてだ?」
優しく彼を誘導する。
「だって……僕の目の前で、二度と大切な人を失いたくなくて」
「あぁ……そうだな。今日は怖かったな。驚いただろう……だが母は無事だった。もう安心しろ」
「はい、本当に良かったです。ううっ……」
それから……
「病院で急に兄と会って驚いただろう? 酷い事言われて辛かったよな」
「……」
「どんな気持ちになった?」
ここからが肝心だ。
「……息が詰まって、咄嗟に何も言えなくて、逃げ出しそうになりました」
「あぁやっぱり……兄の言葉が突き刺さってしまったな」
「……いえ、お兄さんには謝っていただいたんです、だから、もう……ですが、」
「一度刺さった言葉は、ちゃんと抜いておかないと、後から傷むぞ」
「はい……だから、僕……本当は……さっきからずっと泣いていました」
やっと言えたな。泣いていたと……
「それでいい。泣きたい時は我慢せずに泣いてくれ。俺が抱きしめてやる。今は言葉でしか伝えられないが」
「宗吾さん……宗吾さんがっ……恋しいです」
よし、瑞樹の本音、掴まえた。
頑なで我慢強い君から、この言葉を吐き出させたかった。
「瑞樹、俺も恋しい。そして改めて君で良かったと思っている」
「こんな弱い僕でも……?」
「瑞樹だけじゃない。元々……人間は誰もが弱いよ。だからパートーナーや、信頼できる友を見つけ、支え合っている」
「うっ……ううう」
「瑞樹、泣け。泣いていい。全部流してしまえよ」
暫くは……瑞樹の泣き声しか、聴こえなかった。
「……宗吾さん、僕、泣いたらすっきりしてきました」
やがて恥ずかしそうに、そう告げてくれた。
「続きは帰ったらだ。沢山愛したい、君を」
「……はい」
面映ゆい表情をしているだろう。きっと、今。
「そうだ、瑞樹……母に花を届けてくれないか。すぐに駆け付けられない俺の気持ちを乗せてさ」
「あ! はい。それなら得意分野です。僕にぜひ作らせて下さい」
声がどんどん明るくなっていく。
衣擦れの音がする。
枕を抱えなおしたのか。
「もしかして今……俺の布団にいるのか」
「あ、はい……」
「嬉しいよ」
「近くにいるみたいで。さらに……声を聞けてホッとしました」
瑞樹の声は、もう落ち着いていた。
「俺もだよ、芽生の事も任せきりだな」
「今日は芽生くんに救われました」
「なぬ?」
「芽生くんが、僕を引き留めてくれたのです」
「そうか、芽生が……」
「ちょっと宗吾さんみたいでした」
「そうか、少し複雑だが、嬉しいよ。息子の事、ありがとうな」
「いえ、僕にとっても大切な家族です」
手元の指輪にそっと触れる。
以心伝心だ。
伝われよ。俺の気持ち。
「そうだ。俺たちは家族だろう。君の左手の指輪を見てみろ。北鎌倉の紫陽花を思い出せ。あの日の誓いを」
「そうでした。そうですね。愛をもらっています。いつも、今日も……」
伝わった!
ニューヨークと東京。
遠く離れていても、君とは心で繋がっている。
手と手が触れ合えなくても、心は通わせることが出来ている。
「日曜日まで母のことを頼む。兄夫婦の事もな」
「はい! 任せて欲しいです、僕にも……」
「任せるよ。瑞樹だから安心だ」
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