395 / 1643

箱庭の外 17

「おにいちゃん……おにいちゃん、もう朝だよ。おなかすいたよぉ」  可愛い手にゆさゆさと揺さぶられ、ハッと目覚めた。 「わ! 今、何時?」 「もう9時だよ」 「えぇ!」  昨日いくら眠れなかったからといって、寝坊しすぎだ!    深夜2時に宗吾さんと交わした会話を、しっかり覚えている。  あの後、緊張の糸が切れたようで、パタッと眠ってしまったようだ。  でも、朝の9時まで?   7時には起きるつもりだったのに、目覚ましはどうしたんだ?  子供より遅く起きるなんて、恥ずかしいよ。 「本当にごめんね。すぐに朝ごはんつくるからね」 「うーん、でもお風呂にはいりたいな」 「あぁそうか、芽生くんお風呂入ってなかったね。すぐに入れてあげる」 「……おにいちゃん、あのね、もうだいじょうぶ?」    心配そうに覗き込まれて、逆に気が引き締まった。  芽生くんは、まだたった6歳なんだ。  宗吾さんのいない今……僕が家族として守る立場だ。  しっかりしないと。  芽生くんを抱きしめて、背中を撫でてやる。 「ん、もう大丈夫だよ。僕に任せて」 「よかったぁ。おにいちゃんもパパがかえってきたら、たくさん、ぎゅーしてもらうといいよ」 「……そうするよ」 「そしたら、ボクもしてもらうんだ」 「一緒にしてもらおうね」 「うん!」  可愛い事を言ってくれる。 「わぁいいおてんきだね」 「今日は快晴だね!」  部屋のカーテンを開け、窓も開けた。  今日はよく晴れている。  青空の向こうに、白い飛行機が飛んで行くのが見えた。  あ……摩天楼にいる宗吾さんは、今頃、夜を迎えているのか。  僕の朝は、宗吾さんの夜になるのか。  僕の今日は、宗吾さんの明日だ。  タイムスリップしたみたいに違う日付をカレンダーが刻んでいる。    時差って不思議だ。  それでも僕たちは言葉で、しっかりと繋がれた。  距離なんて感じない程、宗吾さんを近くに感じた。  すると再び電話が鳴った。   「もしもし、瑞樹か」 「宗吾さん!」 「瑞樹にモーニングコールだよ」 「あ……おはようございます」 「よく眠れたか」 「あれからは、ぐっすりと」 「よし、それを聞いて安心したよ」 「全部……宗吾さんのおかげです。あ、芽生くんに代わりますね」    隣で芽生くんが、瞳をキラキラと輝かせて見上げていた。 「もしもし、芽生か」 「パパぁーおはよう!」 「芽生……昨日はびっくりしたな。パパ、傍にいてやれなくて、ごめんな」 「うんうん、びっくりしたけど、おにいちゃんがずっと抱っこしてくれたから、さみしくなかった。怖くなくなったよ」 「そうか、瑞樹はすごいな」 「うん! パパがお兄ちゃんと、なかよくなってくれたおかげだね」 「芽生はすごい事を言ってくれるな」 「だって、ホントだもん」 「はは!」  受話器越しに宗吾さんの明るい笑い声が響き、気持ちが一気に和んだ。 「おにーちゃん、パパがまた話したいって。アツアツだね!えへへ」 「芽生くんっ」  照れくさい。  でも僕もつられて甘い微笑みが漏れてしまう。  ようやく笑えた…… 「宗吾さん?」 「瑞樹、俺はもう寝るよ」  急に、少し拗ねた声になっていた。んん──? 「えっと、そちらは何時ですか」 「まだ夜の9時前だ」 「え、そんなに早く寝てしまうのですか」 「君がいないから、ヤルことがない」 「ヤルことって……そんな」  頬が熱く……火照っていく。  平然と電話でそんなことをサラリと言うなんて。 「君を抱けないから、夢で会おうと思ってな」 「もう……っ」 「なぁせめて……電話越しにキスしてくれないか」 「そ、そうごさん……」  拗ねて甘えた口調の宗吾さん。  僕を笑わせて、気分を上げてくれようと……  伝わってきますよ。 「もうっ駄目です。こっちは朝なんですよ。白昼堂々……そんなことは」 「それはそうだが……あっ脱衣場だ。あそこでちょっとだけ、チュッと。なっ」 「もうっ」  と言いつつ、僕も芽生くんにごめんとジェスチャーしながら、脱衣場に走っていた。 「ふぅ脱衣場ですよ。あの……宗吾さん、昨日はありがとうございました! 僕、あなたにまた救われました」 「ん、帰国したら、兄貴に改めて俺から紹介させてくれ。君は俺の大事なパートーナーだと」 「……嬉しいです」 「じゃあ瑞樹、おはようの挨拶を」  促され、受話器にキスを4回。  お・は・よ・う 「おまけで、おやすみの挨拶も」  ふふ、贅沢な人だ。  じゃあもう一度……  お・や・す・み……な・さ・い 「……今日は特別サービスですよ」 「ありがとう! 芽生の事、今日も君に任せるよ。母の見舞いも頼む」 「はい、後で花を買って来て、アレンジメントを作りますね」 「おぉやっと元気になってきたな。やっぱり瑞樹には花が似合うな」 「……もう……大丈夫です」 「頼りにしているよ。あ……そうだ、母は紫色が好きだよ。じゃあ……おやすみ」  頼りにしてもらえるのか。  こんな僕なのに……  じわじわと嬉しさが込み上げてきた。  地球を跨ぐ Moning callは、Love call だった。   ****  宗吾さんとの電話の後、芽生くんと駅前の花屋に行きアレンジメントの材料を買い揃えた。  そして午後、作りたてのアレンジメントを手提げにし、芽生くんと病院に向かう。  お見舞いなので、香りが強い花は避けた。体調のすぐれない時に好みでない香りが立ち込めるのは逆効果だから。  それからお見舞いの花にはイエローやオレンジなどのビタミンカラーが「元気が出る」色として一般的に喜ばれるが、今回は宗吾さんのアドバイス通り、紫色の薔薇をベースにしたスタンディングブーケにしてみた。 「おにいちゃん、お花、きれいだね。おばあちゃんのすきな色だよ。よくそういう色のハンカチをもっているよ」 「そうなんだね。よろこんでもらえるといいな」  紫色は心にある悲しみや怒りを癒す効果があり、病を回復させるために治療として用いられた時代もあるそうだ。だから現在でも癒しの効果を目的として、リラックスしたい空間に用いられることが多い。  通ったスクールで習った細かい知識が、早速役立っていく。    でも紫色だけで地味にならないように、芽生くんをイメージして間に少し華やかで元気な花も織り交ぜてみた。  フレッシュオレンジの小さなガーベラを、紫の薔薇の間から顔を覗かせるように可愛らしく配置した。  これは祖母と孫のイメージだ。  メインは『ブルーミルフィーユ』というシックな紫色の薔薇。花弁がまるでミルフィーユのように幾重にも贅沢に重なっているボリュームのある上品なもので、お母さんのイメージに近く、とても似合う。 「喜んでもらえるかな」 「うん、おにいちゃんのココロがこもってるもん!」  嬉しい言葉を、またもらう。  幼い子の素直な言葉が心に染みわたる。  言葉で傷つけられることも多いが、それを癒すのもまた言葉だと実感する。  僕は……優しい言葉を紡ぎたい。    花も言葉も……人を癒すことの出来るアイテムだ。 「おにいちゃんのおはなもらった人は、みんなわらってくれるよ」 「ありがとう。芽生くんのやさしい言葉も、みんなを和ましてくれるよ」 「なごます?」 「やさしい気持ちにしてくれるってことだよ」 「そうなんだね!うん、やさしいっていいよね。ここがポカポカしてくるね」  芽生くんは自分の胸に手をあてて、とびっきりの笑顔を浮かべてくれた。

ともだちにシェアしよう!