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箱庭の外 18

「おばあちゃん!」 「芽生……瑞樹くん、来てくれたのね」 「……お母さん」  今まで面と向かって、なかなか『お母さん』と呼べなかった。    だけど今日からは、しっかり呼んでいく。  明日どうなるか分からないのなら、1日1日を後悔のないように生きていきたい。  頭では分かっていても、人はつい先延ばしにしてしまうものだから。  何かあった時に後悔するのは、しなかった自分だ。 『お母さん』  ……そう呼ぶのは簡単なこと。  声に出せるのなら、出していこう!  お母さんが倒れるのを目の当たりにして、強く思った。 「まぁ瑞樹くん、私の事を、そう呼んでくれるのね」 「……はい。お母さん……とても心配しました」 「あなたが救急車を呼んで、応急処置もしてくれたのね。ありがとう」 「……こんな僕でも、少しは役に立ちましたか」 「まぁこの子は……こっちにいらっしゃい」  お母さんが僕の手を取ってくれる。  人と人の温もり。  恋人だけじゃない、家族、親子、いろんな形で、人は温もりを求め合っている。分け合っている。 「顔をよく見せて」 「……はい」  僕の目元は腫れていて、泣きはらした目をしていた。  間近で見たら、すぐに気づかれてしまうだろう。 「昨日は驚かせてごめんなさいね。……憲吾が心ない言葉を吐いたのね」 「うっ……」  そうだとも、違うとも言えなかった。  また泣いてと、呆れられてしまうかも…… 「瑞樹くんは偉かったわね。今度はちゃんと泣けて……」 「え?」  だが真逆な事を言われて、驚いた。 「どうして……?」 「この前、あなたに教えたあげた言葉を覚えている?」 「あ……『柳に雪折れ無し』ですか」 「そうよ。あなたは物事を柔軟に受け止めていけばいいの。だから無理に強がったり、強くなろうとしないで……もう、泣きたい時は泣いていいのよ」 「……はい」 「それにしても、憲吾はあなたにちゃんと謝ったかしら」 「もう大丈夫です」 「そう……ニューヨークにいる宗吾は、ちゃんとあなたをフォローした?」 「はい! 言葉で僕をしっかり励ましてくれました」  そう答えると、お母さんはホッとしたようだ。 「良かった。間違っていなかったわね。私の子育て。どんなに大きくなっても、私が産んだ子だから気になってしまうのよ」 「ふたりとも、お母さんの立派な息子さんです」 「あなたもよ……瑞樹くん。お腹は痛めてないけど、縁あって親子になったのよ。観覧車の上で誓ったわよね」  お母さんの温もりが届く。 「はい! あの、これ僕たちからのお見舞いです」 「まぁ私の好きな紫色の薔薇。これはブルーミルフィーユだったかしら?」 「ご存じでしたか」 「大好きな薔薇よ。良く分かったわね」 「宗吾さんのアドバイスで」  芽生くんが僕たちの様子を、ニコニコと見守ってくれている。 「おにいちゃん、ね、おばあちゃんのすきな色だったでしょう」 「芽生、おばあちゃんの好きな色を覚えていたのね。おいで……びっくりさせてごめんね。心配かけてごめんね」 「ううん、びっくりしたけど、すぐにおにいちゃんがきてくれたから。そうだ、ムラサキのバラのハナコトバを調べてあげるね」  僕があげた図鑑で探してみると、紫の薔薇の花言葉は…… 「気品」 「誇り」 「尊敬」   「あ……これ、おかあさんにぴったりです。僕の中のお母さんのイメージに重なります」 「まぁうれしいわ」  花をベッドの脇机に飾って歓談していると、美智さんがやってきた。 「お義母さん、着替えとタオル持ってきました」 「美智さん、あなたが東京に戻っていて助かったわ。ありがとう。迷惑かけてしまって」 「いえ普段何も出来ないので、こんな時くらい」  僕たちは会釈して、一旦廊下に出た。  お母さん……顔色も血の気が戻って、想像より状態が良さそうだ。  元気そうな顔を見せてくれて嬉しい。ようやくホッと出来る。  そしてまるで僕を本当の息子のように扱ってくれた。それが嬉しくて、また胸が一杯になった。  ずっと病院の廊下も病室も、救急車のサイレンも苦手だったのに、今の僕は、もう怖くはなかった。  救急車はお母さんの命を救ってくれた。  病室には大事なおかあさんが入院している。  でも元気に笑ってくれた。  僕に温もりを分けてくれた。  こうやって……克服していく。  しあわせで塗り替えていく。 「やぁ、もう来てくれたのか」 「あ、憲吾さん」 「その……昨日は悪かったね」 「もういいです。もう大丈夫です」 「……ありがとう。寛大な心で許してくれて」  許すだなんて……  人は時に間違いを犯してしまう事もある。  それに対して真摯に向き合う人を、僕は堕とさない。突き飛ばさない。  どんなに謝っても、隠しておきたい部分まで曝け出して真摯に謝っても……許してくれない人もいるだろう。  そういう人とは、生き方が違うと思うしかない。  それが、その人との分かれ道なのだ。  憲吾さんとは、そうでなくて、よかった。  見た目も性格も宗吾さんとは全く違う兄弟だが、根っこの部分……根底ではしっかり繋がっている。それを強く感じた。  僕はもうひとりではない。  昨日感じた疎外感もすっかり消えていた。 「しかし……君の作ってくれた花って、なんかこう……いいな」 「ありがとうございます」  芽生くんと美智さんが歓談している間、憲吾さんが興奮した面持ちで教えてくれた。 「妻が吹っ切れたのは、君の花がきっかけだった。亡くした子のためにも幸せになろうと言ってくれた」 「……良かったです。僕の花が少しでもお二人のお役に立ったのなら本望です」 「あぁそうだ。良かったら名刺交換しないか」 「あ、はい」  裁判官 滝沢憲吾  フラワーアーティスト 葉山瑞樹  まったく違う職種だが、こうやって縁あって接点を持つ。 「花っていいもんだな。知らなかったよ。母も君が作った花を見て嬉しそうに微笑んでいるし、美智も立ち直るきっかけをもらったし」 「はい。自然の力をそっと花を通じて分けてもらっているのだと思います。人は誰だってしあわせに生きたいと思う生物ですから、でもとても弱い生き物だから」  いつも思っている事を口に出すと、憲吾さんも素直に受け止めてくれた。 「そうだな。私も職業柄、ついシビアになってしまうが、これからは妻に花を贈るよ。その時はぜひ相談させてくれ」 「はい! 喜んで。いい心掛けかと……」 「ふぅん、君って……宗吾が惚れるのも分かる。なぁアイツもいつも君に花を贈るのか」 「えっいえ……その、えっと」  何と答えよう……?  突然話のムードが変わったような。 「はは。そんなに動揺して……なんか可愛いな」  前言撤回だ!  全然似てないと思ったのに、こういう風に僕をしどろもどろにさせるのは、宗吾さんにそっくりじゃないか。 「どうやら私にも、可愛い弟が出来たようだな」 「え?」 「……君のことだよ」 「あっ……」  弟。  そう思ってもらえるなんて……夢のようだ!  

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